第15章 二人で描く未来
関西での生活が始まってから、しばらくの時間が過ぎた。
直人は朝早く起きて仕事へ向かい、香奈は大学へ通う。帰宅する時間は日によって違うけれど、
夜になれば二人で食事をして、その日にあったことを話す。
東京にいた頃とは違う生活。
俳優を目指して上京した自分が、まさか関西で働きながら暮らしているなんて、以前の直人なら想像もしなかっただろう。
それでも、隣には香奈がいる。
それだけで、今の生活が少しずつ自分のものになっていく気がした。
ある休日、二人は直人の車で出かけていた。
特に目的地を決めていたわけではない。香奈が「天気ええし、どっか行こ!」と言い出したのがきっかけだった。
昼食を食べ、気になった店に立ち寄り、帰り道には少し遠回りをした。
夕方の光がフロントガラスから差し込んでくる。
「なあ、ナオト」
「ん?」
「今日、楽しかったなあ」
「そうだな。何か特別なことをしたわけじゃないけど」
「そういうのがええねん。ナオトと一緒やったら、どこ行っても楽しいし」
香奈は助手席で笑った。
直人は前を向いたまま、小さく笑い返した。
「・・・俺も、香奈といると楽しいよ」
「ほんま?」
「ほんと」
「えへへ」
嬉しそうに笑う香奈を見ていると、自然と頬が緩んだ。
しばらく二人で他愛もない話をしていたが、信号待ちで車が止まったとき、香奈がふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、ナオト」
「うん?」
「うちらって、これからもずっと一緒におるんかな?」
直人は少しだけ香奈の方を見た。
「・・・急にどうしたの?」
「いや、なんとなく。これから先もずっと一緒におるんかなって思って」
香奈は窓の外へ目を向けた。
「大学卒業して、仕事して、何年も経って・・・。そういう先のこと考えたら、ちょっと気になってもうて」
信号が青に変わる。
直人は車を発進させながら、少し考えた。
「俺は、一緒にいたいと思ってるよ」
「・・・ほんまに?」
「うん」
「じゃあさ」
香奈が直人の方へ身体を向けた。
「いつか、うちと結婚してくれる?」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
直人は思わず香奈を見た。
「・・・結婚?」
「うん。まだすぐにってわけやないで? お互い仕事もあるし、大学もあるし。でも、いつかは結婚したいなって」
香奈は少し照れくさそうに笑った。
「・・・あかん?」
直人はすぐには答えなかった。
結婚。
以前の自分にとっては、ずっと先の話だった。
俳優になりたくて東京へ出て、仕事も生活も安定しないまま、目の前のことだけを追いかけていた。
いつか成功したら。
いつか自信が持てるようになったら。
そんなふうに、未来のことは後回しにしてきた。
けれど今は、隣に香奈がいる。
この先も一緒に暮らして、年を重ねて、何気ない毎日を過ごしていく。
そんな未来を想像すると、不思議と悪くなかった。
「・・・うん」
直人は静かに答えた。
「いつか、ちゃんと結婚しよう」
「・・・ほんま?」
「うん。約束する」
香奈は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと笑顔になった。
「やった!絶対やで!」
「分かってるって」
「忘れたらあかんからな!」
「忘れないよ」
香奈は嬉しそうに笑いながら、直人の腕にそっと触れた。
「・・・楽しみやなあ」
その声を聞いて、直人も笑った。
まだ何も決まっていない。
いつ結婚するのかも、どんな生活を送るのかも分からない。
それでも、二人で未来の話ができたことが嬉しかった。
いつか本当に、香奈と家族になれたら。
直人はそんなことを考えながら、家までの道を運転した。
数日後。
夕食を終え、二人でソファに座っていたとき、直人はふと思い出した。
「そういえば、最近、実家に帰ってないな」
「九州の?」
