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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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17/35

その沈黙は、終わらせない

冬期休暇が明け、学院がようやく日常の輪郭を取り戻し始めた頃だった。

エレオノールはユーベルに呼び出され、再び図書室の奥へ足を踏み入れる。


高い本棚に囲まれた一角。

人の気配が入り込まないその場所は、以前と何も変わらないはずなのに、漂う空気は明らかに違っていた。


隠すためではなく、事実をつきつけるための静けさ。


互いに視線を交わし、周囲に誰もいないことを確かめる。

その確認だけで、これから交わされる内容の重さが伝わってきた。


「犯人がわかりました」


低く抑えた声。

無駄のない報告に、エレオノールの頭は即座に切り替わる。


「……誰?」


間を置かずに問う。


「ピエール・スチュワルト。……ブロイ家に仕える魔道具師の一人です」


その名を聞いた瞬間、頭の中で一つの家名が浮かび上がる。

ブロイ家――ヴァレルの家。


差し出された書類を受け取り、視線を走らせた。

整えられた経歴、途切れのない職歴。


「それで?」


「魔法省に正式な調査を依頼したところ、モーリス・トレトンが担当を引き受けました。魔道具を再検証した結果、ごく微細な魔法痕が確認されています」


ユーベルの声音はいつもより硬い。

慎重に言葉を選んでいるのが伝わる。


「魔法には個人ごとの癖があります。通常は判別できないほどの差異ですが――」


「モーリスなら拾える」


エレオノールが言葉を引き取ると、ユーベルは小さく頷いた。


「ええ。そこから痕跡を逆算し、使用者を特定しました」


机に置かれた書類の端を、エレオノールは指先で押さえた。


「……見事ね」


自然と口元が緩むと同時に、得体の知れなさが背筋をかけ上がる。

規格外――その一言で片づけるには危うすぎる精度。

彼は、どこまで見えているのだろう。


「仕掛けられたのはいつ?」


視線を書類へ向けたまま問う。


「本番二日前。最終調整の名目で、外部の魔道具師が複数出入りしています。スチュワルトもその一人です」


「そのタイミングで仕込まれた、と」


「可能性は高いでしょう」


ページをめくる指が止まる。


「それで――捕まっているの?」


問いかけに対し、返答がすぐには来ない。

ユーベルの視線が伏せられたことで、嫌な予感が現実味を帯びる。


「スチュワルトは……死亡しています」


意味が繋がらなかった。

目が、書類の文字をなぞる。名前、年齢、経歴。

そこに「死亡」という結果だけが、異物のように差し込まれている。


「……死亡?」


言葉にして、ようやく現実となる。


「事故です。飲酒状態で橋から転落したと」


抑揚のない説明だが、その内容はあまりに都合がよすぎる。

書類を握る手に力が入り、紙がかすかに軋んだ。


室内は暖房が効いているはずなのに、指先だけが冷えていく。

感覚が現実から浮いているような、不快な違和感。


「……殺された可能性は?」


「現場に不審点は見つからず、事故として処理されています」


乾いた笑いが、喉の奥から零れた。


「ずいぶん都合がいい話ね」


「同感です」


ユーベルも皮肉を隠さない。

エレオノールは書類を閉じ、静かに机へ置いた。


「ブロイ家の魔道具師が、学院の舞台装置に細工を施した」


ゆっくりと言葉にしていく。


「しかも、聖女の魔力に反応する形で」


視線を上げる。


「――偶然だと思う?」


ユーベルは答えない。

その沈黙が、すべてを物語っていた。


「……これ以上は踏み込まない方が賢明かと」


控えめな忠告。

だが、その線引きがどこにあるのか、彼自身も測りかねているようだった。


「……そうね」


エレオノールは頷いた。

表面上は受け入れながらも、頭の中では断片が結びつき始めている。


ブロイ家。

魔道具師。

そして――ハルカの傍にいるヴァレル。


偶然で片付けるには、出来すぎている。


エレオノールは椅子から立ち上がり、静かに背を向けた。


「情報、助かったわ」


数歩進んだところで足を止め、振り返らずに呼びかける。


「ユーベル」


「……はい」


「この件、公式にはどう処理されるの?」


短い沈黙の後、答えが返る。


「公表はされません。学院の発表通り、魔道具の事故として処理されます。――それで終わります」


その言葉を聞きながら、エレオノールは目を細めた。


――終わったことにするのね。


それなら、終わったことにされた事実を使うだけだ。


胸の奥でそう結論づけると、何も言わずに図書室を後にした。



休暇が明けても、状況に変化はなかった。

ハルカの隣には、常にヴァレルがいる。


モーリスの授業にも、ヴァレルは当然のように同席するようになっていた。

最初は護衛という名目で収まっていたが、ここまでくると様相が変わる。視線も、会話も、距離も、すべてに彼が介在してくる。


結果として、エレオノールは外側へ押し出された。


……見事な囲い込み。


授業の合間の移動でも、食堂でも、中庭でも。視界に収まる範囲に限れば、例外を探す方が難しいほどだ。

