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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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9/10

それは、誰かの現実になる

夕暮れの光は、教室の奥までは届かない。

その暗がりで、空気だけが異様な熱を帯びていた。


窓際に集まった少女たちが、声にならない声をあげて感想を述べていく。


「――ミス・ヴィラン様! 最高でした!」

「もう……あの、パトリックの態度……全部、好きの裏返しだったなんて!」

「最後のあのシーン、反則です……!」


机を叩く音、椅子が軋む音、抑えきれない悲鳴と笑い。

普段は淑やかな令嬢たちが、形もなく崩れていく。


……いいわね、この光景。


エレオノールはほんの少し目を細めた。

理性を外されたような反応。それは、物語が正しく刺さった証だ。

彼女はゆっくりと手を上げる。


「皆、静かに」


不思議なほどあっさりと、熱狂が引いた。

波が砂浜から退くように、声が止む。

向けられる視線は、揃って期待に満ちている。


エレオノールは小さく微笑んだ。


「楽しんでもらえて、よかったわ」


わずかに首を傾ける。

視線がさらに集まるのを感じながら、続けた。


「……ところで、ひとつお願いがあるのだけれど」


机に身を乗り出す音が重なる。


「お願い?」

「なんですか?」


純粋な好奇心。

エレオノールは鞄に手を入れ、一冊を取り出した。


「本を作ろうと思うの」


「本……?」


机の上に置く。


布を貼った表紙。歪んだ角。完全ではない仕上がり。

だが“それらしく見える”ことが重要だ。


案の定、少女たちの瞳が一斉に輝いた。


「素敵……」

「これ、持ち歩けます?」

「私たちでも作れますの?」


食いつきの良さに、エレオノールの口角が自然と上がる。


彼女は頷き、実演しながら説明する。

紙を束ねる手順。糊の使い方。装飾の自由度。


エレオノールの手元から視線が離れない。


「今までの原稿も、本にしていいですか?」


遠慮がちな声に、エレオノールは頬を緩めた。


「皆が手伝ってくれるなら」


途端に教室の中が弾ける。


「やりたいです!」

「表紙は私が考えたいわ!」

「刺繍も入れられるかしら?」


机の上は一瞬で“制作現場”へと変わる。

ただの読者ではなく、作り手へと変わっていく。


――いいわ。


読者では足りない。

作り手に変わった瞬間、それは流通になる。


そのとき、一人の少女が近づいてきた。


ロウ・ボアルネ。二つ下の後輩。

手にした紙束が震えている。


「あの……」


小さな声。


「私も、書いてみたんです」


差し出された原稿に、エレオノールは目を見開いた。


――来た。


連鎖が始まっている。


「読ませていただくわね」


すぐに受け取り、ページをめくる。

拙い筆致。だが、確かに“誰かに見せたい”という意思がある。

胸の奥が、じんわりと熱を持った。私の物語が、誰かを動かしている。


書かれた文章を追いながら、エレオノールは思う。


――創作は伝染していく。


気づけば、窓の外は夜の帳が降りていた。

それでも誰も席を立たない。


教室の中だけが、別の時間を生きていた。



数日後。


昼休みの廊下でエレオノールは少し先に、見慣れた二人の姿を見つけた。


ユーベルとナタリー。


柱の影で、静かに向かい合っている。


――あら。


足が止まる。

以前とは違う、ほんのわずかだが確実な変化が二人の間にあった。


ユーベルが――見ている。


正確には、見ようとしている。


ナタリーへ視線を向ける。

触れる直前で逸らす。

また向ける。

また逸らす。


……何をしているの、この人。


思わず吹き出しそうになる口元を押さえた。


……不器用すぎる。


やがて会話が終わると、ナタリーが軽く会釈し、ユーベルに背を向けた。

