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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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30/35

疑惑は、まだ消えない

用意されていた服は、黄みを帯びた緑色の長衣だった。

指先で布を撫でた途端、粗い織り目が肌を擦る。王城で身につけていた絹とも、学院の制服とも違う。囚人用に近い実用品なのだろう。

妙に冷静な頭の片隅で、エレオノールはそんな感想を抱いた。


――この感触は、覚えておいた方がいいかもしれないわね。


自分でも嫌になるほど、状況への適応が早い。


手首には鈍い重み。

金属の輪と鎖が擦れ合うたび、耳障りな金属音が石壁に反響する。

兵士に先導され、地下通路を進んだ先にあったのは、牢とは別の一室だった。


中央に古びた机。向かい合わせに椅子が二脚。

飾り気もなく、窓もない。

審問のためだけに用意された部屋だと、ひと目でわかる。


促されるまま腰を下ろす。

拘束具は外されないまま、兵士が入口脇に立った。


耳に届くのは、自分の呼吸音だけ。

地下特有の湿った空気が、じわりと衣服に染み込んでくる。


しばらくして、廊下の向こうから靴音が近づいてきた。


扉が開き、入ってきた男を見て、エレオノールは内心で眉をひそめる。


痩せた身体。後ろへ撫でつけた色素の薄い髪。

鋭い鷲鼻と、感情を削ぎ落したような顔立ち。


貴族特有の洗練はある。けれど、人を安心させる温度は欠片もなかった。


男は正面へ腰掛けると、書類を整えながら名乗った。


「審問官、スタニック・ランボヴィルだ」


机の上へ並べられた紙束の中に、見覚えのある冊子が混じっている。


やっぱりそこから来るのね、と胸中で呟いた。


「……エレオノール・メルダ。貴女が“創作”と称しているこの原稿だが」


スタニックはページを開き、こちらへ滑らせた。


「聖女暴走事件以前に、類似した描写が存在している」


「偶然ですわ」


できる限り穏やかな調子を保ちながら返す。


「作中で描かれているのは、光に閉じ込められる状況です。でも実際に起きたのは、聖女の力が外へ拡散した現象。構造はまるで逆でしょう? 似ているというより、無理に結びつけているように見えますけれど」


