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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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7/8

戦う理由を、消してしまえば

二度目の聖女特別授業の日、教室にはまだ穏やかな午後の光が満ちているのに、エレオノールの胸中だけが落ち着かなかった。

モーリスはまだ来ていない。

窓辺から差し込む明るさが机の角を白く照らし、空気中の細かな塵まで見せている。

机を寄せ合ったまま、エレオノールとハルカだけが教室にいた。


「ねぇ」


ハルカが声を潜め、机越しに身を寄せてくる。


「この前の雑音石だっけ? モーリスに取り上げられたままなの?」


「そう。危ないからって」


肩をすくめてみせると、ハルカの眉はさらに下がった。


「フラグを折るどころか、危険人物認定されてない?」


「たぶん大丈夫よ」


そう答えながら、内心では少しだけ自信がなかった。

あそこまで強烈な反応になるとは、正直想定していなかった。


魔力には整った波長がある。ならば外側から乱せば、指輪の追跡機能にも干渉できるのではないか――そんな軽い発想だったのだ。


結果は、魔法師二人が耳を押さえてうずくまる惨状である。


「でも、撹乱できる可能性は見えたでしょう?」


「うん……でも耳が取れるかと思った」


「改良するわ」


言い切ったところで、扉が開いた。


金具の鳴る乾いた音に、二人の会話がぴたりと止まる。


入ってきたモーリスは、いつも以上に機嫌が悪そうだった。無表情なのに不機嫌とわかるのだから、ある意味わかりやすい。


教壇へ向かうかと思いきや、まっすぐエレオノールの机の前まで来る。


「なんなんですか、これは」


開口一番、机の上へ置かれたのは雑音石と、“置き忘れた”ノートだった。


エレオノールは首を傾げる。


「なに、とは?」


「これです」


彼は雑音石を指先で軽く叩いた。


「分解して内部構造を確認しました。どうしたらこんなでたらめなものができるんですか?」


「でたらめとは失礼ね」


「逆に高度な理論が隠れているのかと疑いましたよ。ですが整合性が皆無だ」


少し早口だった。

感情の起伏を表に出さない男が、珍しく苛立ちを滲ませている。


「適当に作ったから……」


ぽつりと告げると、モーリスが止まった。


「……本当に、適当に?」


「ええ」


「だとしたら」


彼は額に手を当てる。


「理論もなく偶然でこの振動を生み出したということですか。こんな危険物を?」


「結果的に危険になっただけよ」


「だけで済ませないでください」


怒りを抑えた声音だった。

それが妙に可笑しくて、エレオノールは少し口元を緩める。

モーリスは雑音石を見下ろしたまま、低く何かを呟き始めた。


「不純物の混合率……いや、格子構造が崩れている。なのに振動だけ維持される理屈が――」


完全に研究者の顔だった。

警戒も牽制も忘れ、対象物に没頭している。

その隙にノートへ手を伸ばすと、彼の視線が素早く移る。先に取ったのはモーリスのほうだった。


無遠慮にページをめくる。


「……魔力を持たず迫害されていた人間が、脳への干渉を契機に力を得る。周囲に認められる一方、その強さゆえ孤立していく――あなたの創作ですか?」


あらすじまで把握している。

思った以上に読んでいるではないか。

少し感動しながら、エレオノールは頷いた。


「あなたは、魔力が人為的に生まれると考えているのですか」


探るような目だった。


「そんなこともあるかもしれない、という想像ですわ。あくまで物語の中の話」


「この石といい、この内容といい……」


ノートを閉じる音が教室に響く。


「魔力がなくても魔法に対抗できると暗に示している。まるで僕への宣戦布告だ」


エレオノールは目を瞬いた。

そこまで受け取るのか。

けれど同時に、腑に落ちる。

孤独な天才。力ゆえに理解されず、周囲と断絶している男。


ノートの主人公に、自分を重ねたのだろう。


「そんなつもりはありません」


穏やかに言う。


「私はただ、ハルカの助けになりたいだけ。ノートも空想を書き留めただけですわ。誰かに見せるつもりはありませんでしたのに」


勝手に読んだのはあなたでしょう、と遠回しに刺す。

