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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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19/35

真実は、仕組まれている

真犯人を揺さぶる目的で書いた、二つの小説。関係者なら、きっと自分のことだと気づいたはずだ。だから、消された。ヴァレルはもう一つの原稿を、まだ追っているのだろうか。

それは今、エレオノールの手の中にある。


ルイにまで渡ったその冊子は、こう始まっていた。



『光の檻』


著:ミス・ヴィラン


メインステージに立つのは、夢だった。


でも今、この瞬間――スポットライトが私を照らし、観客席から歓声が上がっているこの瞬間も、正直言うと足がガクガクで、心臓がうるさくてたまらない。


「大丈夫だよ、リオナ。君の魔法は、誰よりも純粋だ」


出番の直前、舞台袖の暗がりでレインにそう言われた。肩に置かれた手のひらの温かさが、どうにか私を支えてくれていた。


レイン。

学園中が憧れる、あの完璧な人が、なんで私なんかを気にかけてくれるんだろう。それは今もよくわからないけど、彼の穏やかな微笑みだけは、なぜか信じられた。


「みんなを、笑顔にしたいの。私の光で」


「ああ。君ならできる。……僕がずっと、見守っているから」


よし。やれる。


暗幕を潜り抜けて、舞台に踏み出した。

深呼吸して、魔力の源泉に意識を向ける。胸の奥から、温かいものが指先まで流れていく感覚。


――届け。


光が舞い始めた。白、薄紅、そして金色。三色の光の粒が、指先からこぼれ落ちて、意思を持つみたいに空中を漂っていく。客席へ、高い天井へ。広がっていく、広がっていく。


最前列の小さな子が身を乗り出して、誰かが「綺麗……」って呟くのが聞こえた。


よかった。伝わってる。


私自身も、自分の生み出した光景にうっとりしていた。だから――最初は、気づかなかった。


光の粒が、おかしな動きをし始めていることに。


天へ昇っていくはずだったのに、ある一線を越えたところで軌道が変わった。私を祝福するみたいに降り注いでいたはずの輝きが、いつの間にか、私を「囲む渦」になっていた。


足元に、一本の光の線が走った。するすると床をなぞって、円を描くようにリオナの周りを閉じていく。


(……え?)


気持ち悪い。嫌な感じがする。


一歩踏み出そうとした。渦が、キュッと狭まった。もう一歩。

でも景色が変わらない。まるでその場に縫い付けられているみたいに、同じ場所に引き戻される。


「……っ、なんで」


手を伸ばしても、何もない。なのに、確かに「壁」がある。


足元の光の円が、ぴたりと閉じた。


(――やだ! 出して! 出してよ!!)


背筋が冷えた。


そして客席が、おかしくなり始めた。


最前列の男の人が腹を抱えて笑い出した。泣きながら、顔を真っ赤にして、狂ったみたいに笑い転げている。隣の老婆は子供みたいに泣き崩れて、奥では男の人が椅子を蹴り飛ばして叫んでいる。


