その関係は、作らせない
「……なぜ、あなたがここにいるんです?」
放課後の教室は、窓際から順に赤く染まり始めていた。机の脚が長く影を落とし、黒板の文字まで夕色を帯びている。
その中央、教壇に立つモーリスが、歓迎の欠片もない目でこちらを見下ろしていた。
エレオノールはハルカの隣へ机を寄せたまま、椅子に座り直す。裾の皺を整え、いつもの笑みを作った。
「レガリア国の次期王太子妃として、聖女様の力を把握するのは当然の務めかと」
モーリスの瞳が細まる。
感情が薄い顔なのに、不快だけは見て取れた。
「……授業の妨げにならないのであれば、構いません」
拒絶したい。だができない。そんな声音だった。
モーリス・トレトン。
同い年でありながら、すでに魔術師団に属する異例の学生。
天才魔法師のうえ、人形のような美貌。絵から抜け出てきたみたいだ。
……この世界、二次元だったわ。
ハルカの話では攻略対象の一人。
聖女の力が暴走し、彼が庇い、傷を癒やされて恋に落ちる。
ずいぶん手堅い王道ルートらしい。
なら、庇わせなければいい。
恋が始まる前に、ページごと破ればいい。
エレオノールはハルカの指へ視線を落とした。
白い指に嵌められた青石のリングが、夕陽を受けて鈍く光っている。
――まずは、モーリスの旗を折る。
二人きりの特別授業が起点になるなら、話は単純だ。
二人きりにしなければいい。
「まず、あなたの力を測ります。両手を広げてください」
静かな声なのに逆らいづらい。命令に慣れた人間の響きだった。
ハルカは小さく息を吸い、両手を差し出す。
指先が少し震えている。
モーリスがその上へ掌をかざした。触れてはいない。十センチほど空いている。だが、その隙間の空気がゆらりと歪んだ。
窓辺のカーテンが、風もないのに持ち上がる。
「金色……やはり光属性の高純度型か」
「テンプレすぎっ……」
笑いが喉から漏れた。
堪えきれなかった。
ハルカが「ちょっと」と睨むが、本人も口元が崩れている。
モーリスの咳払いが落ちた。
乾いた一音だけで、教室の温度が下がる。
二人とも素直に姿勢を正した。
「これ、共鳴ですか?」
ハルカが手のひらの上で揺れる光を見ながら尋ねる。
「位相干渉でしょう? 強い魔力同士が近づけば波が重なる。珍しくもない現象よね」
エレオノールが横から答える。わざと専門用語を混ぜた。
モーリスの測るような視線が、すっとこちらへ向く。
「ええ。歴代の聖女の記録にもあります」
認める。だが面白くはない。そんな声だ。
彼は再びハルカへ向き直る。
「魔力量は……私と同程度。いや、それ以上かもしれない」
エレオノールは肩をすくめて、軽く笑った。
「でしたら、ハルカ一人で大規模魔法陣の維持も可能かもしれませんわね」
牽制だった。
あなたがいなくても成り立つ、と。
モーリスは眉一つ動かさない。
「あくまで量の話です。制御が伴わなければ意味はない。暴走すれば本人も周囲も損壊します」
事務的な声音。
だがハルカの肩が強張るのがわかった。
怖がらせる言い方を選んでいる。
「つまり、訓練次第では問題ないのですね?」
すぐに言葉を差し込む。
「理論上は」
「安心だわ。ハルカは優秀ですもの」
ハルカがちらりとこちらを見る。
その目に少しだけ落ち着きが戻る。
「優秀かどうかは、これから判断します」
モーリスが告げると、机上の羽ペンがふわりと浮いた。
指一本動かしていない。
視線だけで、ペンが左右へ滑り、上下し、くるりと回る。
次の瞬間。
そのペン先が、エレオノールの机へ向けて落ちてきた。
反射的に手を引く。
羽ペンは机に刺さる寸前で止まり、乾いた音を立てて横倒しになった。
……性格が悪い。
「危ないわよ」
低く言っても、モーリスは意に介さない。
