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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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3/5

彼女は、この世界を知っている

数日後、エレオノールはルイと同じ馬車に乗り、レガリア王城へ向かっていた。


車輪が石畳の継ぎ目を拾うたび、座面が小さく揺れる。窓の外では王都の通りが流れていく。春の陽気に浮かれた人影、荷馬車、露店の呼び声。どれも硝子越しに遠い。


王城を訪れるのは二度目だった。


最初は学院入学前。婚約者としての顔見せ。未来の王太子妃として、笑い、礼をし、淀みなく歩くためだけの日。


今日は違う。


膝の上で重ねた指先に、わずかに力が入る。

向かいに座るルイは口数が少ない。彼も緊張しているのか、窓の外ばかり見ていた。普段なら場を整える程度の会話はする男だ。今朝はそれすらない。


「……様子は、いかがなのですか」


エレオノールが口を開くと、ルイは少し遅れて視線を戻した。


「落ち着いている、とは言い難いな」


選んだ言葉の裏に、扱いかねている気配が滲む。


「食事も進まず、夜も眠れていないようだ。侍女たちの話では、部屋の外へ出ることもほとんどないらしい」


それは予想の範囲内だった。だが実際に口にされると、胸の奥に鈍い重さが残る。


「帰りたい、と繰り返している」


その声は責めてはいない。ただ、理解できないものを前にした戸惑いがある。


帰りたい。


その一言の重さを、彼はまだ測れていない。

エレオノールは視線を落とし、静かに息を吐いた。


知らない場所で目を覚まし、見知らぬ人々に囲まれ、意味の分からない歓声を浴びる。

名前を問われ、答えさせられ、役割を与えられる。


「成功だ」と言われる側の感覚。

祝われているのに、本人だけが置かれている状況。

帰りたいと口にしても、それが通じない場所。


拒めば困惑され、応じれば称賛される。どちらに転んでも、本人の意思は後回しにされる。


――そういうものを、押し付けられたのだろう。


馬車が城門をくぐる。音の反響が変わり、外界と切り離された感覚が強まる。


ふと、考えがよぎった。


もし、自分が同じ立場だったなら。


記憶の奥にある前世。見慣れた街並み、帰り道、別れ際の軽い挨拶。何もかもが途切れたまま、別の場所で目を覚ます。

戻る手段も知らされず、理由も納得できないまま。


――耐えられるはずがない。


胸の内で言葉が形になる前に、馬車は止まった。


従者が扉を開け、外気が流れ込む。鼻先に金属と香木の匂いが触れた。フォルタの城とは異なる質の重さがある。あちらが磨かれた格式なら、こちらは戦利品を積み上げた豊かさだ。


