互換
カウントゼロから一年が経過する頃には、送られてくるデータブロックの大半が、すでに受信済みのデータの重複となっていた。
超長距離通信におけるパケットロスを防ぐためのエラー訂正用パリティと考えれば必然的な冗長性ではあったが、最も困難を極めたのは、この反復記録された膨大なデータを精査し、正確なひとつの構造体として統合するプロセスだった。
さらに半年が過ぎ、ノイズで欠損していた最後の数ビットの穴が埋まり、算出されたチェックサムが、Readmeで指定されていたターゲット値と完璧な一致を見せた。
そのころには送信元も完全に沈黙しており、もうこれ以上の新規データを受信することはないという最終的な判断が下された。
受信開始から実に1年半の月日が経過していた。
ブライアンが去った後の研究室は、もはやウィリアムが知る場所ではなくなっていた。増殖したスーツ組と、世界中から集められた専門家たちが、巨大なデータのパズルを前に連日議論を戦わせている。
解読は、Readmeの提示した基礎法則を足がかりに進められた。しかし、それに続く巨大なデータ群が「何を」記述しているのか、当初は全くの謎だった。
いかに普遍的な法則を共有していようと、それを記述するフォーマットは、その文明が歩んだ基礎研究と情報工学の歴史そのものだ。技術的なコンテクストが完全に欠落している以上、波形の激流から意味を抽出することなど不可能に思われた。
この暗礁を乗り越えるブレイクスルーをもたらしたのは、Readmeの直後に配置された、ファイルサイズの極端に小さなブロック群だった。
解析チームが基礎法則を用いてその小ブロックを空間座標系に当てはめた時、そこに極めて単純な「真球」のデータが浮かび上がったのだ。続くデータブロックを同様のロジックで展開すると「車輪とヒンジ」、次は「歯車とシリンダー」。データが進むにつれて、構造は段階的に複雑化していく。
送り主は、自身の「空間や構造の記述思想」を未知の文明にゼロから学習させるための、段階的なチュートリアルを用意していたのだ。
世界中の専門家たちは、この原始的なオブジェクト群から未知の描画法則を紐解き、地球のシステムへ翻訳するためのコンパイラを構築していった。
解読は、Readmeとチュートリアルの提示した法則に従い、雪崩のように進んでいた。解読が進むにつれ、累積された数百ギガバイトのデータは、精緻極まりない三次元の構造体――ある種の「設計図」を描き出していった。
「組み立て環境の指定値が出ました。」
一人の研究者が、疲労でかすんだ声でタブレットのデータを転送し、重要箇所をプリントした紙の報告書を配り始めた。
次いで、設計図が要求する外部環境の数値が、地球上での稼働可能性を示していることを興奮気味に報告した。報告書の示す数値は、地球の標準的な大気圧、気温、重力、放射線量を完全に内包している。
だがそれは、地球環境に最適化されているというより、火星の極寒の砂漠や金星の灼熱の雲の下ですら稼働可能なほどの許容範囲の広さを示しているに過ぎない。にもかかわらず、報告者はこれが地球へ向けられた親愛のメッセージであると盲信しているようだった。
「組み立て自体は、現行の技術の延長線上で可能だ。難しいパーツもあるが、外注先に心当たりがある。」
技術担当の一人が、タブレットに投影された設計図の断面図を指差した。
「奇妙なのは、設計図が特定の加工済み部品ではなく、未加工の元素そのものを要求している点だ。」
「高度な技術を要する核心部分を、素材から自律的に再構成するためのシステムか?」
「あるいは、原子レベルの3Dプリンターのカートリッジとしてか。」
議論は、そこから一歩も先へ進まなかった。「組み立てを強行すべきだ」という実利派と、「出力されるものの正体が完全解読されるまで待機すべきだ」という慎重派が真っ向から対立したからだ。
「危険がないという保証はどこにある?」
背後の壁際に並ぶ軍関係者の一人が、冷徹な声を投げかける。
「ここまで手間をかけて、無関係の文明を攻撃する意味があると思いますか?」
プロジェクトの若い研究者が食ってかかった。
「これは贈り物なんです。相手は高度な文明を築いた知性体なんですよ。いいですか、少なくとも、理性的でない生物がこれほどの知性を獲得することは考えられません。」
「危機意識が低すぎる。意図的であろうとなかろうと、未知のエネルギーや不可抗力による事故で、地球規模の災厄が起きないとも限らないだろう。」
軍関係者は鼻で笑って一蹴した。
「要求されているのは核物質でも重金属でもなく、基礎的な元素群だ。即時的な大規模破壊兵器である可能性は低い。」
別の推進派の幹部が、苛立ち交じりに議論を引き取った。
「それに、正体の完全な解読に何年かかると思っている? 数十年か? データが世界中のアマチュアにまでオープンになっている事を忘れてはならない。他国に先んじて構造を完成させ、主導権を握ることこそが、我々に必要な唯一の安全保障だ。」
ウィリアムは、その不毛な応酬を聞きながら、モニターに映る無機質なコードの羅列を見つめていた。




