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悪役王女は筆を取る――物語で運命を書き換えます  作者: 鴨治玲


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13/35

その仕掛けは、終わっていない

光華祭初日の幕が下りたあとも、学院には張りつめた空気が残っていた。

夕暮れの教室に運び込まれた魔道具だけが、先ほどの異常をはっきりと示している。


エレオノールが出来事の流れを簡潔に説明し終えると、モーリスは何も言わずそれを手に取った。角度を変えながら外装を観察し、半円状の縁を指先でなぞる。やがて中央の魔石を覗き込み、慎重に魔力を流し込んだ。


しかし、反応はない。


まるで最初からただの壊れた器具であったかのように、完全な沈黙を保っている。


「派手に壊しましたね」


あっさりとした一言に、エレオノールは机に肘をついた。


「そうなの。……じゃなくて、細工されてる可能性は? 花びらに触れた生徒だけがおかしくなったの。魔力を持っている人たちだけが。……ハルカのせいじゃ、ないわよね?」


問いかけに、モーリスは視線を上げる。


「現在の聖女様は安定した制御ができています。実際、防御魔法も問題なく機能したのでしょう?」


エレオノールは小さく頷いた。


「ならば原因は個人ではなく、術式の構造です」


モーリスは手にした魔道具を軽く叩いた。乾いた音が、教室の静寂に溶ける。


「話の内容から判断するに、魔力へ反応して発動する仕組みでしょう。誰の魔力であっても、条件さえ揃えば同様の現象が再現されたはずです」


しかし――とモーリスは続ける。


「物理的に破壊して止めるのは、やめた方がいいです」


「……やっぱり? 爆発しそうな気配があったのよね」


モーリスは眉を寄せる。


「内部に何が仕込まれているか不明です。講堂ごと吹き飛んでいたかもしれませんよ」


いつも通りの平坦な口調に、言葉は理解できた。実感だけが遅れて追いついてくる。


血の気が引いた。

光が、すぐ目の前まで迫っていたことを思い出す。

あの瞬間、ハルカの助けがなかったら――。


「ハルカがいなかったら……止められなかったってことね」


自然と声が小さくなる。

モーリスは静かに頷いた。


「ええ。今回は結果的に収束しましたが、条件次第では被害が拡大していても不思議ではありません。今後は、むやみに壊さないようにしてください」


「言われなくても分かってるわよ」


少しだけぶっきらぼうに返し、エレオノールは視線を窓の外へ逃がした。


「ディナイアル・ルミナスって、どういう系統の術なの?」


「鎮圧と鎮静の複合ですね」


モーリスは口元を緩める。


「なるほど。装置の暴走を抑えて、客席全体に鎮静効果を広げたわけですか……聖女様はやはり優秀だ」


彼は再び装置を手にして言った。


「あなたが壊した部分は別として――切り離されています」


「切り離されている?」


モーリスが思考をなぞるように、装置の表面を辿った。


「ええ。本来なら繋がっているはずの経路が、意図的に潰されている」


「外部から干渉されているの?」


「はい。話を聞く限り、発動は花びらを触れた者に限定されている。しかも、魔力を持つ者だけが影響を受けている。――ならば、単純な発動式ではありません」


エレオノールは腕を組み、記憶を辿る。

異常を起こしていたのは魔力保持者だけだった。


――魔力にだけ反応する術式?


