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科学が魔法を駆逐した設定に感じる違和感

とある作品では、未来の時代が描かれた際に、「科学を基盤とした魔術」が社会へ普及し、従来の魔法は廃れてしまったという説明がなされる。


一見すると興味深い設定である。

魔法という感覚的な技術から、理論化・体系化された魔術へ移り変わるという発想自体は決して珍しいものではない。


実際、ファンタジー作品では「感覚だけに頼る古い魔法」と、「学問として発展した魔術」を対比させる例は数多く存在する。


しかし、そのような設定が説得力を持つためには、一つ大前提がある。

それは、「魔術が魔法よりも優れている」という理由が作品内で論理的に示されていなければならないということである。

ところが、この作品では、その説明がほとんど成立していない。


むしろ本編を読む限りでは、魔法の方がはるかに便利であり、魔術が社会の主流になる理由が見当たらないのである。


作品中で語られる魔術の最大の利点は、「少ない魔力でも高度な現象を起こせる」という点である。

つまり魔法は才能や膨大な魔力量を必要とする一方、魔術は知識と理論を利用することで効率よく魔力を使える、という考え方である。

この発想だけを見れば理解はできる。


現実でも、人間は筋力だけで荷物を運ぶより、滑車や歯車を利用した方が少ない力で大きな仕事ができる。

理論や道具によって効率を高めるという考え方は科学そのものだ。


しかし、本編で描かれる魔術を見ると、この利点を打ち消してしまうほど大きな欠点が存在する。

それは、とにかく手順が複雑であることだ。

魔術を使うには様々な道具を経由し、化学反応を考え、段階を踏み、一つずつ工程を積み重ねていかなければならない。


一方、魔法はどうか。基本的には詠唱、あるいはワードを唱えるだけで発動する。


火を出したいなら火魔法。水を出したいなら水魔法。風を起こしたいなら風魔法。

非常に単純である。


もし同じ現象を起こせるのであれば、誰が好き好んで複雑な工程を選ぶだろうか。


例えば料理を考えてみれば分かりやすい。

電子レンジのボタンを押せば一分で温まる料理がある。

それなのに毎回薪を割り、火を起こし、鍋を温めてから加熱する方法が普及するだろうか。


伝統料理として残ることはあるかもしれない。

しかし日常生活では圧倒的に簡単な方法が選ばれる。


技術というものは、多くの場合「より便利なもの」が普及する。

ところが、この作品ではその関係が逆転している。


さらに問題なのは、本編で魔法と魔術の境界が非常に曖昧なことである。

主人公は化学反応を利用した現象を「魔術」と呼んでいる。


しかし、その化学反応を起こすための手段そのものが魔法なのである。

最も分かりやすい例が、水を酸素と水素へ分解する場面である。


主人公は電気分解を利用して水素と酸素を得る。

電気分解という発想自体は現実の科学にも存在する。

問題は、その電気をどうやって作っているのかである。


作品では、魔法によって電気を発生させている。

つまり、発電機があるわけではない。

魔法で直接電気を生み出している。


ここで疑問が生まれる。

その電気を発生させられるほど魔法を自在に操れるのであれば、なぜその魔法で直接、水分子を分解しないのだろうか?