「うん。こっちに来てから、一度も帰ってないし」
「そっかあ」
香奈は少し考えてから、直人の方を向いた。
「・・・なあ、うちも一緒に行ってええ?」
「え?」
「ナオトの実家。お母さんにも、ちゃんと会ってみたいねん」
直人は少し驚いた。
「もちろんいいけど。母さん、喜ぶと思うよ」
「ほんま?やった!」
香奈は嬉しそうに両手を合わせた。
「ナオトの昔の話も聞きたいし、どんなところで育ったんかも見てみたい!」
「昔の話って・・・別に面白いことなんてないよ」
「そういうのが聞きたいんやん!」
直人は苦笑した。
「じゃあ、今度の休みに合わせて帰るか。二泊三日くらいで」
「うん!楽しみ!」
それから直人は母親に電話をかけた。
久しぶりに聞く声は、相変わらずだった。
『もしもし?どうしたの、直人』
「母さん、久しぶり。元気?」
『元気よ。あんたこそ、ちゃんとご飯食べてるの?』
「食べてるって」
『本当かねえ』
そんなやり取りに、直人は思わず笑った。
「今度さ、そっちに帰ろうと思って」
『えっ、本当に?』
「うん。二泊三日くらいで。彼女も一緒なんだけど、いい?」
一瞬の沈黙のあと、母親の声が明るくなった。
『まあ! 彼女も来るの?』
「うん。香奈っていうんだけど」
『もちろんいいに決まってるでしょう!いつ来るの?何が好きなの?何か用意しておいた方がいいかしら』
「ちょ、ちょっと待って。まだ日程も決めてないから」
『あら、ごめんごめん。でも、楽しみだねえ』
電話の向こうから伝わってくる嬉しそうな声に、直人の頬も自然と緩んだ。
「じゃあ、日程が決まったらまた連絡するよ」
『うん。気をつけて帰っておいでね』
電話を切ると、香奈がすぐに尋ねてきた。
「お母さん、なんて?」
「めちゃくちゃ喜んでたよ。何が好きなのかとか、いろいろ聞かれた」
「えー! 嬉しい!」
香奈は頬を緩めた。
「うち、お土産も買っていこうかな。何がええやろ?」
「そんなに気を遣わなくていいよ」
「ええやん! 初めて会うんやから、ちゃんとしたいねん」
その言葉を聞いて、直人は嬉しくなった。
自分の大切な人同士が、仲良くなってくれる。
それは思っていた以上に、幸せなことなのかもしれなかった。
九州へ帰る日。
二人は朝早くから準備をして、駅へ向かった。
新幹線に乗り込むと、香奈は窓際の席に座り、流れていく景色を眺めていた。
「なあ、ナオト」
「ん?」
「もうすぐナオトの地元に行くんやなあ」
「そうだね」
「なんか、ちょっと緊張してきたわ」
「なんで?」
「だって、お母さんに会うんやで? 嫌われたらどうしようって思うやん」
直人は思わず笑った。
「大丈夫だよ。母さん、きっと香奈のこと気に入ると思う」
「ほんま?」
「うん。香奈は誰とでもすぐ仲良くなれるし」
「それ、褒めてる?」
「褒めてるよ」
「えへへ。ほんなら、いっぱいお話しよ!」
香奈は安心したように笑った。
長い移動の途中、二人は何度か飲み物を買ったり、軽く食事をしたりしながら過ごした。
普段の休日よりも長い時間を一緒に過ごしているのに、不思議と話題は尽きなかった。
やがて乗り換えを済ませ、目的の駅が近づいてきた。
直人は窓の外へ目を向けた。
久しぶりに見る故郷の景色。
東京へ出たときは、もうここへ戻ることなんてないかもしれないと思っていた。
それなのに今は、隣に香奈がいる。
「・・・懐かしいな」
「ここがナオトの地元なん?」
「うん。もうちょっと先だけど」
「そっかあ」
香奈は景色を眺めながら、嬉しそうに笑った。
「ナオトが育った場所なんやなあ」
その言葉が、直人にはなんだか嬉しかった。
駅に着くと、改札の向こうで母親が待っていた。
直人が声をかけると、母親はすぐに気づいて笑顔になった。
「おかえり、直人!」
「ただいま」
久しぶりに顔を合わせる母親に、直人は少し照れくさそうに笑った。
母親はすぐに香奈へ目を向けた。
「あなたが香奈ちゃんね?」
「はい!初めまして、香奈です!」
香奈は丁寧に頭を下げた。