私の光が、触れるたびに感情を壊している。


頭が真っ白になった。


そのとき、耳元で声がした。


『安心して。あなたは、守られているわ』


やさしい声だった。でも、やさしくなんかなかった。重い鉄格子が下りてくるような、終わりの音がした。


「やめて……やめてよっ!!」


叫んだ。


恐怖が限界を超えたとき、魔力が制御を外れて爆発した。光の檻が、内側から砕け散る。衝撃波がホールを走り抜けて、客席の狂乱が引き潮みたいに静まり返った。


そこで、私の意識も落ちた。



目が覚めたとき、揺れていた。

規則的な、ゆりかごみたいな揺れ。眠いし、温かいし、そのまままた目を閉じてしまいたかった。


「……リオナ? 起きたのか?」


頭上から声がして、揺れが止まった。


ぼんやりした視界に、レインの横顔が入ってきた。ものすごく近い。彼の腕が、私を抱きしめていた。


「よかった……本当に、よかった……」


かすれた声だった。祈ってるみたいな、そんな声。


ゆっくりと医務室のベッドへ横たえられて、私はしばらく白い天井を見ていた。レインは隣のパイプ椅子に座って、ずっと私から目を離さなかった。


「気分はどうだ?」


「……少し頭が重いけど。大丈夫」


「そうか」


短い返事。でも、いつもの涼しげな顔じゃなかった。薄い氷の上を歩いてるみたいな、ギリギリの表情。


「レイン。あなたが、ここまで連れてきてくれたの?」


「ああ。ずっと、君を見ていたから。あの位置からなら……全体がよく見えるんだ」


なんか、引っかかった。

全体が、って。まるで最初から最後まで、全部把握してたみたいな言い方。

でも彼はそれ以上言わず、視線を足元に落とした。


「……心配、したよ」


「ごめん――」


謝ろうとして、唇を噛んだ。なんか違う。これ、謝罪でどうにかなる話じゃない気がする。


「ずっと、目を覚まさなかったから……このまま一生、目覚めないんじゃないかって。そう、思ったんだ」


「……ふふ、大げさ」


笑って誤魔化そうとした。でも言葉が続かなかった。


レインが顔を上げたからだ。

その目に、冗談の色はかけらもなかった。まっすぐで、熱くて、痛いくらいの目だった。


「大げさなものか」


「……」


「それくらい……君を失うのが、怖いんだ」


時が止まった気がした。


どうしよう。なんて返せばいいのか、わからない。ただ彼の視線を受け止めることしかできなかった。


レインはしばらくそのまま私を見ていたけど、急かすことはしなかった。やがて、ふっと力が抜けるような微笑みを浮かべた。


「……ゆっくり休め」


立ち上がって、椅子を静かに戻して、扉へ歩き出す。


「レイン」


無意識に呼んでいた。


彼が振り返る。何を言いたいのか自分でもわからないまま、唇だけ動かした。


「……ありがとう」


少しだけ間があって、彼は微笑んだ。


「おやすみ、リオナ」


扉が静かに閉まった。


私は胸に手を当てた。心臓がうるさい。さっきの舞台より、ずっとうるさかった。



冬が近づいてきた頃、同級生のヴィオから声をかけられた。

放課後の廊下。人通りが途絶えたタイミングを、完璧に測って。


彼はレインの親友で、よく二人並んでいるのを見かけた。

でも目が、レインと全然違う。


底が見えない、冷たい目。


「少し、時間をいただけますか。リオナさん」


断れる雰囲気じゃなかった。

人気のない中庭の隅に連れて行かれて、ヴィオは唐突に言った。


「祝福祭での『事故』……覚えていますか」


「……忘れるわけないわ」


「あれを仕組んだのは、僕です」


息が止まった。

ヴィオの顔は、静かなままだった。


「理由は単純ですよ。退屈な日常への、ちょっとした刺激が欲しかった。あなたが憎かったわけじゃない。あの舞台が、僕の悪戯には都合よかっただけです」


「……どうして今、私にそれを言うの」


「あなたに、知っておいてほしい真実があるからです」


一拍置いて、彼は声を落とした。


「レインのことです」


心臓が、嫌な予感でどくんと鳴った。


「彼がずっとあなたを見ていたのは、おそらく嘘ではないでしょう。ですが」


ヴィオの目が、初めてわずかに揺れた。


「今回の件で、彼が僕を利用したこともまた、事実なんです。レインは、僕が何かを企んでいることを事前に察知していた。なのに止めなかった。僕を泳がせて、あなたを追い詰めて、自分だけが『救世主』として現れる舞台を、裏で整えていたんですよ」


