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第16章 変わらない日常

カナが大学のサークル旅行に行く日が近づいていた。


「ナオト、うちの旅行の日、ちゃんと覚えてる?」


 夕食を食べ終え、ソファでくつろいでいたときだった。


「覚えてるよ。明後日からだろ?」


「そう!一泊二日やで!」


 カナはスマートフォンを操作しながら、楽しそうに笑った。


「なんか、めっちゃ久しぶりやねん。みんなで旅行行くの」


「大学の友達と?」


「せやで!サークルの子らと。前から計画しててん!」


「そっか。楽しんでおいで」


「うん!」


 カナは返事をすると、直人の肩に頭を預けた。


「ナオト、寂しくならへん?」


「一泊二日だろ?」


「それはそうやけど!」


「まあ、ちょっとは寂しいかもな」


 そう答えると、カナは顔を上げた。


「えへへ。ほな、帰ってきたらいっぱい甘えたるな!」


「はいはい」


「また適当な返事!」


 カナが直人の腕を軽く叩く。


 直人は笑いながら、その手をつかんだ。


 そんなやり取りをしながら、二人はいつもの夜を過ごした。


     


 旅行当日の朝。


 カナはいつもより早く起きて、出かける準備をしていた。


「えっと、着替え入れたやろ?充電器も入れたし……」


「忘れ物ない?」


「大丈夫やって!」


 そう言いながら、カナはもう一度バッグの中を確認した。


「・・・ほんまに大丈夫?」


「さっきから確認しすぎやって!」


 カナは笑いながら、バッグのファスナーを閉めた。


「ナオト、お母さんみたいやな」


「心配して何が悪いんだよ」


「悪いなんて言うてへんやん」


 カナはそう言って、直人の腕に抱きついた。


「ありがとな」


「・・・どういたしまして」


 玄関で靴を履き、カナは振り返った。


「ほな、行ってくるな!」


「うん。気をつけて」


「お土産、楽しみにしときや!」


「期待してるよ」


「任せとき!」


 カナは笑顔で手を振り、出かけていった。


 扉が閉まる。


 直人はしばらく玄関に立っていたが、すぐに自分も出かける準備を始めた。


 今日も仕事がある。


 カナが旅行を楽しんでいる間、自分もいつもどおり働くだけだ。


 そう思いながら、直人は家を出た。


     


 昼休憩に入った直人がスマートフォンを見ると、カナからメッセージが届いていた。


『今みんなでご飯食べてるで!』


 続けて、料理の写真が送られてくる。


『めっちゃおいしい!』


 直人は思わず笑った。


『よかったな。食べすぎるなよ』


 すぐに返信が来た。


『なんでやねん!笑』


『いや、帰ってきたら太ってるんじゃないかと思って』


『ナオトひどすぎ!もうお土産買ったらへん!』


『それは困るな』


『もう遅いわ!笑』


 直人は画面を見ながら小さく笑い、スマートフォンをしまった。


 休憩時間はまだ残っていたが、そろそろ仕事に戻る時間だった。


 夕方にも、カナから写真が届いた。


 今度は旅行先の景色だった。


 空が広く、遠くまで見渡せる場所らしい。写真の端には、一緒に来ているらしい友達の姿も写っていた。


『ここ、めっちゃきれいやってん!』


『いい景色だな』


『せやろ!ナオトとも来たいわ!』


『今度一緒に行こうな』


『約束やで!』


 直人はそのメッセージを見て、今度の休みにどこへ出かけようかと考えた。


 以前、二人で行った神戸もよかった。


 今度はもう少し遠くまで足を延ばしてみるのもいいかもしれない。


 そんなことを考えながら、直人は仕事に戻った。


     


