表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/35

その願いは、同じ場所にない

校舎二階の廊下。ハルカが窓辺に立つと、中庭がそのまま視界に入った。


木陰のベンチに、エレオノールがいた。背を預け、空を仰いでいる。何かを考えているようでいて、どこか気が抜けている顔。普段の彼女からはあまり見ない表情に、思わず口元が緩んだ。


――あんな顔もするんだ。


その背後に、ふいに人影が重なる。


揺れる金色の髪。

第二王子、ジョエル。


彼は何気ない足取りで歩み寄り、まるで最初からそこにいるのが当然であるかのように、エレオノールの隣へ腰を下ろした。距離は近すぎず、かといって他人行儀でもない。二人の間に流れる空気は、ただの偶然の邂逅では片づけられないものだった。


言葉が交わされているのが見える。けれど、その内容までは届かない。

それでも――何かが違う、と感じた。


胸の奥に、説明しづらい引っかかりが残る。


エレオノールは以前、ジョエルのことを「愛らしい弟の見本みたいな人」と評していた。確かに印象だけならそうだ。王城で顔を合わせたときも、彼はルイに甘え、無邪気に笑う姿ばかりが目についた。


けれど――あまりにも“できすぎている”。


作られたような愛嬌。整いすぎた振る舞い。

それらがふと、別の可能性を思い起こさせる。


――こういうタイプが裏で全部操ってるやつ。


前世で散々見てきた展開が、頭をよぎった。

すぐに、自分でその考えを打ち消す。


……いや、さすがにそれは。


同時に浮かぶのは、別の仮説。

隠しルートの存在。


もしそうだとしたら――。


だが、ジョエルはつい先日、公爵家令嬢との婚約を発表している。

ゲームでも、婚約者がいながら聖女へ傾く展開は珍しくない。それでも、少なくとも彼が自分に接触してきたことはない。


その彼が、いまエレオノールと二人きりで話している。


婚約者の弟――そう考えれば、不自然ではないはずなのに。

気のせいだと思いたかった。


ふと、隣に影が差した。


振り向かなくてもわかる。

しばらく、ずっと隣にいた存在。


「……ヴァレル」


名を呟いたが、彼もまた、何も言わず中庭を見下ろしていた。


横顔からは感情が読み取れない。ただ、黙って同じ景色を見ている。その距離感が、逆に妙に落ち着く。


ハルカは窓の外から目を離さないまま、口を開いた。


「……傷、もう大丈夫?」


短く息が漏れる音が隣で返る。


「今さらだな」


呆れた調子。もっともだと思う。

あの夜から、もう随分経っている。


けれど――ずっと聞けなかった。


何か言いかけたところで、頭に軽い重みが乗る。

ぽん、と置かれた手。


「ハルカが治したんだろ」


「あれは、そうだけど……ちゃんと治ってるのか気になって」


「治ってる。問題ない。――助かった」


ぶっきらぼうな言い方なのに、不思議とちゃんと伝わる。


「お礼を言うのはこっちよ。……それと、触っていいなんて言ってない」


すぐに手が離れる。


「相変わらずだな」


彼は肩をすくめた。


そのとき、中庭で動きがあった。

ジョエルが立ち上がる。

エレオノールはそのまま動かない。

彼だけが、静かにその場を離れていく。


背を追おうとしたところで――


「ハルカ」


名を呼ばれ隣を向くと、ヴァレルがこちらを見ていた。

さっきまで外を向いていた目が、今は真っ直ぐこちらに向けられている。


同じ顔のままなのに、空気だけが変わった。


「俺は」


低く落ち着いた声。


「この先、ハルカが誰を選んでも――お前を守る」


胸の奥で、大きく鼓動が鳴る。


義務でも責任でもない。

ただ、それだけを決めている声音だった。


「なんで……?」


ヴァレルは少し目を細めて、窓の外へと視線を向ける。


「一緒にいるうちに、気づいたらそうなってた。理由を並べるならいくらでもあるけど……」


少しだけ、言葉を探す間。


「結局、それだけだ」


彼の口元が緩む。


「そばにいたいと思った」


言葉が出てこない。

何か返さなければと思うのに、喉が詰まる。


「いい。わかってるから」


それだけ残して、ヴァレルは背を向けた。


呼び止める言葉が浮かばない。

ただ、その背中を見送るしかできなかった。


――そこで、ようやく気づく。


自分は彼のフラグを、一つも折っていなかった。


遅れて、胸がきつく締めつけられる。


もう一度外を見ると、中庭のベンチにはもう誰もいなかった。



「ハルカ?」


呼ばれて、顔を上げる。

すぐ近くにエレオノールがいた。眉を寄せ、覗き込むようにこちらを見ている。


「大丈夫? 具合悪い?」


冷たい指先が額に触れる。


「熱はなさそうね」


「ごめん、大丈夫。ちょっと考えごとしてただけ」


慌てて答えると、彼女はしばらくこちらを見つめたまま、やがて小さく息を吐いた。


「それならいいけど」