厚い絨毯が足音を呑み込み、白亜の壁には金の燭台がきらめく。

魔力資源を持たぬ代わりに、剣で領土を広げた国。歩くほどに、その気質が壁から滲んでくる。


「こちらだ」


ルイの声で現実へ戻る。


案内された廊下の奥、重い扉の前に兵が二人立っていた。王太子の姿を見るや、無言で敬礼する。槍の石突きが床を打つ乾いた音が響いた。


ルイは扉を軽く叩く。


「ハルカ。私だ」


返事はない。


「……入るよ」


諭すような、子どもを刺激しないための声だった。


扉が開く。


室内は明るいのに、どこか閉ざされていた。薄いレースのカーテンが風に揺れ、日差しを細かく砕いている。百合の甘い香りが静かに満ちていた。


長椅子に座る少女は、こちらへ背を向けたまま動かない。

肩先ひとつ揺れない。

時間だけ、この部屋で止まっているように見えた。


エレオノールがルイを見ると、彼はわずかに身を引いた。助けてほしい、と口にしない目だった。


「失礼いたします」


紅茶を載せたワゴンを押し、侍女が入ってくる。


「こちらは私が」


エレオノールは自然に受け取り、侍女へ微笑む。


「あとは大丈夫よ」


侍女は戸惑いながらも一礼し、下がった。扉が閉まり、小さく金具の音が鳴る。


部屋には二人きり。

エレオノールはワゴンを卓の脇へ寄せ、少女の正面へ回る。


黒い髪に艶はない。白い肌は血の気を失って青白く沈んでいる。

右手の中指に、水底のような青い石が光っていた。場違いなほど綺麗な色をしている。


瞳は焦点を結ばず、何も映していないようで、どこか一点だけを見続けていた。

目の縁は赤くただれ、瞼の下には濃い影が落ちている。

眠れていないのは、ひと目でわかった。


「初めまして。フォルタ王国第一王女、エレオノール・メルダと申します」


深く礼はしない。頭を少し下げるだけ。

宮廷式の作法を浴びせても、この子には重しにしかならない。


返事はない。

だが虚ろだった瞳の奥に、暗い光が戻る。


――エレオノール。


その名にだけ反応した。


エレオノールはポットを取り、湯を注いだ。細い音が陶器に当たる。妙にその音だけ鮮明だった。


「どうぞ」


カップと菓子皿を置く。

王都で評判の菓子だと聞いたチョコレートトルテ。甘い香りが百合に混ざる。


向かいの長椅子へ腰を下ろす。

顔を上げた瞬間、目の前の少女の瞳が別人のように鋭くなった。


銀の線が閃いた。


喉元へ、フォークの切っ先が突きつけられる。


エレオノールの息が止まる。


背中を汗が一筋走った。身体が硬直する。逃げれば刺さる距離だ。


「静かにして」


低い声だった。

先ほどまで空っぽに見えた瞳が、今は鋭くエレオノールを射抜いている。


「あなた、エレオノールなの?」


フォークがわずかに近づく。喉の皮膚が冷える気がした。


目の前の少女は、口元だけが笑っている。瞳は、今にも崩れそうに乾いていた。


「あなたを人質にしたら、帰してもらえるのかな」


喉元の冷たさに、呼吸が浅くなる。

それでも、目は逸らさない。


「……私とあなただったら、この国はあなたを取るわよ」


声は少しだけ震えていた。


「そうなれば、あなたは帰れない」


少女の手が揺れる。


このままでは、彼女は捕まる。

王女殺害。聖女。


どんな理屈でも、この国は彼女を手放さない。


「一生、ここに閉じ込められるわよ」


「帰れないなら」


言葉が途切れる。


「……死んだ方が、マシかも」


胸の奥が強く縮んだ。


違う。


そんな顔で言う言葉じゃない。


「……だめ」


喉がうまく開かない。


「それは、だめよ」


声が掠れる。それでも届かせるしかない。


濁った黒い目に涙が浮かぶ。

唇が震え、押し殺していたものが堰を切る。


「もう嫌なの! 何で私なの!?」


怒鳴った声のあとに、息の乱れだけが残る。

追い詰められた者の呼吸。


――どうする。


慰めでは届かない。理屈でも無理だ。王族の言葉など毒にしかならない。

何か。彼女と自分を繋ぐ、王城の外のもの。


脳裏に前世の断片が散る。コンビニ、電車、深夜アニメ、ニュース、漫画。


口が先に動いた。


「名探偵コナンって、もう終わった!?」


少女の目が見開かれる。


「……は?」


「あ、いや、私が死んで転生してから十七年経ってるから……その、さすがに完結したかなって」


ひどい。支離滅裂だ。

けれど賭けるなら、ここしかない。

少女の焦点が、初めてまっすぐエレオノールに合った。


部屋の空気が変わった。


「私、二〇二六年に死んだの。今、向こうは何年? 日本って今どうなってるの? 総理、誰?」


矢継ぎ早に投げる。


少女の指から、するりとフォークが落ちた。

エレオノールは反射でそれを掴む。銀の柄が掌へ食い込むほど冷たい。


――武器は、もういらない。


そっと卓へ置き、それから、ようやく深く息を吐いた。


「……安心して」


エレオノールは喉の震えを押し込みながら言った。まだ指先に、さっき掴んだフォークの冷たさが残っている。


「あのね。私は日本人だった記憶を持つ、転生者。あなたの味方よ」


少女の喉が小さく鳴った。


「う、うそ……だってエレオノールって……」


「……私を知っているの?」


思わず聞き返す。


ついさっきまで刃を向けていた相手が、今度は怯えた顔でこちらを見ていた。肩の力が抜け、目だけが忙しく揺れている。


「……あなた、この世界のこと知らないの?」


知らない?


