運命は、二人で書き換える
数日後。
春の光が柔らかく石畳を照らす朝、ハルカは学院の門をくぐった。
どこかぎこちなく歩く本人とは裏腹に、周囲の視線は自然と彼女へ集まっていく。
編入先はエレオノールと同じクラスになった。
都合のいい偶然だけど、ありがたい。と朝までは思っていた。
甘かった。
黒髪が日の下で艶を返し、白い横顔が振り向くたび、人の流れがそちらへ寄る。そこへ“聖女”の肩書まで乗れば、放っておかれるはずがない。
「聖女様ってどんな魔法が使えるの?」
「治癒って、触れたらすぐ治るって本当?」
「王城に住んでらっしゃるの?」
質問が矢のように飛ぶ。
ハルカは困ったように笑って、律儀に答えられる問いに答える。断る術をまだ知らない顔だった。
助けに入りたいが、人垣が邪魔だ。
……人気者の救出は面倒である。
昼の鐘が鳴り授業が終わるやいなや、人が群がる前にエレオノールは彼女の手を引いた。
人目を避けるように食堂へ向かう。
銀器の触れ合う音、香辛料の匂い、学生たちの笑い声。
ざわめきの海を抜け、奥の仕切りへ進む。
王族専用区画。
この学院では、聖女と王族に準じる扱いだ。
一段高く設えられた向こう側は、喧騒が遠く椅子を引く音さえ響く。
「やっと落ち着けるわね」
声を落とした、その直後。
「ハルカ。学院はどうだ? 困ってないか?」
背筋が先に反応した。振り返るまでもない。ルイだ。
……絡んでいるのは、あなただ。
と、エレオノールは喉の奥で呟く。
ハルカの肩先がぴくりと揺れる。それでも顔を上げ、礼を崩さず答えた。
「問題ありません。……エレオノールもいますし」
「そうか。よかった。困ったことがあれば、すぐ言ってくれ」
「はい」
返事はきれいだ。
けれどハルカはルイの顔を見ることなく、手元のナプキンを意味もなく整えている。
給仕が皿を置くと、肉の焼けた香りが立った。
「殿下。そんなに話しかけては、ゆっくり食事ができませんわ」
エレオノールが柔らかく逃げ道だけは残して言うと、ルイは瞬きをした。
「ああ……すまない。そういうつもりではなかった」
本当に気づいていなかった顔だ。
悪意がない人間ほど扱いに困る。
「ゆっくりしてくれ」
名残惜しさを隠しもしない視線を置いて、彼は弟が待つ卓へ戻った。
ようやく緩んだ空気に、彼女の肩から力が抜けるのが見て取れた。
パンをちぎりながら、エレオノールは声を潜める。
「あのゲームのこと、詳しく聞かせてもらえる?」
ハルカは周囲を見回し、聞く耳がないことを確かめてから頷いた。
「『レガリア聖恋録』は、この学院が舞台の乙女ゲーム。エレオノール、乙女ゲームの知識は?」
「基礎知識程度なら。攻略対象に好かれて、選択肢で分岐するのでしょう?」
「うん、大体それ」
彼女は指を折っていく。
「攻略対象は四人。……たぶん」
「たぶん?」
「隠しルートがあるかもしれない。でも私はそこまでやれてない」
申し訳なさそうに眉尻が下がる。
「十分よ。足りなければ、そのとき考えればいいわ」
そう返すと、ハルカは少しだけ笑った。
「一人目は、彼」
視線の先。
弟と話しながらも、こちらをちらちら見ている金髪の王太子。
「やっぱり」
「二人目が騎士団長子息のヴァレル。三人目が宰相子息のユーベル」
エレオノールの手が止まる。
……よりによって、その二人。
つい最近まで、彼女の原稿の中で勝手に恋をさせていた青年たちだ。
現実ではゲームの攻略対象だったらしい。
これもまた、シナリオの引力なのか。
「最後が魔法師、私を召喚したモーリス」
ハルカは右手を差し出した。
中指にはまった、青い石の指輪が鈍く光る。城で初めて見たとき、場違いに綺麗だと思った。
「これは、モーリスルートのキーアイテム」
「首輪の間違いでは?」
「……まあ、近い」
乾いた笑いが返る。
「位置がわかるらしいの。最悪、彼の元へ強制転移。逃げた先でも、夜でも、お風呂に入っててもね」