三歩ほど歩いて、ふと、彼女が振り返る。


その瞬間。


二人の視線が、重なった。


ユーベルは露骨に顔を背けた。振り向かれると思っていなかったのだろう、その耳は真っ赤だ。


――分かりやすい。


ナタリーは何も言わず前を向く。

けれど、その頬は嬉しさで緩んでいた。


そして歩き出し――エレオノールに気づく。

目を見開き、小走りで近づいてきた。


「ミス・ヴィラン様。――ありがとうございます」


すれ違いざま、小さな声でそれだけを残し、軽やかに去っていく。

花の香りだけが残った。


エレオノールはゆっくりと頷く。


――成功ね。


ユーベルの“好き避け”。

それを物語に落とし込み、ナタリーに読ませた。


言葉にしなくても伝わる形に変換した。

理解したのは、彼女の側。


つまり。


――ここは、もう介入する必要がない。


満足げに思考をまとめていると、後ろから肩に手が置かれた。

振り返ると、ハルカが腕を組んで立っている。


「今の、ナタリー・ベルナール?」


「ええ」


エレオノールは迷いなく答えた。


「ユーベルのフラグは、彼女に折ってもらったわ」


ゲーム内では冷えた関係だった二人。それは誤解があっただけ。

ならば、正すだけでいい。

聖女が介入する余地は、もうない。


――ただし。


エレオノールは視線を細める。


……まだ油断はできないけれどね。


エレオノールは、ナタリーとユーベルについてハルカに語って聞かせた。

ただし、いくつかの要素は巧妙に削ぎ落としてある。――虚構の国史のことと、“ミス・ヴィラン”としての活動は伏せたままだ。


「いつの間に……」


呆れとも感心ともつかない声を漏らし、ハルカは彼女の両肩に手を置いた。


「ねぇ、エレオノール」


「なぁに?」


「私に大事なこと、隠してない?」


予想外の角度からの一撃に、エレオノールは思考を止める。


「え? 何のこと?」


問い返すと、ハルカは少し考える素振りを見せてから、意味ありげに口角を上げた。


「……こう言った方がいいかしら」


逃げ場を塞ぐように、ぐっと距離を詰めてくる。


「ミス・ヴィラン様」


――気づかれていた。


内心で静かに観念する。


「もう、言ってよ!」


肩を掴む手に力がこもる。


「読ませてよ! なんで隠してたの?」


「隠していたわけではないの。ただ、その……」


言葉を選びながら視線を落とす。


「娯楽の少ないこの世界だから、私の拙い話でも楽しんでもらえているだけで……」


少しだけ顔を上げ、ハルカの反応をうかがう。


「現代から来たあなたが読んでも、物足りないのではと思って」


正直な不安だった。

評価軸が違う相手に、自分の武器が通用する保証はない。


だが。


「……面白かったわよ」


エレオノールは勢いよく顔を上げる。

ハルカはふざける様子もなく、真っ直ぐに頷いた。


「普通に、ちゃんと面白い」


そのまま、さらに距離を詰める。


「他にもあるんでしょう? 読ませて」


ぐらぐらと肩を揺さぶられ、眼鏡がずれる。

エレオノールはそれを指で押し上げながら、小さく息を整えた。


――評価された。


それだけで、胸の奥がじんわりと熱を持つ。


「では――」


わざとらしく姿勢を正し、胸を張る。


「私たちの部室へ案内するわ」


その宣言とともに、ハルカは文芸部へと足を踏み入れることになった。


聖女が教室に現れたことで、少しだけざわめきが起こった。

普段は紙の音だけが支配する静謐な場所だ。誰もが何かを読むか、書いているから、自然と声は潜む。


その均衡が崩れるのは、新作が入ったときだけ。


一人が遠慮なくハルカへ問いかける。


「聖女様はどんなものがお好きですの?」


ハルカは困ったように笑った。


「聖女様はやめて。ハルカでいいわ」


その一言で空気が和らぐ。

少女たちは顔を見合わせ、柔らかく笑い合った。


「じゃあハルカさん。好きな設定とかあります?」


「溺愛系とか」


「わかります!」


反応は早い。


あっという間に輪ができあがる。