「今の動きを再現してください。浮かべる想像を」
ハルカは机上のペンを見つめる。
教室が静まり返る。
すっと、ペンが浮いた。
ぎこちなさはない。むしろ滑らかだ。先ほどの軌道をなぞるように、左右へ、上へ、くるりと一回転。
最後は机の中央へ、音もなく降りた。
エレオノールは立ち上がって拍手した。
「すごい! 初めてでしょう? 天才では?」
ハルカは慌てて首を振る。
「たまたまよ」
頬が赤い。
「再現性が高い。確かに優秀ですね」
モーリスの声は平坦だった。
けれど視線だけは、ハルカの手元からなかなか離れない。
「言われた通り想像しただけです」
「それが重要です」
模範的な講評。
少なくとも表面上は。
エレオノールは椅子に座り直し、机に肘をついた。
二人きりの空気はできていない。
自分という異物が挟まり続けている。
順調だ。
ハルカの指のリングが、淡く光を反射した。
「それより、モーリス」
「なんですか」
顔も向けずに返す。
「その指輪。外してあげて」
教室の空気が止まる。
ハルカの手が反射的に握られた。
「無理です。王命です」
予想通り。
「位置特定用の媒体でしょう? 魔力振動の固定化。あるいは精霊回路を利用した追跡かしら」
モーリスの目が細くなる。
「……よくご存じで」
「フォルタ王国の王女として魔法理論の基礎は叩きこまれていますから」
さらりと返し、続ける。
「では、強いノイズで撹乱できる可能性は?」
ハルカが驚いた顔でこちらを見る。
モーリスは数秒黙った。
「検証はしていません。ですが、不可能ではない」
よし。
「やってみていい?」
「あなたが? どうやって」
エレオノールは鞄から小さな布袋を取り出した。
中から転がり出たのは、粗く削れた石片を寄せ集めたような塊だった。
一見、失敗作にしか見えない。
「加工で出た魔石の破片を固めたものよ。波長の合わない不良品」
――波長がバラバラだからこそ、そのノイズで撹乱できると思った。
そこへ小さなゼンマイ器具を取り付ける。
「これに物理振動を与えると――」
カチリ。
ゼンマイを回した瞬間、ハルカとモーリスが同時に耳を押さえた。
魔力を持たないエレオノールには何も聞こえない。
だが教室の空気がびりびりと震えた気がする。
ハルカの顔が歪み、エレオノールは慌てて手を止めた。
静寂が戻る。
ハルカが涙目でこちらを見た。
「今の、何……っ」
……泣かせるつもりはなかったのだけど。
「魔石の固有振動数を乱して雑音を撒く仕組み。位置特定の妨害になるかと思ったのだけど」
「頭の奥が痛い……」
「改良が必要ね」
モーリスは片耳を押さえたまま、青ざめていた。
「……魔力を使わず、物理現象だけで波形干渉を?」
信じがたいものを見る顔だった。
「なんて非効率な……。知識があるのか、ないのか」
「褒め言葉として受け取るわ」
「受け取らないでください」
彼は震える手で装置を取り上げる。
「二度と私の前で動かさないでください。気分が悪い」
そして声を低くした。
「それから、外部へ漏らさないでください。絶対に」
「もちろん。私はこの国の王太子の婚約者よ」
責任の重さを含ませると、モーリスは押し黙った。
ややあって、ぼそりと呟く。
「……素人でも理論へ辿り着けるのは危険ですね」
「でしたら」
エレオノールは笑う。
「あなたの監視下で研究してもよろしくて?」
モーリスの視線が初めて、聖女ではなくエレオノールへ向いた。
感情の読めない瞳が、ほんのわずかに揺れる。
夕刻の鐘が鳴る。
「今日はここまでです」
モーリスの声を背に、二人は鞄を取った。
教室を出る直前、エレオノールは机の上にノートを一冊置き忘れたふりをする。
歩きながら、口元だけで笑った。
……読んでくれるかしら。




