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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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4/5

運命は、決められる

数分前まで、死罪だの処刑だのと泣きそうになっていた。

それなのに。


「さっそく、回避のために作戦会議をしましょ」


我ながら切り替えが早い。

今は頭の中で、“回避ルート一覧”を並べ始めている。


「あ、改めて。私はハルカ。大津遥。よろしくね――エレオノール様」


差し出された手を見る。


つい先ほどまで、その手はフォークを握っていた。喉元へ向けていた手とは思えないほど、今は所在なさげに開かれている。


「“様”はいらないわ。エレオノールでいい」


握り返す。

指先は少し冷たかった。


「よろしく、ハルカ」


ハルカはほっとしたように肩を落としたあと、すぐ顔を上げる。


「ね、早速なんだけど、私の言葉って普通に聞き取れてる?」


「ええ」


「じゃあ、これは?」


彼女は立ち上がり、机の上にある紙とペンを取り上げる。さらさらと書いた文字をエレオノールへ突き出した。


「読める?」


覗き込んだエレオノールは目を瞬いた。


「『黒の組織のボスは……』え、誰!? 明かされたの?」


ハルカが噴き出した。


「まだ! そこ食いつくんだ」


「だって気になるでしょう!」


「今、日本語で書いたんだけど、読めるのね?」


「読めるわ」


紙を受け取り、ハルカの言葉に耳を傾けた。

彼女によれば、この世界の文字は一見すると見覚えのない形をしているのに、読もうと意識を向けると不思議と意味が頭に流れ込んでくるのだという。


さらにハルカは続けた。

自分の書いた日本語は、相手の目にはこの世界の文字として映っているらしい。


――異世界召喚によるチート……いえ、天の配剤かしら。


「なるほど。この国、いえ、この世界の公用語は統一されているの」


「そうなの?」


「日本語に方言や訛りがあるみたいに、国ごとの差は多少ある。でも根っこは同じよ」


「この世界にバベルの塔は建たなかったんだ」


「少なくとも、言葉で困ることはなさそうね」


「よかった……」


胸へ手を当て、小さく息をつく。


その仕草に、ようやく年相応の少女らしさが見えた。さっきまでフォークを突きつけていた人物と同一人物とは思えない。


「ところで」


エレオノールは身を乗り出す。


「ここ、本当に乙女ゲームの世界なの?」


ハルカは真顔で頷いた。


「ってことは……ハルカはオタクという認識でいいかしら?」


エレオノールの眼鏡が光り、ハルカは確信するように頷く。


「うん。エレオノールも?」


それだけで十分だった。


この世界に来て十七年。誰にも通じない話題を喉の奥へ押し込んできた。前世の記憶はあっても、共有できる相手はいなかった。


やっと見つけた。

話の通じる人間だ。


エレオノールは反射的に机へ身を乗り出す。


「あれ、見てた? 『緋色の光陰』」


「もちろん!」


ハルカの声が一段高くなる。


「――あの解放のシーン、覚えてる?」


「最っ高だったよね!」


「「マジ神回!!」」


声が揃った。


二人して机を叩きそうな勢いで語り合う。数分前まで絶望が沈殿していた部屋とは思えない熱量だった。


ハルカが立ち上がって推し場面を再現し始め、エレオノールがそれに被せて作画回の話をする。百合の香りも紅茶も完全に置き去りだ。


――コンコン。


扉を叩く音で、二人同時に肩が跳ねた。


現実の音に、エレオノールは一瞬で背筋を伸ばす。


「どうぞ」


声を整えて返す。

扉が開き、入ってきたのはルイだった。

金の髪が窓の光を受け、淡く光る。整いすぎた顔立ちに、今はわずかな驚きが乗っていた。


「……随分、楽しそうだな」


低い声。

その視線が、二人の手元へ落ちる。


いつの間にか、ハルカと手を握っていた。


「あ、はい!」