その言葉が耳の奥で引っかかった。


十七年、この世界で生きてきた。言葉を覚え、礼儀を叩き込まれ、歴史も地理も学び、王族として振る舞ってきた自分が。


何を言っているの、この子は。


少女――ハルカは、糸が切れたように長椅子へ崩れ落ちた。背もたれへ身体を預け、額を押さえ、天井を仰ぐ。目を閉じたまま、長い息を吐く。


百合の香りだけが静かに漂う。


部屋はまた、しんとした。


そして――ハルカはゆっくりと告げた。


「ここは、乙女ゲーム『レガリア聖恋録~四人の騎士と神託の乙女~』の世界」


その一言で、何かがぴたりと噛み合った。


エレオノールは目を見開いたまま動けない。


整いすぎた学院制度。都合よく集められた各国の貴族子弟。絵に描いたような王太子。聖女召喚。騎士だの神託だの、やけに耳障りのいい単語。


これまで感じていた小さな違和感が、一気に輪郭を持つ。


――そういうことだったのか。


乙女ゲームは守備範囲外だった。前世でも触れたことがない。だから気づかなかった。


だが次の言葉は、理解より先に頭を殴ってきた。


「あなた、エレオノールは悪役王女様」


頭の中が真っ白になる。


「最後は死罪よ」


「……は?」


声が遠い。自分の口から出たとは思えなかった。


「私が悪役王女……?」


指先から体温が抜けていく。


なんで私が。何をしたというの。


「……しかも、死罪って」


笑って済む冗談だと言ってほしかった。誰かの趣味の悪い悪ふざけだと。


けれどハルカの顔は真剣だった。


唇が震える。うまく笑えない。


待って。


胸の奥が冷え、呼吸が浅くなる。


ハルカがじっとこちらを見ていた。


「というか……あなた、本当にエレオノール?」


「……それ、どういう意味?」


「私の記憶だと、眼鏡もかけてないし、もっと派手で……いかにも悪役って感じだったけど」


その言い方に、少し腹が立つ余裕だけ戻る。


エレオノールは立ち上がった。


何かの勘違いであってほしい。別人だと言ってほしい。


眼鏡を外す。耳の後ろが軽くなる。束ねていた髪紐を解くと、金の髪が肩へ落ちた。整え直す暇もなく、そのまま顔を上げる。


ハルカはまばたきを一つ。


「あ、エレオノールだ」


希望が音を立てて砕けたと同時に、腰も砕けた。

エレオノールはその場へ座り込んだ。絨毯の毛足が薄いドレス越しに膝へ当たる。


「嘘でしょ……」


視界が滲む。


死罪。


そもそも婚約は、レガリア側から望んだ話だ。フォルタの魔力鉱脈が欲しくて結んだ同盟のはずだった。


その要である自分を、死罪に?


切り捨てる前提の駒だったということか。


王女として嫌われないように、笑い方を覚えた。

国の役に立つように、学んだ。

間違えないように、息を潜めて生きてきた。


それが全部、

処刑台へ続く道だったと?


「私、死ぬの……? なんでよ……」


情けない声だった。喉が熱い。

ハルカは容赦なく続ける。


「王子に好かれた私を、あなたが徹底的にいじめて」


淡々と。


「最終的に国家転覆罪を疑われて死刑」


雑だな、と一瞬だけ思った。

悪役令嬢のテンプレートすぎる。


……待って。


エレオノールは涙のにじむ目を上げた。


「ということは……いじめなければいいわけでは?」


ハルカが口を閉じる。


「そもそもあなたが王子に好かれたとしても」


ルイの顔が脳裏に浮かぶ。整った顔。気遣いはある。

だが恋慕の対象として見たことは一度もない。


「私、ルイ殿下に恋心を一ミリも抱いていないのだけれど」


「……え?」


「なぜ、いじめる必要があるの?」


ない。


はっきりしていた。


ハルカの表情が変わる。戸惑いから、考える顔へ。


「……シナリオ通りに動かなければ、変えられる?」


その言葉に、エレオノールの頭が急に回り始める。


「そもそも、エレオノールの姿が違う時点で」


ハルカも身を乗り出した。


「この世界、改変できるってことじゃない?」


頭の奥で火花が散る。


「そうよ!」


エレオノールは勢いよく立ち上がった。


「私がエレオノールに転生した時点で、もうシナリオはズレている!」


ハルカも跳ねるように起き上がる。


二人は顔を見合わせた。さっきまで敵意で歪んでいた距離が、一気に縮む。

手が伸び、自然に握り合っていた。


「なら、壊せる」


「こんな結末」


声が重なる。


「「私たちで変える!!」」


部屋を覆っていた重苦しい空気が、ふっと抜けると、二人はようやく息ができた。

百合の香りも、冷めかけた紅茶の甘さも戻ってくる。


ハルカが視線を落とし、小さな声で言った。


「……さっきは、ごめんなさい」


フォークのことだろう。

エレオノールは首を振る。


「いいの。私こそ、突然コナンの話してごめんね」


ハルカが吹き出すように笑った。


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