その配置はあまりにも自然で、いつしか違和感は話題として形を持ち始めていた。


――聖女と護衛。本当にそれだけの関係なのか、と。


さざ波のように広がった噂は、静かに輪郭を持っていく。


エレオノールは校舎の廊下から中庭を見下ろした。

冬の空気は澄みきり、遠くの細部までくっきりと見える。葉を落とした木々の向こう、ベンチに並ぶ二人の姿もはっきりと捉えられた。


ハルカは膝の上で本を開き、規則正しくページを繰っている。

その隣で、ヴァレルが何かを言う。軽く肩をすくめるような仕草。おそらくは、どうでもいい冗談か、あるいはからかい。

ハルカは顔を上げることなく言葉を返すと、ヴァレルが笑った。


ハルカは再び本へ視線を落とす。

興味を失ったように見えるその横顔へ向けた、ヴァレルの視線。その目が柔らぐ。


どこかで見たことのある視線に、記憶が重なる。


――同じだ。


ユーベルがナタリーを見るときの目。

ルイがハルカに向ける視線。


背もたれに回された腕が、ハルカの背後を囲う位置にある。

やがて、その指先がゆっくりと動き、肩へと落ちていく。


触れる直前で、ヴァレルが顔を上げた。


真っ直ぐに視線がこちらを捉える。

それから、口元がわずかに歪んだ。


――見ていることを、読まれていた。


エレオノールは小さく息を吐く。


彼は最初から触れるつもりなどなかったかのように手を引いた。


周囲を警戒し、配置を維持し、隙を見せない。さすがは騎士団長の子息。


ただ、あの視線は、護衛対象に向けるものではない。

このままでは噂が現実に変わる。そうなれば、もう戻らない。


――主を間違えた番犬は、厄介だ。


手遅れになる前に、元の場所へ戻すしかない。



余った時間を埋めるように、最近は文芸部の部室に足を運ぶことが増えていた。

紙とインクの匂いに満ちた空間は、思考を整えるにはちょうどいい。


その日も部室へ向かう途中だった。


廊下の向こうから、見慣れた金色が揺れる。

ルイ。その少し後ろに、控えめに距離を取るジャンの姿。


あれ以来、ルイは沈んだままだった。視線は定まらず、以前のような穏やかさも余裕もない。


エレオノールは通り過ぎるために端へ寄るが、足が止まるより早く、声が出た。


「殿下」


呼びかけに、ルイがゆっくりと足を止める。

振り向いた瞳を、真正面から受け止めた。


「いつまで、そのままでいらっしゃるのですか」


空気が引き締まる。


「望んでいる相手は、もう決まっているのでしょう?」


ルイの表情が強張る。

言葉よりも、その反応がすべてを語っていた。


エレオノールは一歩だけ距離を詰める。


「卒業まで、あと一年余り。その先で――あなたは王となる」


瞳が揺れる。


「その隣に立たせる相手を、決めるべきでは?」


わずかに首を傾ける。


「それとも、決めきれないまま手放すおつもりで?」


言外に込めた意味が伝わったかどうかはわからない。

だが、沈黙の中でルイの視線は足元へ落ちた。


それでも、かすかに光が戻ったように見える。


それで十分だった。


エレオノールはそれ以上言葉を重ねず、そのまま横を通り過ぎる。

背後でジャンが息を呑む気配がした。


……これで動いてくれればいいけれど。


ハルカが王妃となれば、戦場へ送られる可能性は大きく下がる。

婚約を解消しても、ダンボワーズ家との交渉が成立すれば、フォルタへの軍事的圧力も抑えられる。

モーリスの研究も進行中だ。聖女の力を魔道具へ転用する試み。ハルカが作るポーションは既存のものを上回る効果を見せている。安定性に課題は残るが、量産への道筋は見え始めていた。


条件は一つずつ揃ってきている。


あとは――


ハルカをこちら側へ引き戻し、予定通りルイと結びつける。


それだけ。


胸の内で繰り返し、エレオノールは前を向いた。


部室の扉を開けると、中には四人の女生徒が集まっていた。

輪になり、本を広げ、楽しげに言葉を交わしている。


そのうちの一人がエレオノールに気づき、身を乗り出してきた。


「エレオノール様、ご存じですか? ジョエル殿下の婚約者が決まったそうです」


初耳だった。


「……どなたかしら」


「公爵家のヘレナ様です」


その名に、エレオノールの思考が鋭く動く。


ヘレナ・ランシアン。

レガリア二大公爵家の一つ、ランシアン家の令嬢。北部の広大な領地と独自の軍事力を持つ家。


――その後ろ盾が、ジョエルに付く。


盤面が静かに書き換えられていく。

勢力図の変化は、そのまま王位継承の流れにも影響する。


「まだ内々のことらしいので内緒でお願いします」


「了解」


――内緒。


便利な言葉ほど、長くは保たれない。


噂は人を繋ぐと同時に、誰かを燃やす燃料にもなる。


第一王子の婚約者である自分も、その例外ではないだろう。

もっとも、そういう話ほど当人の耳には届かないものだが。


……別に構わない。


エレオノールは窓際の席に腰を下ろし、原稿用紙を広げた。

インク壺の蓋を開け、ペンを取る。


白い紙面に影が落ちる。


噂。


火のないところに煙は立たないと言うが、火種は誰かが用意するものだ。意図的にせよ、無意識にせよ。


問題は、それがどこまで広がるか。


ペン先を紙に触れさせると、インクが静かに滲んだ。


さて――

この物語は、どこまで燃やせるかしら。


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