勢い余って、明るすぎる返事が飛び出した。


しまった。

王女の仮面がずれた。


エレオノールは慌てて手を離し、眼鏡の中央を押し上げる。椅子へ座り直し、裾を整え、呼吸をひとつ。


「殿下、どうなさいました?」


「……いや。様子を見に来ただけだ」


「そうですか」


ルイの目がハルカへ向く。


だがハルカは、その視線を避けるように俯いた。膝の上で両手をきつく握っている。さっきまでの勢いが嘘のようだ。


当然か、とエレオノールは思う。

異世界へ連れてこられた張本人側の王族だ。顔を見ただけで感情がざわついても不思議ではない。


ルイはそのまま、なぜかエレオノールの隣へ腰を下ろした。


「殿下?」


「なんだ」


「なぜ、こちらへ?」


「私がいてはだめか?」


さらりと言う。


「私も話がしたい」


だめです。

喉元まで出かかった言葉を、王族教育が押し戻す。


――この人、分かりやすすぎる。


視線の九割がハルカへ向いている。婚約者の隣へ座っているくせに、意識は別方向だ。

もっとも、エレオノールに嫉妬心は一欠片もない。


とはいえ、ルイの気持ちは分からなくもない。


ハルカは美しい。


くっきりした二重。まっすぐ通った鼻梁。控えめな唇に差す赤み。同性の自分でも目を奪われる顔立ちだ。加えて、今は怯えたように伏せているせいで庇護欲まで刺激する。


攻略対象が落ちる造形をしている。

……私でさえ危ういのだから、男たちは無理だろう。


そのハルカは沈黙したまま、ルイを見ない。


話しかけたい王子。

話したくない聖女。

その間に座らされた婚約者。


エレオノールは静かに悟る。


――なるほど。これが悪役王女の立ち位置か。


さて、どう動く。


沈黙の落ちた部屋で、エレオノールは先に立ち上がった。


このまま三人で気まずく座っていても何も進まない。ルイはハルカを見て言葉を失い、ハルカはルイを見たくない。なら、動く役は自分だ。


ワゴンへ向かい、魔道ポットに魔石を当てる。内部の刻印が淡く光り、水が温まり直す低い唸りが手のひらへ伝わった。


「紅茶を淹れなおしますわ」


冷めたカップを下げ、新しいものを並べる。


「君が淹れるのか?」


ルイが少し目を見開いた。


「意外ですか?」


「……少し」


「王女は座って微笑むだけと?」


茶葉を量りながら答える。


「自分で言うのもなんですが、結構おいしく淹れられますのよ」


湯が落ちる音。立ちのぼる湯気。乾いた葉がゆっくり開き、紅茶の香りが部屋へ広がった。


この時間だけは落ち着く。

人の機嫌も、沈黙も、少し和らぐ。


出来上がった紅茶を、まずルイの前へ置く。次にハルカの前へ。


「冷めないうちにどうぞ」


ハルカはそっとカップを持ち上げた。縁へ息を吹きかける。細い指先がまだ少しこわばっている。


一口。


「……おいしい」


小さな声だった。


その一言で、エレオノールの口元が緩む。


「お口に合ってよかったわ。ケーキも評判なのよ。私が作ったわけではないけれど」


皿を勧めると、ハルカがくすりと笑った。


ほんの一瞬、花弁がほどけるような笑みだった。

――などと表現したくなる顔を、隣にいる男が真正面から見ている。

隠す気もないらしい。やはり分かりやすい。


ああ。

これが物語の始まりか。


聖女と王子が出会い、婚約者は脇へ押しやられ、やがて悪役王女になる。その第一歩。


――そうはさせるものですか。


湯気の向こうで、エレオノールは静かに眼鏡を押し上げた。


やがて、ハルカがカップを見つめたまま呟く。


「帰ることは、やっぱりできませんか?」


その声に、部屋の温度がまた少し下がる。

エレオノールは隣のルイを見る。彼は視線を伏せ、小さく咳払いした。


「できない」


その返答に、ハルカの指先がぴくりと震える。

ルイはすぐ言葉を継いだ。


「……誤解しないでほしい。帰さない、という意味ではない」


声色は落ち着いているが、どこか弁明じみていた。


「召喚を行った魔法師の話では――向こう側から再び召喚されない限り、こちらから干渉する術はないそうだ」