モーリスはわずかに視線を逸らした。


効いたらしい。


エレオノールは立ち上がり、彼と向き合う。


「モーリス。私は魔力の有無で人を測りません。私自身、ほとんど魔力を持たないもの」


その言葉に、彼の瞳がかすかに揺れた。


「それでも、できることはあるわ。……協力してほしいの」


「……協力?」


警戒と興味が同時に滲む声。


「ええ。聖女の力を、魔道具に変えられないかと考えています」


「聖女の力を?」


初めて、明確な動揺が見えた。


「魔道具化できれば、今後“聖女召喚”なんて危険な儀式を繰り返さずに済むかもしれない」


視線を逸らさずに告げる。


「あなたは召喚のあと、一週間寝込んだと聞きました」


彼が沈黙する。

事実なのだろう。


「ハルカも協力してくれると」


視線を向けると、ハルカは力強く頷いた。

モーリスの視線がその姿に止まる。計算ではなく、可能性を見る目だった。


恋愛ではなく、依存でもなく、共同研究。

それならこの男とも対等に並べる。


「私の発想と、ハルカの力。そしてあなたの知識と魔力」


エレオノールは笑みを浮かべて言った。


「できそうな気がしません?」


やがて、モーリスの口元がわずかに緩む。

氷の表面がほんの少し溶けたような、初めて見る自然な笑みだった。


「あなたの発想はともかく……聖女の魔道具、ですか」


目の奥に灯ったのは、純粋な知的好奇心だった。


「面白そうだ」


その瞬間、彼は頼れる協力者へと位置を変えた。


ハルカが訓練を受ける横で、エレオノールは窓の外を見ながら考える。


聖女の仕事――。


レガリア国内に張り巡らされた結界の維持。

回復薬のポーションを遥かに上回る癒しの力。

そして、戦場へ兵を戻し続けるための力。


レガリアが聖女を欲しがる理由。


それは癒しか、破壊か。

聖女の力は純度が高く、干渉力も強い。使い方次第では兵器になる。

レガリアが喉から手が出るほど欲しがる力だ。


けれどハルカは、それを望まない。


なら必要なのは、防御。

誰も傷つけず、誰も傷つかない形。


「うぅ……」


考え込みすぎて机に突っ伏すと、冷えた声が飛んだ。


「授業の妨げです」


モーリスだった。


「退室していただきますよ」


エレオノールはぴたりと止まる。


術式は乱せる。

聖女の波形は増幅できる。

魔法は心に強く影響されるという。


「あっ!」


教壇から深いため息。


はい、すみません。

両手を合わせて謝罪しながらも、思考は止まらない。


雑音石。


術式を乱す、あの不協和音のように。

戦場そのものを無力化できないか。


攻撃魔法も、防御魔法も、興奮も、殺意も。

すべて鎮めてしまえばいい。

戦う理由ごと薄めてしまえば。


授業が終わるや否や、エレオノールは椅子を引いた。


「ねぇ、聞いて」


思いつきを一気に話す。


ハルカは少し不安そうに眉を寄せた。


「でも、私にそんな力あるかな」


「あるわ。それに増幅用の魔石もあるでしょう?」


モーリスが顔を上げる。

エレオノールは勢いのまま続けた。


「聖女の波形を増幅して、戦場の術式全部に上書きするの。攻撃も、防御も、戦意も」


平穏へ書き換える、強制停止。

モーリスは顎に手を当て、長く黙った。


「……できるな」


その一言に、胸が跳ねる。


「そのためにも、まず」


彼の視線がハルカへ向く。


「聖女の力を安定させる必要があります」


「私は何をすればいいの?」


「特別なことは不要です。訓練を継続してください。それと、精神状態を安定させること。魔法は心に強く影響されます」


ハルカは真剣に頷いた。


「わかりました」


エレオノールは指を折って整理する。


「癒しの力はポーション化できるわよね?」


「ええ。最上級品になるでしょう。そちらも研究対象です」


よし。

残る問題は一つ。


「モーリス。聖女の心の安定のためにも、その指輪なんとかならない?」


「無理です」


刃物のように鋭い拒否。

さすがに王命までは覆せない。

保留だ。


ハルカを見ると、彼女は小さく頷いた。


不安は消えていない。

それでもハルカは、もう逃げる顔をしていなかった。


その夜、ミス・ヴィランは書き続けた。

翌朝、あの令嬢に呼び止められるとは知らずに。


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