モーリスは魔道具を持ち直し、焦げた箇所へ目を向ける。


「特定の回路に対して、負荷をかけ続ける構造……」


声がそこで一度途切れる。


「魔力の振動を増幅しているのかもしれません」


「……共振?」


エレオノールの呟きに、モーリスは目を細めた。


「可能性はあります」


その声は、先ほどよりも確信を帯びている。


「魔力を共振させて……特定の領域へ干渉する構造ですね」


「領域……」


声に出すと、喉の奥がひりついた。


「今回であれば、感情に関わる部分でしょう。……その結果、感情の制御が崩れるはずです」


エレオノールは無意識に指輪へ触れる。

あの講堂に満ちていた空気を思い出すだけで、胸の奥がざらつく。


「……あれを、作為的に?」


「可能です。ですが――この規模で安定させるとなると、相当な技量が必要です」


エレオノールは詰めていた息をゆっくりと吐いた。

輪郭だけでも見えてしまうと、現実として重みを帯びる。


「誰でもできることじゃないわよね」


「ええ。かなり限られます」


その一言が、教室の空気を重くする。


モーリスは焦げた箇所へ指先を当てた。

観察するように目を細め、触れた部分を慎重になぞっていく。


「それから、術式が断ち切られています。痕跡がほとんど残っていない」


低く落ち着いた声で告げながら、さらに表面を辿る。

その指が、底の部分で止まった。


「術式の構造を追えないよう、最後に消去処理が施されているようです。ご丁寧に製造刻印も消されている」


エレオノールは眉を寄せた。


「つまり――細工されている可能性が高い」


「はい。ただし、最終的な判断にはもう少し解析が必要ですが……」


エレオノールの口から独白のように零れる。


「誰が、そんなことを……」


モーリスは小さく首を振った。


「現時点では特定できません。単に舞台を混乱させる目的だったのか――」


言葉が一度沈む。


「それとも、聖女様を狙ったものか」


背筋に氷を押し当てられたような戦慄が走り、肌が粟立つ。

エレオノールは息を整えながら、装置を見下ろした。


「これは預かります」


モーリスが静かにそれを引き寄せる。無機質な器具は、沈黙したまま何も語らない。


この件は終わっていない。

むしろ――ここから始まるのだと、そんな予感だけが残った。



その夜、寮へ戻った後。

エレオノールはハルカの部屋を訪ねた。


扉を叩くと、すぐに小さな返事が返る。

中へ入ると、灯りは控えめで、机上のランプが橙色の光を静かに広げていた。


外界から切り離されたような静寂。

扉を閉め、足音を抑えながら近づく。


ハルカはベッドの端に腰掛けていた。

姿勢は崩れていないのに、どこか力が抜けている。

伏せられた横顔に、影が濃く落ちていた。


エレオノールは言葉を挟まず、その隣へ腰を下ろす。


窓を揺らす風の音だけが、室内に残る。

やがて、ハルカが口を開いた。


「……何が起こったのか、私にもよくわからないの」


かすれた声音。


「いつも通りに魔力を流しただけなのに」


膝の上で組まれた手が、小刻みに震えている。


「それなのに……あんな風になって……」


言葉が途切れる。

あの光景が脳裏に蘇ったのだろう。


「驚いて……何もできなかった」


吐き出される息さえ、不安定だった。


「エレオノールがいなかったら……」


途中で言葉が止まり、その代わりに指先へ力がこもる。

白くなるほど強く握られていた。


エレオノールは静かに首を振る。


「あなたの責任じゃないわ」


ハルカが顔を上げる。

揺れる瞳が、まっすぐこちらを捉えた。


「魔道具には細工があった」


逃げ道ではなく、事実として伝える。

その言葉を受けて、ハルカの瞳に涙が滲む。

それでも取り乱すことなく、受け止めている。


エレオノールは柔らかく表情を緩めた。


「それに、あなたはきちんと対応していた」


「……え?」


「混乱していたのは当然よ。それでも防御も展開できていた」


慎重に言葉を選びながら続ける。


「あれがいなければ、舞台上にいた魔力保持者にも影響が及んでいた可能性が高い」


そして――


「なによりも、聖女の力がなければ元には戻せなかった」


それは彼女自身の力だ。


「つまり、あなたが守ったのよ」


ハルカの手の上に、そっと自分の手を重ねる。

触れた指先は冷えきっていた。


「ハルカに救われたの。私も。みんなも」


「……うん」


かすかな頷き。


ぽたり、と。

温かな雫が、エレオノールの手の甲に落ちた。


それをきっかけに、肩が小さく震え始める。

エレオノールは何も言わず、その手を包み込んだ。


安心させるように、守るように。


室内には、押し殺された泣き声だけが残る。

彼女の涙が落ち着くまで、エレオノールはただ傍にいた。


やがて思考が静かに巡り始める。


細工された装置。

魔力を持つ者だけに現れた異常。

そして、あの場が選ばれた理由。


手の中の温もりを確かめながら、ゆっくりと息を吐く。


これ以上、ハルカに負担をかけるわけにはいかない。


だからこそ――

この仕掛けを施した意図を、見過ごすわけにはいかなかった。


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