発端
ブライアンの古いセダンは土煙を上げながら、荒野を貫くひび割れたアスファルトを走っていた。
フロントガラスの向こう、熱を帯びた大気の揺らぎの先に、巨大なパラボラアンテナの威容が蜃気楼のように浮かび上がってくる。それは幾何学的に交差する鋼鉄のトラスとくすんだ反射面を露わにし、荒涼とした地表において圧倒的な異物感を放っていた。
彼が向かうのは、地球へ衝突する潜在的脅威を自動で捕捉・追跡する複合監視施設だ。光学観測網と巨大電波望遠鏡を連動させた、プラネタリー・ディフェンスの最前線拠点。それが彼の職場だった。
施設の入り口に立つセキュリティゲートは、今日も赤茶けたバーを空に向けて垂直に跳ね上げている。ブライアンがここへ赴任して以来、このゲートが下りているのを見たことは一度もない。こんな何もない場所へアポなしで訪れる物好きなどいないのだから、実用上の問題はない。だが、それは論理的に言えば、最初からゲートを設置する必要などなかったという事実を証明しているだけだ。
空きだらけの駐車場に車を停め、ドアを押し開ける。乾燥した朝の空気が肺を満たした。プレハブ棟へ向かう単調な足取りの中で、彼の思考は、昨晩半分も飲まずに放置してしまったコーヒーに向けられていた。今日の最初のタスクは、マグカップの底にこびりついた沈殿物をこすり落とすことになりそうだ。
アルミサッシの扉を押し開けると、いつもの耳鳴りのような空調音は、スタッフたちのざわめきにかき消されていた。午前八時の研究室としては異様な熱気だ。
ブライアンは自分のデスクへと向かう途中、メインコンソールの前で画面を睨みつけているウィリアムとリンに気だるく片手を上げた。
「おはよう。ずいぶんと忙しそうだが、湯沸し器でも爆発したのか?」
モニターから顔を上げたリンは、化粧っ気のない顔を大きなマスクで覆い、分厚いフレームの眼鏡の奥で目を血走らせていた。
「おはよう、ブライアン。信じられない、グループチャットを見てないの?」
リンはブライアンの返答を待つ気などないように、乱暴な手つきで手元のキーボードを叩いた。デスク上の複数のモニターが瞬時に切り替わり、複雑なスペクトル解析のグラフが青白い光を放つ。彼女は興奮からか微かに震える指先で、画面上に固定された一本の鋭いピークを突き刺すように指差した。
「昨晩の観測データだけど、既存の分類に全く当てはまらない異常な光学的応答よ。未知の天体かもしれないわ。」
リンは同じ観測チームに所属する同僚だが、極めて神経質で底意地が悪い。事あるごとにブライアンの勤怠や作業の粗探しをしては、ねちねちと冷笑的な苦言を呈してくる厄介な女だった。
ウィリアムが、手に持ったタブレットから視線を外さずに重々しいため息をついた。
「先入観を捨てるんだ。今はまだ、ノイズか計器の異常を疑う段階だ。」
観測チームのチーフであるウィリアムは、砂埃の舞うこの辺境施設において唯一、アイロンの糊が効いたシャツに染み一つないタイを締めている男だった。綺麗になでつけられた白混じりの髪と、神経質そうに細められた灰色の双眸は、未知を追う探求者というよりは冷徹な監査官のそれを思わせる。
事実、彼はこの施設のチーフという要職に就いてはいるが、天体物理学における画期的な論文や観測成果を上げたという話は聞かない。施設の運営や、数々のプロジェクトを破綻なく回し続けてきたマネジメント能力を買われて今の地位に就いたと言われていた。
「現代のレスカルボーにでもなるつもりか。」何やらボヤいている敏腕チーフの脇を通り抜け、ブライアンは自分のデスクに辿り着く。昨夜放置したままのマグカップを見下ろすと、コーヒーだったものはすっかり乾ききっており、干ばつした大地のようだ。
「レスカルボー? ああ、幻の惑星バルカンか。」
水星のさらに内側に未知の惑星を見つけたと錯覚し、当時の学界を巻き込んだアマチュア天文学者だ。太陽黒点の見間違いだったその「世紀の大発見」は、相対性理論によって存在を否定されるまで、半世紀近くも観測者たちの目を曇らせ続けた。
ウィリアムの言う通り、観測者の「大発見であってほしい」という願望は、容易く事実を歪める。
ブライアンは自分のラップトップを立ち上げ、件のデータを呼び出した。
画面に表示されていたのは、昨夜の広域光学スキャンが捉えたという暫定的な光度曲線のグラフだった。岩石からなる小惑星の自転による緩やかな明暗とは明らかに違う、不自然なほど一定で強烈な光度のピークだ。
「ウィリアムの言う通りだろ。どこかのデブリか、民間のキューブサットじゃないのか?」
ウィリアムがゆっくりと顔を上げ、ブライアンを見た。
「その通りだ。だが、この部屋の誰もそれを指摘しなかったとでも思うかね? 寝ぼけたことを言ってないで、早くそのカップを洗って手伝ってくれ。」
軌道上には数万個のデブリがあるが、それらは連合宇宙運用センターが常時追跡しており、共有されるカタログと照合するだけで自動システムが弾いてくれる。仮に未登録の金属ゴミだったとしても、軌道を特定してセンターへ報告するだけの退屈なルーチンワークで終わる。彼らが興奮気味に生データを掘り返しているという事実こそが、それが単なる人工物ではないことを裏付けていた。