作中では火魔法が酸素を燃焼させる。水魔法が空気中の水分を集める。

風魔法が空気を操作する。土魔法が粒子を集めて物体を形成する。

つまり、魔法は分子や気体をかなり精密に制御できる能力として描かれている。


それだけ高度な制御が可能なのであれば、水分子から水素と酸素を直接分離することも十分可能に思える。

ところが主人公は、一度魔法で電気を作り、その電気で水を分解するという、回りくどい工程を採用している。


これは現実世界で言えば、ライターを持っているのに、まず発電所を建設し、送電線を引き、IHコンロを設置してから紙に火を付けるようなものである。


目的より手段の方が遥かに大掛かりになっている。

効率を追求するはずの科学的思考とは正反対である。


そもそも、魔術が科学を標榜するならば、その根本的な現象も科学で説明できなければならない。

しかし、この作品では最も重要な部分を魔法に依存している。


電気を生み出すのは魔法。熱を生み出すのも魔法。気体を操作するのも魔法。


では魔術とは一体何なのか。

科学なのか。魔法なのか。その境界線が最後まで見えてこない。


結局、「魔法を利用した複雑な手順」を魔術と呼んでいるだけに見えるのである。

さらに設定として疑問なのが、魔術を使うにも魔力が必要だという点である。

つまり魔術は魔法とは別のエネルギーを利用しているわけではない。結局は魔力を消費している。


作品では「魔力量が少なくても使える」のが利点と説明される。

しかし、それは「魔法が廃れる理由」にはならない。むしろ逆である。

もし魔力量の少ない人間には魔術が便利なら、その人たちは魔術を使えばよい。

一方、魔力量が豊富な人間は従来通り魔法を使えばよい。

つまり用途によって使い分けられるだけである。


現実でも、車が登場したから自転車が消えたわけではない。

飛行機が発明されたから船が絶滅したわけでもない。

それぞれ長所と短所があるから共存している。


魔法と魔術も同じはずである。

魔力が多い人は魔法。魔力が少ない人は魔術。

これで十分住み分けが成立する。


にもかかわらず、未来では魔法そのものが廃れたという。その理由がまったく描かれていない。

そもそも、この作品では魔法と魔術の原理そのものも曖昧である。


火魔法は酸素の燃焼現象。

水魔法は空気中の水分を利用する。

風魔法は空気を押し出す。


つまり魔法そのものが自然法則を利用している。


では魔術は何をしているのか。結局、同じ自然法則を利用しているだけである。


もし火魔法が酸素の燃焼なら、それは燃焼という化学反応である。

水魔法が空気中の水分を集めるなら、それも物理現象である。

風魔法も空気を移動させるだけなら流体力学の範囲である。


そうなると魔法も十分科学的である。魔術だけが科学という説明は成り立たない。


逆に魔術は、その科学的現象を起こすために、わざわざ魔法という超常現象を経由している。

その結果、魔法より工程が増え、効率まで落ちている。


本来、科学とは手間を減らし、再現性を高め、効率を改善するためのものである。

しかし作中の魔術は、魔法より複雑で、魔法より工程が多く、魔法より扱いにくい。


これでは科学ではなく、単に儀式化された魔法である。

だからこそ、「魔術が魔法を駆逐した」という未来設定には説得力が感じられない。

もし本当に魔術が魔法を置き換えるのであれば、それ相応の理由が必要になる。

この作品ではそうした積み重ねがほとんど示されない。


結果として読者には、「作者が魔術を新時代の技術として扱いたかった」という意図だけが先行し、世界の変化そのものには納得できないのである。

世界観とは、設定を書けば成立するものではない。

読者が「なるほど、その世界ならそうなる」と思える因果関係があって初めて説得力を持つ。


本作では、魔法も魔術も魔力を使い、自然現象を利用し、その境界線も曖昧なままである。

しかも魔法の方が簡便で、応用範囲も広く、工程も少ないように描かれている。

それにもかかわらず、未来では魔法だけが廃れ、魔術だけが生き残ったと結論づけられる。


本編で描かれた内容から論理的に考えるなら、その未来へ至る道筋は見えてこない。

だからこそ、この設定には強い違和感を覚えるのである。


魔術と魔法の役割をもっと明確に区別し、それぞれの長所と短所、社会における位置づけを丁寧に描いていれば、この未来像にも説得力が生まれたはずだ。しかし現状では、「魔術が魔法を駆逐した」という結論だけが先に置かれ、その過程を支える世界設定や論理が十分に示されていないため、読者としては納得よりも疑問が先に立ってしまうのである。


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