「……何、言ってるの」


「あなたを確実に手に入れるために、親友の僕さえ駒にした」


頭が、うまく動かない。


「あなたの心を縛り付けるための、自作自演の救出劇。……あなたは知るべきだと思ったんです」


どうしよう。

どうしよう、どうしよう。


指先が冷たくなるのを感じながら、私は声を絞り出した。


「そんな話を私にして……あなたはどうしたいの。レインを憎んでほしいの? 嫌がらせ?」


ヴィオは長い間、黙っていた。


そして、端正な顔を少し歪めた。初めて、年相応の男の子みたいな声で言った。


「……わかりません」


その目に、後悔みたいなものが混じっていた。


「ただ、彼一人だけが綺麗な顔をして、あなたの隣にいるのが……僕は、耐えられなかった」



その夜、気づいたらレインを探していた。


寮の共用ラウンジ。深夜で、静かで、オレンジ色の魔法灯が頼りなく揺れていた。レインは一人ソファに座って、本を読んでいた。私が近づくと、すぐに顔を上げた。


「リオナ? こんな時間にどうしたんだ」


「……話があるの」


レインは本を閉じた。


私は向かいに座って、ヴィオから聞いたことを全部話した。震える声を抑えながら、一つひとつ。


レインは黙って聞いていた。反論しなかった。穏やかな表情のまま、最後まで。


「……全部、知っていたのね」


「全部ではないよ」


夜に溶けそうなくらい静かな声だった。


「でも、ヴィオが何かを仕掛けようとしているのには、気づいていた」


「どうして止めなかったの。親友でしょう?」


「親友だからこそ、彼の危うさはよく知っている」


「それで……利用したの? 私が壊れそうになった、あの事件を」


少しだけ間があった。


「……『利用した』という言葉は、非常に正確だ」


肺の空気が全部出ていった。

この人が、すごく遠く見える。


「怒っているかい?」


「わからない。でも……怖い、とは思う」


「そうだね。それが正常な反応だ」


「あなたが何を考えているのか、私には全然見えない。ヴィオ君でさえ、あなたの手のひらの上にいた。学院の誰も、本当のあなたなんてわかってない……それが、堪らなく怖い」


レインはしばらく私を見ていた。


いつもの穏やかな目。でも今夜は、その奥にあるものを隠そうとしていなかった。静かで、深くて、消えない何か――執着みたいなもの。


「リオナ」


「……なに」


「一つだけ、本心を言う」


逃げたくなるのを堪えて、頷いた。


「僕は、君を手放すつもりはない」


穏やかな声だった。怒鳴るわけでも、脅すわけでもない。

ただ、絶対に変わらない事実みたいに言った。


「それは、君と出会った最初から決めていたことだ。どんな手段を使っても、どれほど汚い道を通ることになっても、僕は君の隣にいる。そう誓った」


怖い。


でも。


「それでも」と、レインは少しだけ声を和らげた。


「もし君がどうしても拒絶するなら……僕は引こう」


「……本当に?」


「本当に。……もっとも、死ぬほど引きたくはないけどね」


視線を落とした。


怖い。本当に怖い。この人の隣にいると、どこまでが自分の意思で、どこからが彼のシナリオなのか、わからなくなる。


でも。


あの舞台で、光の檻の中で、ただ一つだけ温かかった。それは本物だと、信じたい。


私は顔を上げた。


「レイン、一つだけ約束して」


「何を言えばいい?」


「嘘を、つかないで」


自分でも驚くくらい、はっきりした声が出た。


「隠し事があってもいい。全部話してくれなくてもいい。でも、私に向ける言葉にだけは、嘘を混ぜないで。……お願い」


レインが、わずかに目を細めた。


「……それだけで、いいのか?」


「それが一番、難しいことだと思うから」


しばらく、静かだった。ラウンジの窓を、夜風がガタガタと揺らした。


「わかった」


レインが言った。


「約束するよ、リオナ。君には、決して嘘はつかない」


「本当に?」


「本当に、だ」


もう一度、彼の目の奥を覗いた。穏やかで、深くて、恐ろしいほど熱い。

執着と優しさが、矛盾なく同居している。


「……あなたが好き」


気づいたら、言っていた。


怖かった。でも、抗えなかった。

どれだけ巧妙に仕組まれた舞台の上だとしても、あの日抱き上げられた時の温もりは、私の中で本物だった。ヴィオから最悪な裏側を聞いた後でも、その体温を求める気持ちだけは、消せなかった。


