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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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5/12

運命は、二人で書き換える

春の光が柔らかく石畳を照らす朝、ハルカは学院の門をくぐった。

裾を気にしてぎこちなく歩く本人とは裏腹に、周囲の視線は自然と彼女へ集まっていく。


編入先はエレオノールと同じクラスになった。


――都合のいい偶然だけど、ありがたい。と朝までは思っていた。


甘かった。


黒髪が日の下で艶を返し、白い横顔が振り向くたび、人の流れがそちらへ寄る。そこへ“聖女”の肩書まで乗れば、放っておかれるはずがない。


「本当に聖女様なの?」

「治癒って、触れたらすぐ治るんですか?」

「王城ってどんなところ?」


質問が矢のように飛ぶ。

ハルカは困ったように笑って、律儀に答えられる問いに答える。断る術をまだ知らない顔だった。


助けに入りたいが、人垣が邪魔だ。


……人気者の救出は面倒である。


昼の鐘が鳴り授業が終わるやいなや、人が群がる前にエレオノールは彼女の手を引いた。

人目を避けるように食堂へ向かう。


銀器の触れ合う音、香辛料の匂い、学生たちの笑い声。ざわめきの海を抜け、奥の仕切りへ進む。


王族専用区画。


この国では、聖女と王族は同格。

厚い布で隔てられた向こう側は、別の建物みたいに静かだった。椅子を引く音さえ響く。


「やっと落ち着けるわね」


声を落とした、その直後。


「ハルカ。学院はどうだ? 困ってないか。誰かに絡まれてないか」


背筋が先に反応した。振り返るまでもない。ルイだ。


……絡んでいるのは、あなただ。


とエレオノールは喉の奥で呟く。


ハルカの肩先がぴくりと揺れる。それでも顔を上げ、礼を崩さず答えた。


「問題ありません。……エレオノールもいますし」


「そうか。よかった。困ったことがあれば、すぐ言ってくれ」


「はい」


返事はきれいだ。けれど指先が膝の布をつまんでいる。

給仕が皿を置き、肉の焼けた香りが立つ。ハルカは料理ではなく卓上のナイフを見ていた。


エレオノールは小さく息を吐く。


「殿下。そんなに話しかけては、ゆっくり食事ができませんわ」


柔らかく逃げ道だけは残して言うと、ルイは瞬きをした。


「ああ……すまない。そういうつもりではなかった」


本当に気づいていなかった顔だ。

悪意がない人間ほど扱いに困る。


「ゆっくりしてくれ」


名残惜しさを隠しもしない視線を置いて、彼は別卓へ向かった。そこでは第二王子が半ば呆れたような顔で待っている。


ようやく空気が緩む。

ハルカが長く息を吐いた。肩甲骨のあたりまで力が抜けるのが見て取れた。


パンを割りながら、エレオノールは声を潜める。


「あのゲームのこと、改めて詳しく聞かせて」


ハルカは周囲を見回し、聞く耳がないことを確かめてから頷いた。


「『レガリア聖恋録』は、この学院が舞台の乙女ゲーム。エレオノール、乙女ゲームの知識は?」


「基礎知識程度なら。攻略対象に好かれて、選択肢で分岐するのでしょう?」


「うん、大体それ」


彼女は指を折っていく。


「攻略対象は四人。……たぶん」


「たぶん?」


「隠しルートがあるかもしれない。でも私はそこまでやれてない」


申し訳なさそうに眉尻が下がる。


「十分よ。足りなければ、そのうち向こうから出てくるわ」


そう返すと、ハルカは少しだけ笑った。


「一人目は、彼」


視線の先。

弟と話しながらも、こちらをちらちら見ている金髪の王太子。


「やっぱり」


「二人目が騎士団長子息のヴァレル。三人目が宰相子息のユーベル」


エレオノールの手が止まる。


……よりによって、その二人。


つい最近まで、彼女の原稿の中で勝手に恋をさせていた青年たちだ。現実では攻略対象だったらしい。


これもまた、神の計画通りなのか。


「最後が魔法師。私を召喚したモーリス」


ハルカは右手を差し出した。

中指の青い石が鈍く光る。城で初めて見たとき、場違いに綺麗だと思った。