スタニックは反応を変えなかった。


「では魔石については?」


書類を一枚めくる。


「あの時点でフォルタ製魔石の流通は限定的だった。扱えるのはフォルタ関係者、ダンボワーズ家、あるいは王族許可を受けた者のみ」


紙面を指でなぞる。


「宰相家からも報告が届いている。保管庫への出入り、閲覧履歴、管理名簿――すべて確認済みだ」


そこまで進んでいるの、と頭の奥で舌打ちする。


「貴女の名前は存在しない。だが、間接的に接触可能な経路はいくつも確認されている」


「可能性の話ばかりですのね」


「調査とはそういうものだ」


「入手できることと、細工が可能なことは別問題ですわ」


スタニックが初めて顔を上げた。


「聖女の力へ強く反応する性質は把握していたはずだ」


「高い親和性があるとは聞いていました。ただ、術式を組み込むには魔力操作が必要です。私は魔力を持たない。発動条件の固定も、継続維持も不可能です」


「貴女自身が行う必要はない。第三者に任せれば済む」


「証拠もなければ、動機も成立しておりませんが」


「動機?」


スタニックの口元が薄く歪んだ。


「明白だろう。貴女は自分が物語の中心になれないと悟り、現実そのものを書き換えようとした。あるいは、殿下の関心を引き留めるために聖女を利用した」


呆れを飲み込みながら、エレオノールは静かに返す。


「随分と想像力が豊かですこと。私は物語の主役になりたいと思ったことなどありませんし、殿下との関係についても周囲がご存じの通りです。相性が悪い。それだけですわ」


「どうだろうな」


スタニックは原稿を整え直す。


「貴女の作品には偏りが見られる。同性愛を扱ったものなど、常識から外れた内容が多い。作家特有の歪んだ妄執が、現実犯罪へ繋がる事例は過去にも存在する」


その瞬間、頭の芯が冷えて、怒りが腹の底に沸いた。

声が崩れそうになるのを懸命に押しとどめる。


「価値観の違いでしょう」


ゆっくりと言葉を置く。


「理解できない感情を“歪み”と呼ぶのは、ずいぶん便利な整理方法ですのね」


スタニックの指先が机を軽く叩いた。


「執着は犯罪の要因になり得る」


「それをどう扱うかは本人次第です」


これだけは、譲れなかった。


「創作と現実を同列に語るべきではありません」


「だが、今回は実際に事件が起きている」


「だからこそ、因果関係の立証が必要では?」


エレオノールは真っ直ぐに言葉を返す。


「原稿が存在するから犯人。そんな順序で結論づける方が危険ですわ」


やがてスタニックは小さく息を吐き、別の書類を開く。


「光華祭当日。貴女は暴走した魔道具を破壊したそうだな」


「被害を止めるためです」


「証拠隠滅ではなく?」


「何を隠す必要が?」


「魔道具はそのままモーリス・トレトンへ渡された。痕跡を壊した上で、調査の主導権を外部へ逃がした可能性がある」


「何もしていないのに、何を恐れる必要がありますの」


スタニックは首を傾けた。


「犯人は現場へ戻るものだ」


「ずいぶん芝居じみた理論ですこと」


「状況確認、証拠処理、あるいは支配欲の再確認。理由はいくらでもある」


「飛躍していますわね」


「飛躍でも、危険性は残る。貴女がレガリアにとって不安定因子である事実は変わらん」


エレオノールは一度目を伏せ、それから口を開いた。


「なら、別の可能性も検討されるべきでしょう?」


スタニックの眉が動く。


「別の可能性?」


「私ではない誰かが仕組んだ、と考える方が自然ではありませんか」


その場の空気が少し変わった。

だが、スタニックは追及を逸らすように、新しい話題を持ち出す。


「それと、プロムでの発言だ」


書類へ目を落とす。


「貴女はルイ殿下へ“不貞”を告白したという証言が複数ある」


「不貞、ですか」


「証言内容は一致している」


エレオノールは小さく息を吐いた。


「では、その証拠は?」


「現段階では証言のみだ」


「なら解釈の問題ですわね」


スタニックの目が細まる。


「どういう意味だ」


「私が申し上げたのは、“愛する者がいる”という事実だけです。その相手が“人間”であるとは、一言も述べておりません」


地下室に、沈黙が落ちた。

スタニックは値踏みするようにエレオノールを眺める。


「……なるほど」


低い声には、苛立ちが滲んでいた。


「認めぬならば、物理的証拠を掘り起こすまでだ。魔石鑑定の結果が出れば、貴女の虚偽も明らかになる」


そして苛立ちを隠さないまま、背後の兵士へ怒鳴る。


「魔術師団の報告はまだか!」


その声を待っていたかのように、扉が開いた。

最初に感じたのは、静けさだった。


廊下から近づいてくるはずの足音が、ほとんど耳に届かない。

それなのに、部屋の空気だけがゆっくり塗り替えられていく。


重い。


圧力に似た気配が、入口からじわりと広がってきた。


現れた男を見た途端、兵士たちの空気が変わった。


深い紺の魔導衣に、胸元と袖に刻まれた複雑な銀糸の紋様。

魔力そのものを織り込んだようなマントが、歩みに合わせて静かに揺れる。


レガリア魔法師団長――エドゥアール・ロマーニ。


その名を知らない者は、この国にはほとんどいない。


スタニックの顔から、初めて余裕が消えた。


「スタニック」


低い声だった。

穏やかですらあるのに、部屋全体を押さえ込むような重みがある。


「待っていただろう。鑑定結果だ」


数枚の書類が机へ置かれる。


「……師団長自らお越しいただく必要までは――」


言いかけたスタニックが、紙面へ目を落としたまま止まる。

読み進めるにつれ、その顔色が目に見えて悪くなっていった。


「……そんな。完全なシロ、だと?」


「ああ」


ロマーニは答える。


「私自身で確認した。その後、上位魔法師数名にも再鑑定を行わせている。結果は一致した」


静かな口調のまま、続けた。


「術式痕は検出されなかった。干渉痕跡、残留魔力、結晶構造の歪み――いずれも異常なしだ」


スタニックが唇を引き結ぶ。


「……見落としの可能性は?」


「ない。検出系統は三重。仮に細工が施されていたなら、どこか一箇所は必ず反応する」


部屋に再び沈黙が落ちる。


スタニックは書類を握りしめたまま動かなかった。


「……痕跡を完全消去した可能性は」


「理論上は存在する」


ロマーニは肩の力を抜いたまま答える。


「だが、それを行えるのは極めて限られた魔法師のみだ。しかも発動後の完全消去となれば、さらに難度が上がる」


「モーリス・トレトンは?」


スタニックが食い下がる。


「被疑者と親しい関係にあったと報告を受けています」


「その点も考慮済みだ」


ロマーニの口元に、薄く笑みが浮かんだ。


「本人から直接、私へ鑑定依頼が来た。利害関係を避けたいとな」


エレオノールは小さく目を見開く。


――モーリスが?


