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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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25/35

その力は、あなたが導いた

中庭に面した教室には、やわらかな午後の日差しが流れ込んでいた。

窓辺へ広がる光が、机いっぱいに散らばった術式図と、青緑の魔石を淡く照らしている。


「ここで流れを切り替えれば――」


「いえ、その構成だと術式同士が衝突します」


モーリスと向かい合いながら、ハルカは魔道具の試作品の調整を続けていた。


その少し離れた場所では、エレオノールが本を開いている。

読んでいる、というよりは、半分眠っていた。


窓から入る風に髪を揺らしながら、こくり、こくりと舟を漕いでいる姿は、いつもの張りつめた雰囲気が嘘みたいだった。


思わず口元が緩んだ、その時だった。


「……あれ?」


何気なく手に取っていた青緑の魔石が、掌の上で明滅している。

一定ではない。不規則に脈打っていた。


「モーリス、これ――」


言い終えるより早く、光が急激に膨れ上がる。


ぱきり、と小さな亀裂音。


直後、空気そのものが軋んだ。


「きゃっ――!」


掌へ走った衝撃に、反射的に魔石を握り込んでしまう。


それがまずかった。


閉じ込められたように見えた光が、一気に噴き出した。


視界が真っ白に塗り潰される。


何も見えない。

音も遠い。


ただ、自分の内側から何かが溢れ出してくる感覚だけが、異様なほど鮮明だった。


――なに、これ……


ぼやけていた景色が、ゆっくり輪郭を取り戻していく。


気づけば、ハルカの周囲には半透明の膜のようなものが張り巡らされていた。

そこから噴水みたいに光が溢れ続けている。


「ハルカ!」


「近づかないでください!」


エレオノールが駆け寄ろうとする。

モーリスが制止する声より早く、伸ばされた指先が光へ触れ――次の瞬間、強く弾き飛ばされた。


「っ……!」


床へ手をつきながら、エレオノールが顔をしかめる。


その手が赤くなっているのが見えた。


――怪我、させた。


鼓動が嫌な音を立て始める。


来ないで。

これ以上、近づかないで。


そう叫びたいのに、喉がうまく動かなかった。


光はさらに膨張を続ける。


机の上に並んでいた器具が次々と弾き飛ばされ、床へ叩きつけられていく。

金属音とガラスの割れる音が、耳障りに響いた。


「……何、これ……」


自分の声なのに、ずっと遠く聞こえる。


押さえようとしても止まらない。

内側から、際限なく溢れてくる。


怖い。

どうしよう。

止めたいのに、止まらない。


「共鳴している……?」


モーリスの声が緊迫を帯びる。


「その魔石が、感情に引きずられている……!」


モーリスが即座に術式を展開する。


「外部から干渉します!」


幾重にも円環が重なった制御術式が広がっていく。

だが、接触した途端に弾け飛んだ。


パキン、と破砕音が響く。


もう一度。


さらに別の術式。


それも、届いた瞬間に砕け散っていく。


「そんな……!」


動揺を隠せていない声だった。


その時、勢いよく教室の扉が開いた。


「どうした!?」


飛び込んできたのはルイだった。

その後ろにはヴァレルの姿もある。


「――ハルカ!」


こちらを見た、ルイの声には驚きと焦りの色が滲んでいる。

助けて、と叫びそうになるが、喉が塞がったみたいに動かない。

モーリスが青ざめたまま、ルイへ振り返った。


「殿下、このままでは周囲への被害が広がります」


「止められないのか」


「外部からの制御は不可能です。本人の制御能力に依存しています」


――本人。


窓ガラスへ細い亀裂が走る。

ぴし、ぴし、と不気味な音を立てながら、蜘蛛の巣みたいに広がっていく。


このままじゃ壊してしまう。


全部。


「やめて……」


震えた声と一緒に涙が滲む。


「転移は!?」


エレオノールが叫ぶが、モーリスは即座に否定した。


「駄目です。場所を移しても根本的な解決にはなりません」


ヴァレルが剣を抜き、強引にでも光を断ち切ろうと踏み込む。


