第九章 聖杯(サン・グラール)
藍華がシン国から帰ってきて一ヵ月が経った。明日から学校が始まる。二学期は体育祭や文化祭、合唱コンクールがある。
合唱コンクールは文化祭の初日にすることになっている。そして文化祭の最終日に優勝学年を発表だ。学校は一クラスしかないので、学年優勝となる。
楽しい企画満載で、しかも二学期は準備や練習で忙しいので授業は殆ど免除となる。ただ其の分、一学期とイベントが全て終了した後が地獄だ。授業を詰め込めるだけ詰め込むのだから。
「藍華、愛睦がまだ宿題を終えていないから手伝いなさい」とベッドの腕で横になりながら本を読んでいた藍華は珍しく家に居る仁美の声で溜め息を溢した。
夏休みは一か月半ある。宿題は五教科のワーク(一ワーク二五ページ)のみだ。藍華は一日ワーク一冊というペースで宿題を片付けたので五日で終わった。けれど、明日から学校だと言うのに宿題が終わっていないのは愛睦だけではないだろう。問題は・・・・。
「藍華、聞こえているんでしょう。早く降りて来なさい」
此の声だ。部屋に閉じこもったところで押しかけてくるのだから言うことを聞くしかない。だったらいつものことだから家に居なければいい話なのだが、其れは其れで面倒なのだ。いつかは家に帰らなければいけない。夜に一切手を付けられていないワークをさせられるぐらいなら朝からした方がまだいい。
「何が終わってないの?」
愛睦はリビングのテーブルで宿題をしていた。其の横で仁美がパソコンを弄っている。クリミネルの仕事をしているのだろう。愛睦の近くでするなよなと思いながら藍華はテーブルに乱雑に置かれたワークを手に取る。
「どれをすればいいの?」
終わっているワークはなかった。どれも途中まで手と付けて止まっている。
「いい。字が変わると先生に気づかれるから」
其れならと部屋に戻ろうとした藍華を不機嫌そうな声で仁美が止める。
「手伝いなさい」
と、言われても本人がしなくていいと言うのでどうしようもない。だが、此のまま立ち去っても仁美の怒りが落ちそうだ。どうして、そんなことでいちいち怒るのか藍華には分からない。怒りたいから理由を探しているようにも見える。
まぁ、仁美は藍華のことが気に入らないというか好きではないし、仁美は一度嫌った人間はとことん嫌う質なので藍華を傷めつける理由が欲しいのだろう。其の点のみを考えれば仁美は愛睦を利用しているにすぎない。
まぁ、其の話はさておき此のままじゃあ埒が明かないので藍華は自分の宿題をテーブルの上に置いた。
「此れならいいでしょ」
愛睦は得意な国語は自力でやったが、苦手な英語、理数系は完全に藍華のを写した。社会は見たり見なかったりをしている。読んで分かるところは自分で頑張るようだ。此れでいいのか藍華には判断できないので何も言わないことにした。
「今日の夕飯何かリクエストある?」
「ハンバーグが食べたい」
「また面倒なものを」
「駄目?」
「材料は冷蔵庫にあるからいいよ」
「やった」
冷蔵庫には使いかけのひき肉があった。今日、ハンバーグをするなら買い物はしなくていいことになる。
愛睦の希望通り晩御飯はハンバーグと其れだけでは寂しいのでお味噌汁もつけた。愛睦はまだ宿題が終わっていないようだったが休憩も兼ねて食卓につく。
愛睦、仁美はいつも通り藍華の作った夕飯を食べる。だが、藍華の箸は全くと言っていい程進まない。
「藍華、食べる気がないなら部屋に下がりなさい。見ていて不愉快よ」
仁美の言うことを聞くのは癪だが食欲がないのも事実なので藍華は食事には一切手を付けず部屋に戻った。よく考えてみたら朝から何も食べてはいない。けれど不思議とお腹はすかなかった。
明日は開会式の後は訓練前にクリミネルで定期検査を受ける日となっている。
翌朝も藍華は何も食べずに学校へ行った。夜もあまりというか全く眠れなかった。だが、体の怠さは特になく、学校も昼間までなのでお腹がすけば何か買って帰ろうと思いながら藍華はクリミネルに向かった。
「嗚呼、定期検査なんて面倒ね」
検査着に着替えて結果を待ついずなはつまらなさそうにぼやいていた。
「そうね」と言いながら藍華は一抹の不安を感じる。手にはサン・グラールの指輪が嵌められている。まだ実戦で一度も使ったことがない。使った後は倦怠感で立っていらてなくなるので使うのは慎重にならないといけない。