「まあ、かわいらしい子ねえ!遠いところからありがとう。疲れたでしょう?」
「いえ、全然です!お会いできるの、ずっと楽しみにしてたんです!」
「あら、嬉しいこと言ってくれるねえ。ほら、そんなところに立ってないで。荷物、車に積んじゃいましょう」
「ありがとうございます!」
母親は香奈の荷物を持とうとしたが、香奈がすぐに手を伸ばした。
「あ、うちが持ちます!」
「いいのよ、いいのよ」
「そんな、悪いです!」
「じゃあ、一緒に持とうか」
「はい!」
二人は笑いながら荷物を運んでいった。
その様子を見ていた直人は、思わず呟いた。
「・・・もう仲良くなってる」
母親が振り返る。
「何言ってるの。こんなかわいい子が来てくれたんだから、嬉しいに決まってるでしょう」
「いや、そうだけどさ・・・」
「直人、ちゃんと大切にするんだよ」
「・・・分かってるよ」
母親は満足そうに笑い、車へ向かった。
三人で車に乗り込み、実家へ向かう。
道中、母親は香奈にいろいろなことを尋ねていた。
大学のこと、関西での生活のこと、直人との出会い。
香奈も楽しそうに答え、車内はずっと賑やかだった。
「直人、ちゃんとやってる?」
「やってるよ」
「そう? 香奈ちゃん、何かあったら遠慮なく言ってね」
「はい!でも、ナオトはちゃんと頑張ってくれてますよ」
香奈はそう言って、直人の方を見た。
「毎日お仕事頑張ってるし、うちのことも大切にしてくれるし!」
「・・・そんなに褒めなくていいよ」
「なんで? ほんまのことやん!」
母親は二人を見て、嬉しそうに目を細めた。
「そっか。直人がそんなふうに頑張ってるなら、お母さんも安心だね」
直人は照れくさくなり、窓の外へ目を向けた。
こんなふうに、二人が仲良くしてくれる。
それだけで、帰ってきてよかったと思えた。
実家に着くと、母親は二人を家の中へ案内した。
久しぶりに入る家は、懐かしい匂いがした。
「荷物は部屋に置いてね。ゆっくりしていって」
「ありがとうございます!」
香奈は家の中を見回しながら、楽しそうにしていた。
「なんか、落ち着くお家やなあ」
「そう?」
「うん。ナオトがここで育ったんやなって思うと、なんか不思議」
直人は少し照れくさそうに笑った。
夕食の時間になると、食卓には母親の手料理が並んだ。
香奈は料理を一口食べるたびに、嬉しそうに感想を伝えていた。
「これ、めっちゃおいしいです!」
「本当?よかった。まだまだあるから、たくさん食べてね」
「ありがとうございます!うち、こういうご飯大好きです!」
「まあ、嬉しいねえ」
母親もすっかり上機嫌だった。
直人は二人のやり取りを見ながら、苦笑する。
「母さん、そんなに気を遣わなくても大丈夫だよ」
「何言ってるの。香奈ちゃんが喜んでくれてるんだから、いいじゃない」
「そうやで、ナオト! お母さんのご飯、ほんまにおいしいもん!」
「・・・はいはい」
香奈は笑い、母親もつられて笑った。
食事が進むにつれ、話題は自然と直人の子どもの頃の話になっていった。
「そういえば、直人は小さい頃、よく外で遊んでたんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「そうそう。暗くなるまで帰ってこなくてねえ。何度呼びに行ったことか」
「母さん、もういいって」
「それに、小学生の頃はね・・・」
「ちょっと!」
香奈は身を乗り出して聞いていた。
「えー!ナオト、そんなことしてたん!?」
「昔の話だから!」
「もっと聞きたいです!」
「香奈まで・・・」
母親は楽しそうに笑いながら、次々と昔話を続けた。
香奈はその一つひとつに大きく反応し、直人は何度も恥ずかしい思いをすることになった。
けれど、嫌ではなかった。
自分が昔どんな子どもだったのか。
どんな場所で育って、どんな時間を過ごしてきたのか。
そういうことを、香奈が楽しそうに聞いてくれている。
それが、思っていた以上に嬉しかった。
食事のあとも、三人でお茶を飲みながら話をした。