「ハルカ、下がれ」


しかし刃は見えない壁に阻まれ、激しく火花を散らした。

なおも前へ出ようとする彼の腕を、ルイが強く掴んだ。


「それ以上近づくな。お前まで怪我をする」


「ですが!」


「下がれ」


有無を言わせない押さえた声に、ヴァレルは歯を食いしばりながら、一歩退いた。


誰も近づけない。

誰にも止められない。


その事実に呼応するように、光がさらに大きく脈動した瞬間、ルイの声が、鋭く空気を裂いた。


「モーリス」


「はい」


「範囲はどこまで広がる」


モーリスは険しい顔のまま、光膜の揺らぎを見つめた。


「このまま魔力の膨張が続けば、教室の壁は保ちません。外へ溢れ出します」


「結界は張れるか」


「外周なら可能です。ただ、中へ干渉すると術式ごと弾かれます」


「十分だ。やれ」


いつの間にか、教室の異変に気づいた生徒たちが廊下へ集まり始めていた。ざわめきと不安げな声が、開いた扉の向こうから押し寄せてくる。


ルイは間を置かずに命じた。


「ヴァレル。周囲の生徒を下がらせろ。絶対に近づけるな」


その声に、ヴァレルが険しい顔で舌打ちを飲み込む。


「……承知しました」


本当は離れたくないのだろう。

それでも彼はすぐ踵を返し、扉の外へ駆け出していった。


モーリスの術式が床へ広がる。

淡い光が壁沿いを走り、教室全体を包み込むように膜を形成していく。


その間も、暴走した力は収まらない。


机の上の器具が浮き上がり、次々に弾き飛ばされていく。

床へ落ちるたび、金属音が乱暴に跳ね返った。


息が苦しい。

胸の奥で何かが脈打つたび、光が膨れ上がる。


――止めなきゃ。


そう思うほど、力は暴れた。


「ハルカ」


ルイが一歩、こちらへ近づく。


膜の向こう側。

危険だとわかっているはずなのに、その足取りには迷いがなかった。


「……殿下」


喉が焼けつくように痛い。

涙で滲む視界の中でも、彼だけははっきり見えた。


ルイはまっすぐハルカを見る。


その眼差しは、崩れそうな彼女を立たせるための色をしていた。


「こちらから抑え込む方法はない」


やはり、そうなのだ。


誰かが代わりに終わらせてくれるわけではない。

モーリスでも、ルイでも、できない。


怖い。

また壊すかもしれない。


エレオノールの手が脳裏をよぎった。

光へ触れた瞬間、弾かれた細い指先。


あれ以上、誰も傷つけたくない。


「だけど」


ルイの声が、思っていたよりも近くで聞こえた。


「君ならできる」


はっきりした声音だった。


励ましでも、願望でもない。

当然のことを告げるような口調。


「自分で止めるんだ」


――自分で。


その言葉が、胸の内に深く沈む。


誰かに守ってもらうのではなく。

誰かの力で封じるのでもなく。


自分の力を、自分で受け止める。


指先が震え、呼吸も浅い。

それでもハルカは、ぎゅっと唇を噛み、一度目を閉じた。


そして、開く。


その瞳には、目の前に立つルイの姿が映っている。


「……やります」


返した声は震えていたけれど、逃げてはいなかった。


ゆっくり息を吸う。


暴れている魔力へ意識を沈めていく。

荒れ狂う濁流の中心へ、そっと手を差し入れるように。


押さえつけない。

ねじ伏せない。


拒まず、流れを読む。


触れた途端、激流が牙を剥いた。

身体の奥を掻き回される感覚に息が詰まる。


だけど――


そのすぐ傍へ、別の魔力が寄り添ってきた。


春の日差しみたいだった。

柔らかく、静かで、無理に引っ張らない。


何度も触れたことがある――ルイの魔力だ。


直接干渉しているわけではない。

ただ、崩れないよう支えてくれている。


背中へ添えられた手みたいに。


荒れていた光が揺らぐ。


「外側から共鳴を……」


モーリスの声が遠く聞こえた。


波立つ力を、少しずつ均していく。

乱れた旋律を整えるみたいに、呼吸を合わせる。


ゆっくり。


焦らず。


ひとつずつ。


やがて暴れていた光が、ふ、と輪郭を失った。


次の瞬間。


教室を埋め尽くしていた輝きが、嘘みたいに消えた。


一瞬遅れて、甲高い破砕音を立てて、ひび割れていた窓ガラスが床へ崩れ落ちる。


全身から力が抜けて身体が傾いたところで、ルイの腕がハルカを支えた。


