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魔法と魔術の違いについて

 とある作品では、主人公たちが使う技術を魔術とよび魔法と区別している。師匠は主人公に「魔法と魔術は根っこから考え方が違う」「中途半端に混ぜると余計にわからなくなる」と説明する。


 この台詞は、この作品における魔法と魔術の違いを端的に表現している。両者は似たような力ではなく、世界を捉える思想そのものが異なるという設定なのだろう。


 実際、続く主人公が教える場面でも、その違いが示されている。

 学園で教えられている魔法は、「風よ、吹け」と世界へ命じるものだという。つまり、術者は結果だけを望み、その結果が生じる仕組みについては意識しない。「風を起こす」という現象そのものを魔法によって実現させる考え方である。


 一方で、主人公が教える魔術では、「風とは空気が動くことである」と定義し、「空気は既にそこに存在するのだから、それを動かせば風になる」と説明する。


 つまり、結果ではなく過程を自分で構築するという考え方なのである。

 このように文章だけを読むならば、魔法は現象を直接発生させる技術、魔術は自然法則を利用して現象を組み立てる技術として区別したいのだろうという意図は理解できる。


 しかし、実際の描写を踏まえると、この区別はそれほど明確ではない。

 まず疑問になるのは、「空気を動かす」という行為そのものが、十分に超常現象であるという点である。

 現実世界では、人間は念じるだけで空気分子を自由自在に動かすことはできない。

 仮に空気分子を任意に動かせるのであれば、それは十分に魔法的能力である。


 つまり、「風を創る」ことと、「空気を動かして風を作る」

ことは、説明の仕方が違うだけで、本質的にはどちらも超常現象である。

 前者は結果を直接操作し、後者は原因を直接操作しているだけであり、現実にはどちらも自然法則を逸脱している。


 したがって、「結果をお願いする」のが魔法で、「過程を自分でやる」のが魔術という説明だけでは、本質的な違いにはなっていない。

 これは物理学でいう「境界条件」と「運動方程式」の違いに近い。

 風を起こすという結果だけ指定するのか、それとも空気分子の運動を指定するのか。

 どちらも世界を直接書き換えている以上、魔法体系としては同じ系統に属している。


 次に問題となるのは、「空気を動かすだけ」という表現である。

 空気は粘性を持つ流体であり、周囲との摩擦や乱流も発生する。

 「空気を動かすだけ」という一文の裏には、本来なら流体力学の複雑な計算が存在する。


 もし本当に過程を重視する魔術なのであれば、

 どの空気を、どれだけ、どの速度で、どの方向へ、どのくらいの時間加速させるのか、

 という細かな制御まで術者が行わなければならない。


 ところが作品では、そのような描写は存在しない。

 結果として、「空気を動かす」と言った瞬間に都合の良い風が発生している。

 これでは結局、「風よ吹け」と命じる魔法と大きな違いはない。

 説明だけが科学的になったように見えても、実際の処理はブラックボックスのままである。


 さらに興味深いのは、「結果をお願いする」という表現である。

 この世界では魔法は世界へお願いするものらしい。

 しかし、その「世界」とは何なのか。意思を持った存在なのか。自然法則そのものなのか。

 あるいは魔力というシステムなのか。ここが定義されなければ、「お願いする」という説明自体が曖昧になる。

 一方で魔術は過程を自分で行うという。


 しかし空気を自在に操作する能力自体が世界から与えられた超常能力であるならば、それも結局は世界のシステムを利用していることになる。

 つまり両者は程度の違いでしかなく、思想が根本から異なるというほどの差には見えない。


 もちろん、この作品が描きたいことは理解できる。

 魔法とは感覚的に結果を引き起こす技術であり、魔術とは世界の仕組みを理解して現象を組み立てる知的な技術として差別化したかったのだろう。

 その発想自体は面白い。

 科学と魔法を融合させた世界観としても魅力がある。


 しかし、その違いを成立させるためには、「空気を動かす」という一言だけでは足りない。

 なぜ空気を動かせるのか。魔力はどこへ作用するのか。エネルギー保存則はどう扱われるのか。質量保存則はどうなるのか。

 そうした部分まで一貫した理屈が示されて初めて、「魔法」と「魔術」は本当に異なる体系として成立する。


 次に水の魔術が教えられる。ここでも作品は、魔法と魔術の違いを「結果を起こすか、過程を操作するか」という考え方で説明している。

 学園で教えられている魔法は、水を出したいときに「水よ、現れよ」と結果を世界へ求める技術である。一方、魔術では、水は空気中に水蒸気として存在しているため、新たに生み出すのではなく、それを集めれば水になるという理屈が語られる。


 つまり、魔法は現象そのものを発生させる技術であり、魔術は自然界に存在するものを利用し、現象を組み立てる技術として区別されているのである。

 この考え方は、現代科学に近い発想と言える。単なる「魔法だからできる」ではなく、理由付けを行おうとする姿勢には一定の説得力がある。

 しかし一方で、て現実の法則を完全に再現しているわけではない。


 空気中には確かに水蒸気が存在するが、その量は湿度によって大きく変化する。雨上がりは湿度が高いため、水を集めやすいという説明にはある程度の合理性がある。しかし、それでも空気中に含まれる水分だけで大量の水を作るには、非常に広い範囲から水蒸気を集める必要がある。


 さらに、水蒸気を液体へ変えるには凝縮という現象が必要であり、本来は温度変化や熱の移動が伴う。もし魔術が自然法則を忠実に利用するのであれば、こうした過程まで説明されるべきだが、作品では「集めれば水になる」と簡略化されている。


 また、空気中の水分だけを自在に選び出して移動させること自体が、極めて高度な超常能力である。風を起こすために空気を動かすことも、水を集めるために水蒸気だけを操作することも、人間には不可能な現象である以上、結局は魔法的な力を用いていることに変わりはない。


 そのため、この作品における魔法と魔術の違いは、能力の違いというよりも、現象をどのように理解し、どのような発想で扱うかという「思想」の違いであると考えられる。


 結局のところ、魔法と魔術の違いは説明上の違いであり、超常現象としての本質には大きな差は見られない。

 設定としては興味深く、物語上の個性にもなっているが、「根っこから考え方が違う」と言い切るには、もう一歩踏み込んだ理論や描写が必要だったと言えるだろう。

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