「黒崎さん、ちょっといいかしら」
「はい」
結果を待っている間、藍華だけが世都子に呼ばれて診察室に入った。
診察室の中には仁美が居る。
「体重が少し減っているようね。昨日、今日とご飯を食べていないようだったけど、他の日はどうなの?」
娘を心配して聞いているわけではない。彼女の仕事にはソルダの健康管理も含まれる。其の上藍華はエヴァンジルを二つも持つ特殊な存在だ。今のところは様子見となってはいるが此の先、どんな症状が現れるかは分からない。
「・・・・食べてないかも」
「食欲がないということでいいのね」
「はい。お腹が全く好かなくて」
「他に症状は?」
「夜、目が冴えて眠れないことぐらいです」
「そう」
「シン国での出来事と何か関係があるんですか?」
「まだ分からないは。遺伝子の変化以外に何も見受けられないし、そもそも実戦ではまだ使用していないしね。使用する回数が増えれば何かしらの症状が現れても不思議ではないけれど」
「そうですか」
結局はまだ様子見なのだ。
「他の子達にも異常はないから訓練に行くように伝えて」
「分かりました」
藍華が診察室を出て行った後、仁美は神山鷹人の検査結果をパソコンに映し出し、溜息をつく。
「先生、鷹人君は」と世都子が躊躇いがちに聞いて来る。仁美は答える代わりに「勝成さんに報告して来る」と言って診察室を出た。
一人残された世都子は涙を堪え、本業か副業か分からない黒崎記念病院の看護師という表の仕事に戻った。
藍華達は検査が終わり、訓練に向かっているとクリミネル内で警報が鳴った。久し振りの出陣となる。
「場所は品川区」
「また市街地」
武蔵野、日野ではトライゾン製の謎の装置が発見され、其れがどうもサウロンの出現と関係があるようだ。勝成が隼人を通して抗議をしたが当然のことながら「知らぬ存ぜぬ」を通された。一応、隼人が内密に調べているみたいだが内部に裏切り者が居る可能性があるので覚悟しておいた方がいいと勝成は隼人に言われたのだ。
そして今回の警報。旧市街との境目にない場所でのサウロンの出現。こうも頻繁に起こると国民にサウロンのことを隠し通すのが難しくなる。
「ラ・モールか?」
勝成が確認を取ると朝子はコンピューターに映し出されたものを見つめ、首を振った。
「ディアーブルです。既に何人もの人間が憑依されています」
此処に来て初の憑依だ。
「勝成さん」
たまたま鷹人のことを報告しに来ていた仁美がモニターを観ながら「お願いがあります」と言った。
「何だ?」
「今回の闘いで藍華にサン・グラールを使うように指示してください」
「危険だ!使用後、藍華ちゃんは動けなくなるんだぜ。確かに他のエヴァンジルに比べて力は大きいかもしれないが其の分、藍華ちゃんにだって負担が行く。其れに今回の相手はディアーブルだ。サン・グラールを使うような相手じゃない」
真っ先に反論したのは伯明だ。此れは予想の範囲内。だから仁美は此処で引き下がるつもりはなかった。
「実戦で使わなければデータは得られないわ」
「訓練で三度、サン・グラールの発動に成功したという報告は受けているが藍華自身に何か症状が出ているか?」
「いいえ、まだ目立った症状は出てはいません」
「そうか。なら許可しよう」
「勝成!」
「使えるうちに使っておくべきだ」
「其れは、藍華ちゃんが生きているうちにってことか?」
「今此処でデータが得られれば万が一が起きても次のソルダに受け継ぐことが可能かもしれない。其れに、どんなデータがソルダの弱点に役立つか分からない。ならばデータは多い方がいいだろう」
ソルダの弱点。其れは生身の人間であること。其の為、寿命が短いことだ。
「ふざけるな!アンタは藍華ちゃんを犠牲にするつもりか」
「指令」
伯明と勝成が言い争っていることなど露知らず、藍華、いずな、舞子、鷹人、蒼空がコントロールルームに集まった。
「品川でディアーブルを観測。直ぐに殲滅しろ」
「「「「「はい」」」」」
「其れと一宮舞子は残る様に」
「え、でも」
「君は補欠だ。其れに二,三回実戦しただけで体が負荷に耐えられず体調を崩したそうだな。病み上がりで万全ではない君を出すのは返って他のソルダの迷惑になる」
「はい」
もっと他に言い方はないのかという目で伯明が睨んできたがこういうのは遠回しに言うよりはっきり言った方がいいというのが勝成の考えなので訂正する気はない。