「……ハルカ」


耳元で、安堵した声がした。


できた、と伝えたかった。

大丈夫だと笑いたかった。


けれど唇はうまく動かず、意識だけがゆっくり沈んでいく。


最後に見えたのは、泣きそうな顔でこちらを見るルイだった。



ハルカが目を覚ましたのは、夕暮れが終わる頃だった。


医務室に差し込む橙色の光が、白いシーツの上へ細長く伸びている。

薬草を煎じた匂いと消毒液の香りが混ざり合い、静かな室内に薄く漂っていた。


身体を起こそうと腕に力を入れた途端、全身に重さが返ってくる。

鉛でも詰め込まれたような感覚に眉を寄せると、すぐ傍から低い声が落ちた。


「無理をするな」


顔を向ける。


ベッド脇の椅子に腰掛けていたルイが、こちらを見ていた。

整った顔立ちはいつも通り穏やかなはずなのに、今はどこか余裕がない。


「……殿下」


掠れた呼び声に、彼の肩から力が抜ける。


「よかった」


その言葉が、妙に胸へ染み込んだ。


「一生、目を覚まさないんじゃないかと思った」


真顔で言われ、思わず吹き出しそうになる。


「ふ、ふふ……」


「なぜ笑う?」


困惑したように眉を寄せる姿が、妙に真剣で、余計に可笑しかった。


「ごめんなさい。……あの小説の一節にあったなって」


「ああ……」


すぐに思い当たったのだろう。

ルイの耳がほんのり赤く染まる。


同時にエレオノールの手が弾かれた姿が思い出された。


「殿下、エレオノールは?」


「大丈夫だ。モーリスが回復ポーションを浴びせるようにかけてたよ」


「よかった……」


ゆっくり身体を起こすと、ルイとの距離が自然と近づいた。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


改めて言葉にすると、彼は静かに首を横へ振る。


「違う。君が、自分で止めたんだ」


あのとき。

暴走する力の中で、自分一人では立っていられなかった。

恐怖で頭が真っ白になって、それでも崩れずに済んだのは――。


「殿下が、信じてくれたから」


ルイの目が細められる。


「君ならできると、思っただけだ」


「……それが、嬉しかったんです」


守るために抱え込むのではなく。

奪うように閉じ込めるのでもなく。


信じて、託してくれた。


ヴァレルの手は、いつだって自分を庇ってくれる温かさがあった。


けれどルイの手は違う。

隣に立ちながら、自分で歩くことを許してくれる手だった。


その違いを知ってしまった。


ルイの指先が、ためらうように伸びてくる。

触れていいのか確かめるような慎重さで、そっと髪へ触れた。


熱が、そこから伝わる。


「……ハルカ」


名前を呼ばれるだけで、胸が痛いほど鳴る。


この先どうなるのかなんて、わからない。

エレオノールとの関係も、王家のことも、きっと簡単では済まない。


それでも。


胸の奥で絡まり続けていた感情は、もう誤魔化せなかった。


ふと、エレオノールの顔が脳裏を過ぎる。


間違ったのなら、正しい方向に直せばいい。

彼女なら、きっとそう言ってくれる。そう、思えた。


「……好きです」


零れた声は、小さいのに驚くほどはっきりしていた。


ルイが息を止める。


「あなたが、好きです」


今度は逃げなかった。

真正面から彼を見る。


ルイの瞳が揺れる。

信じられないものを前にしたような顔だった。


「……ハルカ」


呼ばれた名前が、どうしようもなく優しい。

彼の手が、そっと自分の手へ重なる。

触れた場所から熱が広がって、鼓動が速くなった。


「……いいのか。私は――」


その続きを、彼は飲み込んだ。

けれどハルカには、何を言おうとしたのかわかってしまった。


だから、彼の手を握り返す。


「いいんです」


指先に力を込める。

迷いごとも含めて、全部が伝わるように。


「殿下が、いいんです」


ルイが目を閉じ、小さく息を吐いた。

長く押し留めていた感情が、ようやく解けたような顔だった。


「……ありがとう」


重ねられた手に、今度は彼の方から力が返ってくる。


確かめるように。

失わないように。


その温もりが胸いっぱいに広がって、ハルカは静かに笑った。


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