納得しきってはいない顔。それでも追及はせず、顎に指を当てて何か考え、ふっと表情が変わった。


「ね、ハルカ。寄り道しましょ」


「寄り道?」


首を傾げると、エレオノールはいたずらを思いついた子供のように笑う。


「気分転換よ」


そう言って、鞄を掴み、そのまま当然のように手を引く。


外へ出ると、秋の空気が肌に触れた。

少しひんやりしていて、頭の中がすっと冷える。


「どこ行くの?」


「秘密」


振り返らないまま返ってくる声が、ほんの少し弾んでいる。


連れられるまま歩いていくと、やがて学院の端に辿り着いた。人の気配がほとんどない場所。


そこに建っていたのは、古びた建物だった。


看板はなく、窓は白く曇り、壁には蔦が絡んでいる。使われている様子はないのに、完全に放置されているわけでもない、不思議な佇まい。


「……ここ?」


問いかけても答えはない。


エレオノールはそのまま扉に手をかける。

軋む音を立てて開いた先は、薄暗く奥が見えなくて足が止まる。


「大丈夫よ」


軽く手を引かれて、中へと踏み込む。

どこか懐かしく落ち着く、紙とインクの匂いが鼻先をかすめる。

エレオノールが魔道具の灯りを点けると、柔らかな光が広がった。


その先に現れたのは――整然と並ぶ本棚。


「……図書室?」


思わず漏らすと、エレオノールは小さく頷いた。


「旧図書館。今はほとんど使われていないせいか、他に人がいるのを見たことがないわ」


「でも、思ったより綺麗」


「最低限の管理はされてるもの」


壁際に並ぶ椅子の一つへ、彼女は鞄を置いた。


「ここ、好きなの」


エレオノールはそう言って、椅子の座面を軽く叩いた。

厚手の布に包まれたそれは、身体を預けることを前提に作られているのが分かる。


「長く座っていられる場所って、落ち着かない?」


「うん……なんか、静かに考えごとができそう」


答えると、彼女は満足げに目を細めた。


「古い本ばかりよ。今はほとんど手に取る人もいないみたいだけど。でも私好みの本が多いから、きっとハルカも気にいると思う」


エレオノールは立ち上がって、棚に並ぶ背表紙をなぞりながら、一冊を抜き出す。

ページを繰る指先は慣れていて、その横顔には穏やかな色が浮かんでいた。


「こんな場所、知らなかった」


「……一人になりたい時だけ来るの。ここは」


言いながら、こちらへ顔を向ける。


「教えたのは、ハルカが初めて」


言葉がすぐに返せなかった。


「……そんな場所、簡単に教えてよかったの?」


問いかけると、彼女は肩をすくめる。


「ハルカだから」


それだけだった。理由は足されない。


エレオノールは本を抱えたまま椅子に沈み込む。

ハルカも近くの棚から一冊選び、隣に腰を下ろした。


背を預けると、柔らかな感触がじんわりと身体を受け止める。


室内は静まり返っていた。

紙をめくるかすかな音と、布が擦れる気配だけ。時間さえ眠っているような空間だった。


ふと、開いたページの一文に目が留まる。


『時間が止まればいいのに。』


鼓動がひとつ大きく鳴って、指先がその行で止まった。


今の自分が、まさに願っていること。


このまま。

答えを出さないまま。

エレオノールの隣で、曖昧なまま過ごしていたい。


ハルカはそっと身体を寄せ、隣の肩へ頭を預けた。

エレオノールも拒まず、静かに寄り添ってくる。


耳元へ落ちた声は、普段よりずっと柔らかかった。


「どうしたの?」


胸に沈めていたものが、少しだけ浮かび上がる。


「……エレオノールは、この先どうするの?」


返事はすぐには来なかった。

触れ合った肩越しに、彼女の身体がかすかに固くなるのが伝わる。


「どう、なるのかしらね」


曖昧な答えだった。

何か言おうとした矢先、今度は逆に問い返される。


「ハルカは? どうしたい?」


喉が詰まる。

それでも、今言わなければいけない気がした。


「私、エレオノールと離れたくない。あなたと一緒にいられるなら、私……ヴァレルを選んでも――」


「それは違うわ、ハルカ」


鋭く断ち切られた。肩は離され、エレオノールがこちらへ向き直る。

真っ直ぐ向けられた眼差しに、思わず息を呑んだ。

普段の彼女なら、こんな顔はしない。


「……違う?」


「ハルカには、選ぶ権利があるの」


「選ぶ……」


「誰を選ぶかは、あなたの自由よ。でも、それは“私と離れない”ことにはならない」


静かな声なのに、一つひとつが逃げ道を塞いでくるように強い。


「あなたが選んだ先で、私は私の行きたい場所へ進む。たとえ、その結果、別々の道になったとしても」


胸が痛んだ。


「エレオノールは……私と離れたいの?」


問い返した声は、自分でも情けないほど弱かった。


「違うわ」


返答は、迷いがない。


「私だって、一緒にいられるならそうしたい」


ならどうして、と言いかけて止まる。

その続きを聞くのが怖かった。