母親は香奈に大学のことを尋ね、香奈は関西での生活や、直人との毎日のことを楽しそうに話した。
気がつけば、ずいぶん遅い時間になっていた。
「もうこんな時間か。明日はどこか行くの?」
母親に尋ねられ、直人は頷いた。
「うん。昔よく行ってた場所を香奈に案内しようと思って」
「あら、いいじゃない。車、明日使っていいからね」
「いいの?」
「もちろん。せっかく帰ってきたんだから、二人でゆっくりしておいで」
「ありがとう、母さん」
「お母さん、ありがとうございます!」
「いいのよ。楽しんできてね」
香奈は嬉しそうに笑った。
直人も笑い返しながら、明日が楽しみになっていた。
二日目。
朝食を済ませると、直人は母親から車の鍵を借りた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん。気をつけてね」
「行ってきます!」
香奈も元気よく挨拶をして、直人と一緒に車へ乗り込んだ。
運転席に座った直人は、久しぶりに走る地元の道を眺めた。
「今日は、昔よく行ってた場所を案内するよ」
「やった!楽しみ!」
車を走らせながら、直人は子どもの頃の話をした。
友達と遊んだ場所。
学校帰りに立ち寄った店。
特別な観光地ではないけれど、直人にとっては思い出の詰まった場所ばかりだった。
最初に立ち寄ったのは、子どもの頃によく遊んでいた場所だった。
「ここで遊んでたん?」
「うん。友達と集まって、よく遊んでたよ」
「へえー!ナオトにもこんな時代があったんやなあ」
「どういう意味だよ」
「だって、今はなんか大人っぽいやん?」
「……それ、褒めてる?」
「もちろん!」
香奈は笑いながら、周囲の景色にスマートフォンを向けた。
カシャッ、とシャッター音が鳴る。
「何撮ったの?」
「ん? 景色! なんかええなあって思って」
「そっか」
直人はそれ以上気にせず、昔の思い出を話し始めた。
香奈は時折質問を挟みながら、楽しそうに耳を傾けていた。
そのあとも、二人は地元の店で食事をし、直人が学生時代によく立ち寄っていた場所を訪れた。
「ここ、昔からあるんだよ」
「へえー! ナオトの思い出のお店なんやね」
「まあ、そんなところかな」
「じゃあ、ここも記念に撮っとこ!」
香奈は食事や店先の景色を写真に収めた。
直人も何枚か写真を撮り、二人で並んで写る写真も残した。
香奈は撮った写真を確認しながら、何度も笑っていた。
「見て見て、これええ感じちゃう?」
「ほんとだ。きれいに撮れてるね」
「やろ?」
何気ない景色も、二人で見れば少し特別なものに感じられた。
昼過ぎには、少し開けた場所で車を止め、景色を眺めた。
遠くまで続く空と、静かな町並み。
都会のような賑やかさはない。
けれど、直人が昔から知っている景色だった。
「・・・なんか、懐かしいな」
直人が呟くと、香奈が隣に立った。
「帰ってきてよかった?」
「うん。久しぶりに帰ってきたら、やっぱり懐かしいよ」
「そっか」
香奈は景色を眺めながら、そっと直人の手を握った。
「連れてきてくれて、ありがとうな」
「・・・どういたしまして」
「ナオトがどんなところで育ったんか、ちょっと分かった気がする」
直人は香奈を見た。
「まだまだ知らないことばっかりだと思うけど」
「じゃあ、これからいっぱい教えてな」
「うん」
香奈は笑った。
その笑顔を見ていると、直人はこの旅行を計画してよかったと思った。
自分の思い出を、香奈と一緒に振り返る。
今まで一人で覚えていた景色が、二人の思い出に変わっていく。
それが、なんだか嬉しかった。
夕方には実家へ戻った。
母親は二人の帰りを待っていて、夕食の準備をしながら声をかけてきた。
「どうだった?楽しめた?」
「はい!ナオトの昔の話、いっぱい聞けました!」
「そうでしょう。まだまだあるんだから」
「えっ、ほんまですか!?」
「母さん、もういいって……」
またしても二人の笑い声が響く。
直人は呆れたようにため息をついたが、その表情はどこか嬉しそうだった。