宣告だった。

ハルカの唇がきゅっと結ばれる。泣くまいと力を入れている顔。


窓の外から鐘が鳴る。夕刻を告げる重い音。

もうそんな時間か、とエレオノールは思う。


だが話は終わっていない。ようやく入口に立っただけだ。


「殿下」


姿勢を正して口を開く。


「来週もまた、お伺いしてもよろしいですか」


ルイは意外そうにこちらを見た。少しして、ハルカへ視線を移す。


「彼女が望むなら、構わないが……」


その言葉に、ハルカが顔を上げた。


迷いと、決意が混ざった目だった。


「あの……私も、学院に入学させてもらうことはできませんか?」


「で――」


言いかけたエレオノールの声を、横の男がさらっていく。


「できる!」


即答だった。

……分かりやすすぎる男である。


「いつからがいい? 準備はすぐ整えよう」


ハルカは目を見開き、それからやわらかく細めた。丁寧に頭を下げる。


「できるだけ早く、お願いします」


「わかった」


ルイは立ち上がり、そのまま扉へ向かった。


好きな相手のためなら躊躇がない。普段は優柔不断に見えても、決める時は速い。


……顔に全部出る癖さえ直れば、案外王としてやっていけるかもしれない。


扉が閉まり、室内に静けさが戻る。

エレオノールは座り直し、ハルカへ向き直った。


「ハルカ。私の目的は、死を回避すること。あなたは?」


ハルカは少し考えた。視線が揺れ、やがて正直に口を開く。


「できれば帰りたい。でも……無理よね」


その“でも”が重い。


「それなら、せめて……聖女をやめたい」


エレオノールは眉を上げた。


「でも、この国で聖女になれば待遇はいいわよ。衣食住は保証されるし、身分も――」


「問題はそこじゃないの」


きっぱりと遮るハルカの声は、震えていなかった。


「聖女って、戦地の兵士を治して、また戦地に送り返す役目なんでしょ?」


エレオノールの言葉が詰まる。彼女は知っていた。

人を救う力が、戦争を長引かせることもあると。

否定できない。レガリアの聖女とは、そういう存在だ。


「私の力で助けた人が、また死ぬかもしれない場所に行く」


ハルカの拳が膝の上で固く握られる。


「それを何度も繰り返すなんて、私にはできない」


エレオノールは黙って彼女を見る。


誰かが倒れ、誰かが泣き。

それでも癒し続けることを強いられる。

そんなものを、美談にできるはずがない。


平和な世界で育った感覚。けれど甘いと切り捨てるには、あまりにまっとうだった。

命を助けることと、命を戦場へ戻すことは同じではない。


「なら」


エレオノールは眼鏡を押し上げる。


「戦争を回避する方向ね」


ハルカが瞬いた。


「とはいえ、魔獣討伐もある。完全に争いを消すのは難しい」


頭の中で駒を並べる。政治、軍事、聖女、技術。


「あなたが直接戦地に赴かなくても済む仕組みを――」


「魔道具?」


先に言われた。

勘がいい。


「そう」


エレオノールは頷く。


「聖女の力を付与した魔道具の開発」


「それなら……」


「ええ。あなた自身の消耗も少ないはず」


ハルカの顔に、ようやく現実的な希望が差し込む。

エレオノールも小さく笑った。


「目的が決まれば、あとは行動あるのみよ」


エレオノールは立ち上がる。


「ハルカ。次は学院で会いましょう」


ハルカも立ち上がった。


「うん。よろしくね、エレオノール」


その笑顔は、先ほどの儚さとは違う。根を張る花のように強かった。


こうして、自分の役割がはっきりした。


悪役王女。最後は死罪。


けれど、従う理由にはならない。

いきなり死んで、転生して、また死ぬ?


そんな雑な筋書きを受け入れてたまるか。


読みたい物語がある。書きたい未来がある。

笑いたい夜も、語りたい相手もできた。


運命が物語だというのなら、この手で書き換えてみせる。

次に会うのは、学院の教室だ。

悪役王女と聖女が並んで笑い合う姿を、この世界は想定していない。


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