「これ、その人ルートのキーアイテム」


「首輪の間違いでは?」


「……まあ、近い」


乾いた笑いが返る。


「位置がわかるらしいの。最悪、術式を使われたら彼の元へ強制転移。夜でも、お風呂でも、逃げた先でも」


「最悪な拘束具ね」


口では軽く言ったが、喉の奥が冷える。

逃げ道を塞いだうえで好感度を稼ぐとは、趣味が悪い。


「こんなのなくても逃げられないのに」


ハルカはフォークを皿に置いた。金属音が硬い。

エレオノールは顎先に指を添える。


「……なら、まず外す」


「外せるかな」


「外させるのよ」


眼鏡を押し上げる。レンズに窓の光が走った。


「そのためにも、モーリスの旗は早々に折る」


「旗って言い方」


「便利でしょう?」


ハルカが吹き出す。


食後の紅茶が運ばれてきた。

琥珀色の表面をスプーンで回しながら、エレオノールは何気なく尋ねる。


「ところで。ハルカがいた日本って何年?」


「エレオノール、二〇二六年に死んだって言ってたよね」


「ええ」


「私は二〇二七年」


意味が遅れて伝わる。


「……一年後?」


「そう。一年しか経ってない」


カップを持つ指に力が入る。

こちらで十七年。向こうでは一年。

理屈としては飲み込めても、胸のどこかが追いつかない。


「じゃあ……」


恐る恐る続きを促すと、ハルカは口角を上げた。


「コナンもワンピースも終わってない」


「……そっかぁ」


全身の力が抜けた。


世界の成り立ちより先に連載状況を気にしてしまう自分は、たぶんもう治らない。


そこから話題は雪崩れた。


「あの作品の二期、見た?」

「見た! 作画が神だった」

「わかる。あと脇役が最高で――」

「それ!」


十七年ぶりに通じる会話に、エレオノールの胸が詰まる。

声が大きくなる。身振りも増える。

好きなものの話をする人間は、大体うるさい。


――ゴホン。


わざとらしい咳払いで我に返る。

少し離れた席の上級生が、紅茶越しにこちらを見ていた。


エレオノールは即座に背筋を伸ばし、眼鏡を直す。


「……失礼しました」


小声で詫びてから、真顔でカップを置く。エレオノールは言った。


「一つだけ確認したいのだけれど」


「なに?」


地雷を踏まないために――。


「攻めの反対は?」


ハルカの肩が震える。


「守り」


「……」


「“受け”って言ってほしかった?」


エレオノールは黙って頷く。

ハルカは口元を押さえて笑った。


「腐女子ってほどじゃないけど、たしなみ程度なら」


「……おお」


思わず声が漏れる。


「エレオノールは?」


「二次創作もするし、基本雑食」


「いいね」


その一言が妙に嬉しかった。

笑いが収まったあと、エレオノールの口から本音がこぼれる。


「前世では隠していたの。こうして普通に話せる相手がいるなんて……思わなかった」


ハルカが目を丸くする。


「普通に、って」


「友達として、よ」


言ってから少し早かったかと思う。


「あ、図々しかったかしら」


「ううん」


ハルカは首を振った。


「嬉しい。この世界で最初の友達が、本当は私をいじめて処刑される悪役王女って、変だけど」


「本当にね」


二人で笑う。


席を立ち、並んで食堂を出る。

来たときより距離が近い。肩が触れても、どちらも避けない。


廊下に靴音が二つ続く。

ふと、ハルカが尋ねた。


「エレオノール、前世では何歳だったの?」


少しだけ迷ってから答える。


「……三十二」


「思ったより上だった」


「おばさんって言っていいのよ」


「でも今は同い年でしょ。それともお姉さまって呼んだほうがいい?」


そう言って、ハルカは腕を絡めてきた。制服越しの体温が伝わる。


「それはそれで新しい扉が開きそうね」


「じゃあ、同い年の友達ね」


あっさりと扉は閉められた。


廊下の窓から春の風が入り、袖口を揺らす。

隣には友達がいる。

未来は、少しだけ怖くなくなっていた。


教室へ戻ると、ハルカの顔が一瞬にして変わる。

彼女の元へ呼び出しが届いていた。差出人は、魔法師モーリス。


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