夕食のあとも、三人でゆっくりと過ごした。
明日には帰らなければならない。
そう考えると、少しだけ名残惜しかった。
三日目の朝。
食卓には、母親が用意してくれた朝食が並んでいた。
香奈は最後まで楽しそうに食事をし、母親に何度もお礼を伝えた。
「お母さん、ほんまにありがとうございました!」
「いいのよ。またいつでも帰っておいでね」
「はい! 絶対また来ます!」
「直人も、今度はもう少しゆっくり帰ってきなさい」
「分かってるよ。また帰ってくるから」
食事を終え、荷物をまとめる。
母親は駅まで二人を送ってくれることになっていた。
出発する直前、母親は香奈の手をそっと握った。
「香奈ちゃん」
「はい?」
「またいつでも帰っておいでね。今度はもっとゆっくりしていって」
香奈は一瞬驚いたあと、優しく笑った。
「・・・はい。絶対また来ます!」
「うん。待ってるからね」
二人は笑い合った。
その様子を見ていた直人は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
駅まで送ってもらい、改札へ向かう。
「じゃあ、またね。母さん」
「うん。気をつけて帰りなさいよ」
二人は母親に手を振り、改札を通った。
ホームへ向かう途中、香奈が口を開いた。
「・・・ええお母さんやなあ」
「うん。昔からあんな感じだよ」
「うち、また会いたいな」
「いつでも会えるよ。また帰ってこよう」
「ほんま? 約束やで!」
「うん、約束」
香奈は嬉しそうに笑った。
直人も笑い返し、二人は並んで電車に乗り込んだ。
自分の故郷を、香奈に見せることができた。
母親と香奈が仲良くなってくれた。
そして、いつか結婚しようという約束もした。
この三日間で、二人の未来が少しだけ具体的になった気がした。
関西へ戻って数日後。
二人は夕食を終え、ソファに並んで座っていた。
香奈がスマートフォンを取り出し、九州旅行の写真を見せてくれる。
「なあ、ナオト。これ見て!」
「ん?」
「この写真、めっちゃよく撮れてへん?」
画面には、九州の景色や食事、二人で撮った写真が並んでいた。
「ほんとだ。いい写真ばっかりだね」
「やろ? また行きたいなあ」
「うん。また行こう」
直人は写真を眺めながら、旅行のことを思い返した。
母親の笑顔。
香奈が楽しそうに昔話を聞いていた姿。
二人で巡った、懐かしい場所。
どれも大切な思い出だった。
「・・・楽しかったな」
直人が呟くと、香奈は肩を寄せてきた。
「うん。めっちゃ楽しかった!」
直人は香奈の肩を抱き寄せた。
この先、どんなことがあるのかは分からない。
仕事で苦労することもあるだろうし、思いどおりにならないことだってあるはずだ。
それでも、香奈と一緒にいられるなら。
いつか本当に家族になれるなら。
きっと、これからも頑張っていける。
直人はそう思っていた。
その数日後のことだった。
「なあ、ナオト」
大学から帰ってきた香奈が、いつものように直人の隣へ座った。
「ん? どうしたの?」
「今度な、大学のサークルで一泊旅行に行くことになってんねん」
「へえ、旅行?」
「うん! みんなで行くんやって。めっちゃ楽しみ!」
「そっか。いいじゃん。楽しんでおいでよ」
「ええの?」
「なんで? 楽しんできなよ」
直人が笑って答えると、香奈も嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ナオト!」
「気をつけて行ってこいよ」
「うん!」
香奈は直人の腕に寄り添った。
直人は、その頭を優しく撫でた。
疑う理由など、何もなかった。
大切な彼女が、大学の友達と旅行に行く。
ただ、それだけのことだった。
九州で過ごした三日間も、結婚の約束も、母親と笑い合っていた香奈の姿も。
直人にとっては、これから先もずっと大切にしていきたい思い出だった。
そして彼は、これからも二人で幸せな未来を描いていけると、心から信じていた。




