科学を基盤とした魔術が魔法を終わらせるという設定の矛盾
とある作品では、「科学的知識を基盤とした魔術」が発展し、それまで主流だった魔法を終わらせるという壮大な構想が語られている。
設定だけを見るなら非常に魅力的である。
感覚や才能に頼っていた魔法を、科学によって体系化し、誰もが理解できる技術へ昇華させるという発想は、ファンタジー作品として十分面白い題材になり得る。
しかし、実際に作中で描かれている魔術を見ていくと、その設定には大きな疑問を覚える。
なぜなら、その魔術の基盤そのものが魔法だからである。
つまり、魔術とは科学によって魔法を置き換えた技術ではなく、魔法を利用して科学っぽい手順を踏んでいるだけなのである。
やっていることは、半端な科学知識を利用して、本来なら魔法だけでもできそうなことを、わざわざ遠回りして再現しているようにしか見えない。
その代表例が、水を電気分解して酸素と水素を取り出す場面である。
電気分解という言葉だけを聞けば、確かに科学的な手法に思える。
ここまでは問題ない。
しかし、本当に重要なのは、その電気をどうやって発生させているかなのである。
現実世界では、電気分解には電源が必要になる。
何らかの物理的・化学的手段で電気エネルギーを作り出さなければならない。
ところが、この作品では違う。
電気を発生させる手段そのものが魔法なのである。
つまり科学で電気を作っているわけではない。
魔法で直接電気を生み出し、その電気で電気分解を行っている。
これでは根本的な部分が科学ではなく魔法である。
結局、魔法がなければ何も始まらない。
魔法で電気という中間工程を作り、その電気で水を分解する。
これは目的を達成するために、わざわざ工程を一つ増やしているだけである。
もし魔法で電子の移動を制御できるのであれば、水素イオンや酸素イオンを直接操作することも可能ではないかという疑問が生まれる。
それにもかかわらず、なぜ電気分解という遠回りを採用するのか。
科学を取り入れた結果、かえって非効率になっているのである。
次に火魔法について考えてみる。
作中では火魔法、あるいは火の魔術は「酸素を燃焼させる」と説明されている。
しかし、この説明にも科学的な問題がある。
そもそも酸素は燃料ではない酸化剤である。
燃焼という現象は、燃料と酸化剤が反応して初めて成立する。
酸素だけでは火は起こらない。
例えば木材でもガソリンでも水素でも構わない。
何か燃える物質が存在し、その燃料が酸素と反応することで炎が発生する。
ところが作中では、その燃料が何なのか全く説明されない。
魔術を生み出した作中屈指の賢者ですら、その根本的な部分は曖昧なまま説明できないのだ。
つまり、火を作る仕組みについても、科学的な説明は成立していない。
結局、「酸素」という科学用語を持ち出しているだけで、その中身は魔法なのである。
水魔法、水魔術についても同じである。
作中では空気中の水分を集めて水を作ると説明されている。
これも一見すると科学的な説明のように聞こえる。
しかし、最も重要なのは「どうやって集めているのか」である。
現実には空気中の水蒸気を水へ変えるには、温度を下げて凝縮させたり、除湿装置を用いたりする必要がある。
大量の水を一瞬で集めるには相応のエネルギーも必要になる。
ところが作品では、その過程が存在しない。
ただ「空気中の水分を集める」とだけ説明される。
では何が水分子を移動させているのか。
どんな力が働いているのか。そこは語られない。
結局、水分子を自由自在に操る超常的な力が存在するという話になる。
つまり、これも科学では説明していない。魔法そのものである。
風魔法、風魔術も同様だ。
空気を押し出して風を発生させるという説明がされる。ここまでは理解できる。
しかし、その空気を押し出す力とは何なのだろうか?
現実では風は気圧差によって発生する。空気が移動するには圧力勾配が必要になる。
扇風機なら羽根が空気へ運動量を与えている。
では魔術では何が空気を押しているのか。作中ではそこが説明されない。
見えない力が空気を押しているのであれば、それは魔法である。科学ではない。
このように見ていくと、火も、水も、風も、結局は「謎の力」で制御されているだけであり、その力を魔法と呼ぶか魔術と呼ぶかの違いしか存在しない。
つまり、魔術が科学の裏付けを持っているという設定でありながら、最も重要な根本部分は科学で説明できていないのである。
科学というものは、「何が起こるか」だけでなく、「なぜそうなるのか」を説明する学問である。
途中だけ科学用語を使っても、その現象を成立させる最も重要な部分が「魔法だから」で済まされるなら、それは科学ではない。
科学風の演出に過ぎない。
この作品の魔術は、科学用語をいくつか並べているだけで、その土台となる現象はすべて魔法へ依存している。
だからこそ、魔法との境界が見えてこない。
結局のところ、魔術とは「魔法で起こせる現象を、科学っぽい手順を追加して再現したもの」でしかない。
できることは魔法と変わらない。原理も魔法と変わらない。違うのは工程が増えていることだけである。
それが本当に効率化なら意味はある。しかし作中では、工程が増えているだけで、本質的な優位性はほとんど示されない。
にもかかわらず、作中では「魔術が魔法を終わらせる」とまで語られる。
しかし、本編を読む限り、そのような結論には到底至らない。魔術は魔法を否定した技術ではない。
魔法を土台として成立している技術だからである。
魔法が存在しなければ、魔術そのものも成立しない。
つまり両者は対立関係ではなく、上下関係でもない。魔術は魔法の延長線上にある、一つの応用技術に過ぎない。
もし本当に魔法を終わらせるほどの革命であるならば、魔法を必要としない原理で現象を起こし、誰でも同じ結果を再現できるようになって初めて「魔法に代わる技術」と言える。
しかし作中で描かれているのは、魔法で電気を作り、魔法で粒子を動かし、魔法で空気を押し、魔法で水分を集めるという、根本的には魔法そのものへ依存した体系である。
これでは科学を基盤にした新技術というより、「科学風の説明が付いた魔法」でしかない。
つまり実態を見れば、魔術もまた魔法の延長でしかない。
魔法という幹から枝分かれした一分野に過ぎず、魔法を駆逐するほど本質的に異なる技術には見えないのである。そのため、「魔術が魔法を終わらせた」という未来像だけが提示されても、本編で描かれた理論や原理との間には大きな隔たりがあり、読者としてはその結論に納得するだけの説得力を見いだすことができなかった。