「……自分では鑑定しなかった、と」


「できるだけの技量はある」


ロマーニはさらりと言った。


「だが今回は、自ら手を引いた。信用性を優先したんだろう」


その目が、エレオノールへ向けられる。


「彼なりの判断だ」


スタニックは不快そうに眉を寄せた。


「ずいぶんと被疑者に肩入れしているようですね」


「珍しくもない」


ロマーニは気にも留めない。


「優秀な魔法師ほど、自分の鑑定に疑義が差し込まれる状況を嫌う」


そこで言葉を区切る。


「それに――」


細められた双眸が、こちらを捉えた。


「あいつが頭を下げる相手というのは、少々興味深かった」


胸の奥が不意に熱を持ち、エレオノールは咄嗟に目を伏せた。


「私は……」


声がうまく出ない。


「友人、だと思っていました。彼がどう考えているかまでは、わかりませんけれど」


「そうか」


ロマーニは静かに頷いた。


「あいつにも大事な友人ができたんだな」


その言葉に、鼻の奥に熱いものがこみ上げてきた。

泣くものかと思いながら、一度だけ静かに息を整える。


その空気を断ち切るように、スタニックがわざとらしく咳払いをする。


「つまり、結論としては」


書類を机へ置き直した。


「魔石への細工は確認されなかった。聖女暴走事件は、外的干渉によるものではない――そういう認識でよろしいか」


「あくまで現時点では、だがな」


ロマーニは答える。


「当日の聖女の精神的不安定。それに伴う魔力暴走。目撃者であるモーリス・トレトン、および聖女本人からも証言は得ている」


さらに続けた。


「過去の聖女にも類似事例は存在した。学院側の報告も含め、私も同意見だ」


スタニックは苦々しげに書類を閉じた。


「……ならば、“魔石への細工”という仮説の立証は困難ということになりますね」


「そういうことだ」


ロマーニは椅子から身体を離しかけたが、不意に言葉を足す。


「ただし、これで全てが終わったわけではない」


空気が再び引き締まる。


「原稿との一致。事前知識の有無。周囲の動き。検討すべき点はまだ残っている」


その目が、再びエレオノールへ向いた。


「結論を急ぐ段階ではないだろう」


エレオノールは静かに頷く。

それから、少しためらった末に口を開いた。


「……師団長。一つだけ、お願いしてもよろしいですか」


「内容次第だ」


「モーリスへ伝言をお願いしたいのです。直接会える保証がありませんから」


「構わん。何だ」


エレオノールは息を吸った。


「ありがとう、と」


ロマーニが片眉を上げる。


「それだけか?」


「はい」


数秒だけ静寂が続いたあと、彼は小さく頷いた。


「了解した。伝えておこう」


それだけ言い残し、ロマーニは踵を返す。

入ってきた時と同じく、ほとんど音を立てないまま扉が閉じられた。


残されたのは、再び向かい合う机と、積み上げられた書類。

スタニックは原稿用紙を指先で叩き、肩の力を抜く暇もなく再び審問が始まる。


次に取り出されたのは、別の証言書だった。


「魔石に細工がなかった件は確認された。次は契約についてだ」


紙面をめくる。


「フォルタ新資源をダンボワーズ家が独占的に扱っている件。貴女の関与は?」


「何のことでしょう?」


表情を崩さず返す。


「交渉初期から他家の介入余地が存在しなかったという報告がある。結果として流通はダンボワーズ家へ集約された」


「結果については承知していますわ。独占契約が成立したことも」


そこで初めて、組んでいた手のひらへ汗がにじんでいることに気づいた。


「ただし、交渉実務はフォルタ本国の担当範囲です。レガリア滞在中の私が逐一把握できる立場ではありません」


スタニックが書類をめくる。


「だが、貴女は王女だ。影響力はある」


「影響力と実務権限は別です」


エレオノールは冷静に返した。


「契約条件を決めるのは担当官。私個人の一存ではありません」


「では、こう聞こう」


スタニックが顔を上げる。


「光華祭事件の調査にダンボワーズ家が関与した件。彼らへ調査を委ねるよう働きかけたのは貴女では?」


「知りませんわ」


即座に返す。


「調査主体の決定はレガリア側の判断でしょう。外部人員、それも一学生に指定権限があるとは思えませんけれど」


「条件提示の見返りに調査を任せた可能性は?」


「仮定を重ねても事実にはなりません」


机を叩く音。


「否定ばかりでは話が進まない」


「根拠のない話に肯定はできません」


エレオノールは真っ直ぐ言葉を返した。


「契約成立経緯が問題なら、交渉記録、署名者、立会人――すべて文書で残っているはずです。まず確認すべきはそちらでは?」


「照会はかけている」


「なら、その結果を基準に判断されるべきでしょう」


スタニックはしばらく黙り、それから書類を閉じる。


「……一貫しているな」


「事実しか申し上げておりませんので」


「その態度が、貴女自身を不利にする場合もある」


「承知しています」


エレオノールは静かに答える。


「それでも、事実以外を口にするつもりはありません」


スタニックは薄く笑った。


「結構。発言内容と態度、双方とも報告へ記載する」


椅子が軋む音。


「本日の審問はここまでだ。続きは追って行う」


兵士へ合図が送られる。背後で鎖が鳴り、再び手首へ重みが戻る。

立ち上がるよう促され、そのまま地下通路へ連れ戻された。

辿り着いたのは、卒業の夜から閉じ込められている牢。


鉄扉が閉じ、鍵が回る。


エレオノールは寝台へ腰を下ろすと、そのまま横になる。

深く息を吐き、天井を見上げる。


ふと、ポケットへ手を入れた。

取り出したのは、ハルカから渡された魔石。


青みを帯びた緑色。

雫型へ削られた小さな石の中心に、淡い光が灯っている。


ここには、まだ繋がっているものがある。


二年という時間は、疑いだけで断ち切れるほど薄くなかった。


――信じてる。


魔石をそっと握り込み、そのまま目を閉じる。

掌の内側に宿る微かな熱が、暗い牢の中で小さな灯火みたいに感じられた。


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