 翌日の夕方、カナが帰ってきた。


「ただいまー!」


 玄関の扉が開くなり、明るい声が響いた。


「おかえり。楽しかった?」


「めっちゃ楽しかった!」


 カナは靴を脱ぎ、バッグを置くと、そのまま直人に抱きついた。


「はあー、やっぱり家が一番落ち着くわ!」


「まだ一日しか経ってないだろ」


「それでもやん!」


 カナは顔を上げた。


「ナオト、寂しかった?」


「・・・まあ、少しは」


「えへへ!」


 満足そうに笑うカナを見て、直人も笑った。


 それからカナは、旅行中に何があったのかを話し始めた。


 みんなで食べた料理のこと。


 夜遅くまで友達と話していたこと。


 予定していた場所へ行く途中、道を間違えかけたこと。


 どれも特別な出来事ではなかったが、カナは身振り手振りを交えながら楽しそうに話していた。


「それでな、みんなで写真もいっぱい撮ってん!」


「見せてよ」


「ええで!」


 カナはスマートフォンを取り出し、直人の隣に座った。


 二人で画面を覗き込みながら、写真を一枚ずつ見ていく。


 料理の写真。


 景色の写真。


 友達と並んで撮った写真。


 カナが笑っている写真を見るたびに、直人も自然と笑顔になった。


「これ、めっちゃええ感じに撮れてるやん!」


「本当だ。きれいに撮れてるな」


「せやろ?うち、写真撮るの上手いやろ!」


「自分で言うんだ」


「当たり前やん!」


 カナは得意げに胸を張った。


 次の写真へ画面を送ったとき、直人はふと手を止めた。


 そこには、カナと何人かの友達が写っていた。


 その中の一人の男に、見覚えがあった。


 少し前の写真にも写っていた男だった。


 直人はそのまま何枚か写真を送ってみた。


 別の場所で撮った写真にも、同じ男が写っている。


「この人、同じサークルの友達?」


 何気なく尋ねると、カナは画面を覗き込んだ。


「せやで!」


「そうなんだ」


「うん。みんなでおったからな!」


「へえ」


 直人は、それ以上何も聞かなかった。


 サークルの旅行なのだから、同じ友達と何枚も写真を撮るのは普通のことだ。


 それに、カナにはカナの大学生活がある。


 自分の知らない友達がいても、不思議ではない。


「この写真もいいな」


「ほんま? これ、うちもお気に入りやねん!」


 カナは嬉しそうに笑い、次の写真へと画面を送った。


 直人も、そのまま写真を見るのを楽しんだ。


 同じ男が何枚かの写真に写っていたことは、少しだけ印象に残った。


 けれど、それだけだった。


     


 それから数週間が過ぎた。


 直人は仕事に出かけ、カナは大学へ通う。


 帰宅すれば一緒に夕食を食べ、休日には二人で買い物に出かけたり、家でのんびり過ごしたりした。


 カナは相変わらずよく笑い、直人に甘えてきた。


 仕事で疲れて帰ってきた日には、ソファに座る直人の隣へやってきて、当然のように肩へ寄りかかる。


「ナオト、今日もお疲れさま!」


「お前も大学お疲れ」


「うん!」


 そんな短いやり取りを交わしながら、二人は夕食の準備をした。


 一方で、カナが大学の友達と出かける機会も少しずつ増えていた。


 授業が終わったあとに食事へ行ったり、友達と話し込んで帰りが遅くなったりする日がある。


 ある日の夜も、カナの帰宅はいつもより遅かった。


「ただいまー!」


「おかえり。今日は遅かったね」


「ごめんな! 大学の友達と話してたら、思ったより時間経ってもうて」


「そっか。夕飯は?」


「食べてきたで!」


「分かった。じゃあ、俺だけ食べるね」


「うん! あ、ナオト、今日な・・・」


 カナはバッグを置き、その日の出来事を話し始めた。


 誰と何を話したのか。


 授業でどんなことがあったのか。


 友達と何を食べたのか。


 直人は食事をしながら、いつもどおり話を聞いた。


 カナの説明に不自然なところはなかった。


 大学生活が楽しくなってきたのだろう。


 直人はそう思った。


 自分が東京にいた頃も、仕事や夢を追いかける毎日だった。


 カナにも、カナ自身の時間がある。


 それは当たり前のことだ。


 だから、直人は何も気にしなかった。


 ただ、カナが大学の話をしているとき、ふと旅行の写真に写っていた男の顔を思い出すことがあった。


 あの人も、今日一緒にいたのだろうか。


 一瞬だけ、そんな考えが浮かぶ。


 けれど、すぐに頭から追い出した。


 友達なのだから、一緒にいても何もおかしくない。


 直人はカナの話に意識を戻した。


「・・・でな、ほんまにおもろかってん!」


「そっか」


「うん!」


 カナは楽しそうに話を続けた。


 直人はその声を聞きながら、残っていた夕飯を口に運んだ。


     


 ある休日の夜。


 二人は家で夕食を済ませ、ソファでくつろいでいた。


 テレビをつけてはいたが、どちらも番組の内容を真剣に見ているわけではなかった。


 カナはスマートフォンを触っていたが、やがてそれをテーブルに置いた。


「ナオトー」


「ん?」


「こっち来て」


「隣にいるだろ」


「もっとこっち!」


 そう言って、カナは直人の腕を引っ張った。


 直人が少し身体を寄せると、カナは満足そうにその肩へ頭を預けた。


「これでよし!」


「何なんだよ、もう」


「ええやん。くっついときたいねん」


 直人は小さく笑い、カナの肩に腕を回した。


 テレビからは、聞き覚えのある音楽が流れていた。


 カナは何かを思い出したように顔を上げ、今日大学であった出来事を話し始める。


 直人は相槌を打ちながら、ときどき彼女の髪を指先でいじっていた。


 しばらくして、カナが再び直人の肩に頭を預けた。


「・・・眠いん?」


「んーん。こうしてたいだけ」


「そっか」


 直人はそれ以上何も言わず、彼女の肩を抱き寄せた。


 カナは小さく笑い、直人の腕に自分の腕を絡めた。


 テレビの音を聞きながら、二人はしばらくそうしていた。


 やがてカナが顔を上げた。


「なあ、明日休みやろ?」


「うん」


「お昼、何食べに行こか?」


「また食べること?」


「ええやん!楽しみやねんもん!」


 カナは笑いながら、スマートフォンを手に取った。


「ここは?前から気になっててん!」


 画面を見せられ、直人は少し身を乗り出した。


「いいんじゃない? 行ってみようか」


「やった!」


 カナは嬉しそうに笑い、すぐに店の情報を調べ始めた。


 直人はその横顔を眺めながら、明日の予定を考えていた。


 朝は少しゆっくり起きて、昼前に出かければいい。


 帰りに買い物をして、夜は家で食事を作ろう。


 そんな何気ない予定を思い浮かべながら、直人はカナの肩にもう一度腕を回した。


 カナは当たり前のように、その腕に寄りかかった。


 いつもと変わらない夜だった。




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