矛盾
ブライアンは肩をすくめ、給湯室でマグカップに水を張りシンクに置くと、そのまま研究室に戻りリンの隣にパイプ椅子を引き寄せて座った。
彼女がキーボードを叩き、深夜に掃天システムが捕捉したスペクトルをメインモニターに展開した。
ブライアンは目を細め、波形と吸光係数のグラフを数秒間黙って見つめた。
「……なんだこれは。アルベドの数値がおかしい。それに、ずいぶんと遠い……カイパーベルトか。」
天体が太陽光を反射する割合をあらわす数値は、対象がほぼ完全な鏡面であることを示していた。
「表面が真新しい氷で覆われた彗星の欠片か? いや……違うな。」
ブライアンは即座に自らの仮説を打ち消した。氷の天体なら、スペクトルに水や一酸化炭素特有の吸収線が出るはずだ。だが、目の前の波形はそうした自然物を示しておらず、代わりに特定の波長帯だけが不自然に減衰していた。
軍事衛星などのステルスコーティングなら、特定の波長を吸収することも考えられる。だが、特定の波長を隠蔽しておきながら、これほど派手に光を反射していては、隠れたいのか目立ちたいのか、目的が完全に矛盾してしまう。
そもそも、カイパーベルトという極端な遠方にある時点で、地球の人工物という線も消える。
自然物でも、人類の人工物でもない。ブライアンは眉間を揉み解し、行き場を失ったデータの前で重い沈黙に陥った。
「でしょ?」リンが即座に反応した。「光を吸収しているのに、熱放射が完全に欠落しているのよ。それに、ただの氷や岩石なら、レーザーは乱反射してノイズまみれになるはずよ。でもこいつは、特定の波長帯だけを完全に吸収して、残りの光を鏡のように正確に跳ね返してきているの。」
厄介なことに彼女の突きつけてくるパラメーターは事実だ。「熱放射を伴わない光の吸収」などという熱力学の法則を無視した現象をどう説明すればよいか、ブライアンは行き場のない思考を巡らせた。
リンはブライアンの方へ向き直り、眼鏡の奥で真剣な光を放った。
「これは光電効果を最大化するために設計された、まるで超高効率のソーラーパネルにレーザーを当てているみたい。」
興奮するリンとは対照的に、ウィリアムの声は静かだった。
「M型小天体の衝突破片という線は検討したか? 熱放射がないのも、深宇宙から軌道を変えてきたばかりの極低温の金属塊だからと仮定すれば物理的な説明はつく。」
原始惑星のコアの残骸が金属核を剥き出しにし、その特殊な結晶構造が特定の波長を吸収しているというのだ。極めて強引な仮説だが、そう考えれば確かに辻褄は合いそうではある。
「でも、距離の割に減衰や散乱ノイズが少なすぎます。」
長期間にわたって過酷な宇宙空間を漂う天体であれば、微小隕石の衝突や宇宙線の被曝によって表面は必ず劣化し、光は乱反射するはずだと、リンが反論した。
「波形のエッジもシャープすぎる。ただの不規則な金属塊が回転しているなら――」
「平滑な破断面が偶然こちらに直交し、強烈なグレアを起こしているとしたら?」ウィリアムはあえて厳しい反証を重ねた。
強引に反証を重ねるウィリアムの言葉は、理論上の可能性を盾にした強弁だ。リンが一瞬言葉を詰まらせたところへ、ブライアンが割って入った。
「だがウィリアム、もしリンの言う通りそれが人工的なソーラーパネルなら、太陽へ向けて姿勢制御を行っているはずじゃないか?」
エネルギー変換効率を最大化するなら、パネル面は常に太陽光と直交していなければならない。もし対象がリンの仮説通りの人工物であれば、常に同じ面を太陽に向けているはずだ。
ウィリアムはわずかに視線を動かし、ブライアンの的確な指摘を拾い上げた。
「その通りだな。ならばリン、どうやってそれを証明する?」
リンは小さく息を呑み、メインモニターに向き直った。
「……ドップラー偏移と位相の揺らぎを展開します。」
対象がただの金属塊なら、宇宙空間で無秩序に自転しており、反射スペクトルには必ず相対速度のブレが乗るはずだ。
「それで行こう。」ウィリアムが背後から静かに促す。
「さあ、検証開始だ。」