「じゃあ……エレオノールは、何を望んでるの?」


風が窓を揺らす。その音がやけに大きく聞こえ――そして彼女は、静かに言った。


「……私は、国へ帰りたい」


その言葉に、呼吸が止まりそうになる。

どうして、とは聞けなかった。

今の自分の願いが、彼女をこの国へ縛りつけるものだと分かってしまったから。


「……ごめん、エレオノール」


この世界に来てから一年半。

ここまで歩いてこられたのは、ずっと彼女が隣にいたからだ。


迷えば道を示してくれた。

怖くなれば手を引いてくれた。


でも――


もう同じ場所にはいられないのかもしれない。


そんな予感が、胸の奥を静かに撫でていく。


「……何かあった?」


優しい声だった。


ハルカは小さく首を振る。


これ以上触れられたら、きっと顔に出る。

だから逃げるように話題を変えた。


「ジョエル殿下と、何を話してたの?」


隣の肩が、ほんの少しだけ揺れた。


「大した話はしてないわ」


迷いも揺らぎも感じさせない、いつも通りの口調。


「……そっか」


胸の奥がきしむ。

きっと彼女はまた、一人で何とかしてしまう。


誰にも頼らず。何も言わないまま。


「ハルカ……何があったの?」


先ほどと同じ問いなのに、今度は少し遠く聞こえた。


「……何もないよ」


窓の外では、秋の日がゆっくり傾き始めていた。



それから数日、エレオノールもヴァレルも、何事もなかったように接してきた。


気を遣わせないためだと分かる。

分かるからこそ、少しだけ苦しかった。


放課後の教室に足を踏み入れた瞬間、空気の違いに気づく。

そこにいたのはモーリスではなく、ルイだった。

西日を背負ったまま、彼はこちらを見る。


「……今日は、殿下なんですね」


声が上ずった。


「モーリスは魔法師団に呼ばれてね。今日は私が代わりだ。……エレオノールは?」


「文芸部に行くと聞いています」


「そうか。まあ、私から教えられることはもう多くないが」


軽く笑うその調子に、少しだけ肩の力が抜ける。


「でも、まだ不安なところがあるので……見ていただいてもいいですか」


「もちろん」


短い返事なのに、不思議と安心する。


机に置いたのは、小型の魔道具核だった。

淡く発光しているだけなのに、近づくだけで肌がざらつく。

攻撃的な魔力が、剥き出しのまま渦巻いていた。


中和して制御する。

理屈は分かっているのに、どうしてもうまく噛み合わない。


息を整え、指先を近づける。

触れる寸前の距離で、自分の魔力を重ねていく。


ぱち、と小さな火花が散った。


反射的に手が止まる。


――押さえ込むんじゃない。流れを合わせる。


頭では理解しているのに、身体が追いつかない。


「焦らなくていい」


すぐ近くで、ルイの声が聞こえる。

そのまま彼の手が重なり、包み込むように支えられた。


「私の魔力を、目印にして」


触れたところから、温かな魔力が流れ込んでくる。

柔らかく、穏やかで、自然とこちらに馴染んでいく。


荒れていた流れが少しずつ整っていくのが分かった。

暴れていた魔道具の反応も、静かに落ち着きを取り戻した。


「……殿下の魔力って、優しいですよね」


言ってから、はっとする。

顔を上げると、ルイがこちらを見ていた。


「ハルカ」


呼ばれた名前に、胸が強く跳ねる。

その瞳の熱から逃げたかった。


「――君が好きだ」


言葉は静かで、逃げ場はどこにもなかった。


「……殿下、あなたには――」


頭に浮かんだのは、エレオノールの顔。


「分かっている」


低い声が、それを遮る。


「それでも、自分の気持ちだけは誤魔化せない。君を、誰にも渡したくない」


鼓動がうるさい。


「ヴァレルにも……エレオノールにも」


エレオノールという名前がルイの口から出てくると、説明しがたい動揺が生まれた。

目を逸らそうとしても、視線が外せなかった。


「ハルカ」


頬に触れた指先に、肩がびくりと揺れる。

それに気づいた彼の手が止まり、ゆっくりと離れていった。


「すまない。困らせると分かっていたのに」


視線を落とし、少し苦しげに笑う。


「それでも、知っていてほしかった」


もう一度向けられた瞳には、迷いがなかった。


「――その上で、君に選んでほしい」


その眼差しに耐え切れず、ハルカは目を伏せる。

ルイは落ち着いた声で続けた。


「君が選んでくれるなら、エレオノールとの婚約は解消する」


息が止まりそうになった。


それだけを残して、彼は背を向ける。

呼び止める言葉は出てこない。


扉が開き、閉じる音だけが教室に響いた。

残された手のひらには、まだ彼の温もりが残っている。


「……どうしたらいいの」


こぼれた声は、誰にも届かない。


けれど――

答えを出すのは、自分しかいない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