「最悪な拘束具ね」
口では軽く言ったが、喉の奥が冷える。
逃げ道を塞いだうえで好感度を稼ぐとは、趣味が悪い。
「こんなのなくても逃げられないのに」
ハルカはフォークを皿に置いた。金属音が硬い。
エレオノールは顎先に指を添える。
「……なら、まず外す」
「外せるかな。何度抜こうとしても外れないの。それに、つけるように命じたのは魔法師団長よ」
「……厄介ね」
エレオノールは青い石を睨む。
「でも、このままにはしない。まず解除方法を調べましょ」
「うん」
眼鏡を押し上げる。レンズに窓の光が走った。
「それとは別に、モーリスの旗は早々に折る」
「旗って言い方」
「便利でしょう?」
ハルカが笑った。
食後の紅茶が運ばれてきた。
琥珀色の表面をスプーンで回しながら、エレオノールは何気なく尋ねる。
「ところで。ハルカがいた日本って何年?」
「エレオノール、二〇二六年に死んだって言ってたよね」
「ええ」
「私は二〇二七年」
意味が遅れて伝わる。
「……一年後?」
「そう。一年しか経ってない」
カップを持つ指に力が入る。
こちらで十七年。向こうでは一年。
理屈としては飲み込めても、感情が追いつかない。
「じゃあ……」
恐る恐る続きを促すと、ハルカは口角を上げた。
「アガサも航海王も終わってない」
「……そっかぁ」
全身の力が抜けた。
世界の成り立ちより先に連載状況を気にしてしまう自分は、たぶんもう治らない。
そこから話題は崩れた。
「ところで、RIRIって連載再開した?」
「まだ。あ、『足球!』の映画は公開されたよ」
「見たかった……続きが見たいのいっぱいあったのよ」
「だよね! それでさ――」
声が大きくなる。身振りも増える。
好きなものの話をする人間は、大体うるさい。
――ゴホン。
わざとらしい咳払いで我に返る。
少し離れた席の上級生が、紅茶越しにこちらを見ていた。
エレオノールは即座に背筋を伸ばし、眼鏡を直す。
「……失礼しました」
小声で詫びてから、真顔でカップを置く。エレオノールは言った。
「一つだけ確認したいのだけれど」
「なに?」
地雷を踏まないために――。
「攻めの反対は?」
ハルカの肩が震える。
「守り」
「……」
「“受け”って言ってほしかった?」
エレオノールは黙って頷く。
ハルカは口元を押さえて笑った。
「腐女子ってほどじゃないけど、たしなみ程度なら」
「……おお」
思わず声が漏れる。
「エレオノールは?」
「二次創作もするし、基本雑食」
「いいね」
その一言が妙に嬉しかった。
笑いが収まったあと、エレオノールの口から本音がこぼれる。
「この趣味、前世では隠していたの。こうして普通に話せる相手がいるなんて……思わなかった」
ハルカが目を丸くする。
「普通に、って」
「友達として、よ」
言ってから少し早かったかと思う。
「あ、図々しかったかしら」
「ううん」
ハルカは首を振った。
「嬉しい。この世界で最初の友達が、本当は私をいじめて処刑される悪役王女って、変だけど」
「本当にね」
二人で笑う。
席を立ち、並んで食堂を出る。
来たときより距離が近い。肩が触れても、どちらも避けない。
廊下に靴音が二つ続く。
ふと、ハルカが尋ねた。
「エレオノール、前世では何歳だったの?」
少しだけ迷ってから答える。
「……三十二」
「思ったより上だった」
「おばさんって思ったでしょ」
「でも今は同い年でしょ。それともお姉さまって呼んだほうがいい?」
そう言って、ハルカは腕を絡めてきた。制服越しの体温が伝わる。
「それはそれで新しい扉が開きそうね」
「じゃあ、同い年の友達ね」
あっさりと扉は閉められた。
廊下の窓から春の風が入り、袖口を揺らす。
隣には友達がいる。
未来は、少しだけ怖くなくなっていた。
教室へ戻ると、ハルカの顔が一瞬にして変わる。
彼女の机の上に、一通のメモが置かれていた。差出人は、モーリス・トレトン。