レインが、動かなくなった。


そのまま私の顔をじっと見て――やがて、長くて深い息を吐き出した。


「よかった……」


かすれた声。完璧な彼には似合わないくらい、切実な響き。


彼の手がゆっくり伸びてきて、私の震える手を包んだ。丁寧で、壊れ物を扱うみたいな指先。


温かかった。


私はその手を、力強く握り返した。たとえ逃げられない檻の中だとしても、この熱だけは手放したくないと思いながら。



ラウンジを出ると、夜の廊下は静かだった。繋いだ手から伝わる体温が、冬の冷たさを少しだけ押し返してくれる。


「ヴィオ君のこと……」


躊躇いがちに切り出した。


「……うん」


「ちゃんと、向き合ってあげて。親友として」


レインの歩調が、一瞬乱れた。


「……そうするよ。あいつも、最初からああなりたかったわけじゃないはずだから」


横を向いたら、月光の中のレインの横顔があった。さっきまでの策士の顔じゃなくて、遠い日を惜しむような、人間臭い顔だった。この人にもこういう顔があるんだ、と思った。


「レイン」


「なんだい?」


「あなたのこと、全部わかるとは思ってないわ」


「……そうだね」


「でも、私はあなたの隣にいる。今は、そう決めたから」


レインが足を止めた。私も止まった。

振り返った彼の顔を見て、息を呑んだ。

完璧な微笑みじゃなかった。何も演じていない、肩の力が全部抜けた顔。心細さと安堵が混じった、子供みたいな素顔。


「……ありがとう」


消え入りそうな声だった。でもその一言に、ずっと溜め込んできた何かが全部入ってるみたいだった。


二人で歩き出した。繋いだ手は離さないまま。


私はレインのことを、まだほとんど知らない。これからも、彼の考えの深さに息が止まる瞬間がくると思う。温もりの裏に何が隠れているのか、怖くなる夜もあると思う。


でも、彼は約束した。


「嘘はつかない」と。


それだけが、今の私にとっての命綱だった。握りしめた手のひらの熱と、隣を歩く彼の気配。この暗闇の中で、私が信じられる真実は、今はそれだけで十分だった。


Fin



春の光がやわらかく差し込む中庭で、エレオノールは石造りのベンチに腰を下ろし、膝の上に広げた冊子へと視線を落としていた。


ハルカとヴァレルに渡したものは、表題も筋書きも大筋では同じ構成にしてある。ただ一点、決定的に異なるのは犯人の設定だ。あちらではレインの弟が魔道具師に依頼して起こした事件にすり替えてある。


そして、その原稿はすでに灰となって消えている。ヴァレルの手によって、跡形もなく。


いま彼女の手元にあるのは、ハルカを経由して戻ってきたもう一つの原稿。

真相に近づきすぎないよう、犯人をレインの親友に変えて意図的に歪めたものだった。


――ルイにまで読まれたのは、さすがに想定外だったけれど。


作者だと見抜かれていない以上、致命的ではない。次はもっと手順を絞り、痕跡を残さない形にしなければ。


そう考えた矢先だった。


「義姉上、何を読んでいらっしゃるのですか?」


背後からかけられた声に、思考が途切れる。

振り向いた先に立っていたのは――ルイの弟。


「ジョエル殿下」


その微笑みはいつもと変わらない。人懐こさすら感じさせるその表情のまま、彼は遠慮なく隣へ腰を下ろした。


「それ、僕にも読ませてもらっていいですか?」


「ええ、どうぞ」


差し出した冊子を、ジョエルは軽やかに受け取る。指先で紙をめくる動きは迷いがなく、乾いた紙の擦れる音だけが静かに続いた。


手持無沙汰になったエレオノールは、ふと空を見上げる。先ほどまでの明るさが陰り、日差しは薄く雲に遮られていた。


「へぇ、違うんですね」


その言葉に、胸の奥で脈が強く打った。同時に、予感していたものが形を取る。


――やはり、そうなのね。


隣から聞こえる声には、どこか楽しむような響きが混じっていた。


「同じものがいくつもあると、ややこしいですよね」


何気ない調子で紡がれた一言に、指先へ余計な力が入る。


「……何のことかしら」


問い返すと、ジョエルはくすりと笑った。見慣れた無邪気な笑顔。けれど、その奥にあるものは、いつもの印象と微妙に噛み合わない。


「いえ、ただの感想です。でも、これ」


彼の視線がまっすぐ向けられる。


「書いた人、相当性格が悪いですね」


間が生まれる。ほんのわずかな空白が、妙に長く感じられた。


「そうかしら」


「ええ。人の観察が細かすぎる。ミス・ヴィラン――お知り合いですか?」


逃げ道を探すより先に、エレオノールは視線を逸らさず答える。


「いいえ。正体は知られていない人よ」


「へぇ……」


興味深げに頷くと、ジョエルは冊子を閉じた。


「じゃあ、わかったら教えてくださいね」


「……どうして?」


声がわずかに低くなる。


ジョエルは立ち上がりながら振り返った。


「どこまで気づいているのか、知りたいんです」


にこり、と笑う。その表情は最初と何ひとつ変わらないはずなのに、残される印象だけが違っていた。


軽やかな足取りのまま、彼は中庭を去っていく。

取り残されたベンチの上で、春の風が冊子の端をめくった。


もう一歩踏み込むべきだったのか。それとも、あれ以上近づけるべきではなかったのか。


答えは出ないまま、紙の揺れる音だけが静かに続いていた。


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