好きな展開、刺さった台詞、理想の関係性。


言葉が途切れない。


エレオノールは少し離れた位置から、その光景を眺めていた。


――馴染むのが早い。


それに、居心地も悪くなさそうだ。


好きなものを、好きなだけ語れる場所。

身分も役割も関係なく。それはこの世界では決して当たり前ではない。


……だからこそ、価値がある。


ふと窓の外に目を向ける。

青空はゆるやかに色を変え、夕暮れへと沈み始めていた。


この時間がずっと続けばいいと思う。

だが現実は、そう甘くない。



ハルカの特別授業の日。

しかし、その日教室に現れたのは、予想していた人物ではなかった。


扉が開き、入ってきたのは――ルイ。


空気が止まる。

彼の視線は迷うことなくエレオノールを捉えた。


「なぜ、君がここにいるんだ」


見開かれた瞳。

言葉の選び方は違えど、既視感のある反応。


エレオノールは軽く首を傾け、問いを返す。


「それはこちらの台詞ですわ。モーリスはどうされたのです?」


ルイは肩をすくめた。


「彼に頼まれた。代わりに授業をしてほしいと」


「代わりに?」


「研究に集中したいらしい。基礎段階なら私でも問題ないと」


なるほど、と内心で頷く。


ルイの魔力量は学院でも上位に入る。

王家の血統ゆえか、資質は申し分ない。学業成績も安定している。


代理としては十分だ。


……しかし、これは想定外だ。


予定にない人物は、計算を狂わせる。


横目でハルカを見ると、彼女も小さく首を振っていた。

つまり、ゲームには存在しない展開。


「――とりあえず」


エレオノールは席に座ったまま言った。


「私のことは気にせず、授業を進めてくださいませ」


ルイは一瞬だけ不満を滲ませたが、すぐに表情を整えた。


「……わかった」


短く頷き、教壇へ向かう。


授業が始まる。


エレオノールは椅子に腰かけたまま、二人の様子を観察していた。


――何のための変化か。


ルイが手を差し出す仕草が、前世で見た一場面に重なった。

映画の完結編を見ることなく死んでしまったことまで連想してしまい、ほんの一瞬だけ現実から逸れかける。


そのとき、ハルカの仕草が視界に入った。


前髪を気にする動作。

それが、いつもより頻繁に繰り返されている。


――意識している?


偶然か、それとも。


ゲームの本来の流れでは、ルイは聖女と出会い一目ぼれをし、そこから関係が深まる。

最終的に悪役王女から聖女を庇って怪我を負い、そして結ばれる。


いわゆる王道ルート。


エレオノールはそこで思考を止めた。


……そもそも。


ルイのフラグは、本当に折る必要があるのか。

一度そう考えてしまうと、これまでの前提が揺らいだ。


ハルカが望むなら、折る。

望まないなら――?


自分の望みは明確だ。


死なないこと。できれば平穏無事にフォルタへ帰り、以前と変わらぬ生活を送ること。

本を読み、物語を書き、猫と気ままに過ごす。


それが叶うなら、ルイとハルカが結ばれる未来を、否定する理由はない。

むしろ、その方が安定する可能性すらある。


すでに断罪ルートは大きく逸れている。


もし――婚約破棄ができたのなら。

同盟となる婚約がなくなっても、レガリアが武力を持ってフォルタへ侵攻することがないように、ユーベルにも布石は打った。


ならば――無理に壊す必要はない。


ルイが教壇から降り、ハルカの前に立っている。

手を差し出し、触れるか触れないかの距離で止める。


魔力の流れを感じさせるための指導。

だが、その距離には別の意味も含まれているように見えた。


ハルカの頬がわずかに色づいているように感じるのは、気のせいだろうか。


エレオノールは何も言わず、ただ見守る。


――これでいい。


折るべきフラグは、残り一つ。


――あれは、まだ動いていない。


思考はすでに次の対象へと向かい始めていた。

静かに、しかし確実に。


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