光華祭、綻びの幕開け
学院では一大行事の準備が本格的に動き始めていた。
一年の中で最も賑わいを見せる催し――生徒自らが舞台を作り上げる祭典。
通称『光華祭』。
魔法と才覚を披露する場でもあるその期間は、学院全体が浮き立つ。
騎士を志す者たちは、模擬戦の場所取りで言い合いをしていた。
魔法師を目指す者たちは、その手から火や水を繰り出しては、教師から外でやれと怒られている。
そのほかにも歌唱や器楽、演劇など、多彩な出し物が準備されていた。
エレオノールたちのクラスは、演劇を選択することになった。
「エレオノール様、脚本をお願いできますか」
依頼を受け、彼女は一見無難な題材を選ぶ。
恋愛悲劇。元にしたのは、前世で広く知られていた物語――この世界には存在しないため、都合がよかった。
『ロミオとジュリエット』
ただし結末はそのままにはせず、幸福な形に書き換えるつもりで筆を取った。
……少なくとも、最初はそのつもりだった。
出来上がった脚本は、当初の構想から大きく逸れていた。
なぜかロミオとティボルトが恋に落ちている。
完全に趣味が表に出た結果である。
さすがに修正が必要だろうかと、書き直しを考えたこともあった。
だが試しに読ませたクラスメイトたちの反応は、予想と正反対だった。
「これ面白い!」
「絶対ウケる!」
「やろうやろう!」
――おかしいわね。
構想から外れているはずなのに、違和感がかみ合う。
まるで最初からこうなるように組まれていたみたいだ。
だがその感覚を言葉にする前に、流れは決まってしまった。
ジュリエット役には満場一致でハルカが選ばれた。
聖女としての知名度に加え、人目を引く容姿。客を呼ぶ条件としては申し分ない。
「この脚本、ジュリエット必要?」
「必要よ。一応、原作ではヒロインなんだから」
少し困ったような笑みとともに、引き受けたことで配役は滞りなく決まり、準備も順調に進んでいった。
もっとも、ゲームの展開ではこの演劇に特別なイベントは存在しなかったはずだ。
だが、これまでにいくつもの分岐を変えてきた以上、同じ流れが続く保証はない。
何が起きてもおかしくない――その前提で考えるべきだろう。
エレオノールは脚本家として稽古に顔を出しつつ、舞台に立つ面々、なかでもハルカの様子を注意深く観察していた。
同時に、彼女から聞いたゲームの筋書きを頭の中で繰り返しなぞる。
まずモーリス。
この先、彼とハルカが恋に落ちる可能性は限りなく低い。研究に没頭している現状では、恋愛に割く余裕など見当たらなかった。
次にユーベル。
こちらも心配はない。最近では婚約者のナタリーと並んで歩く姿を頻繁に見かける。あの自然さを見る限り、他へ心が移るとは考えにくい。
仮に揺らぐのなら、それはナタリーにとって見切りをつける好機でしかない。
残るは、ヴァレル。
あの一件以降も、彼は折に触れてハルカへ声をかけていた。とはいえ内容は挨拶や軽い雑談に留まり、露骨な距離の詰め方は見せていない。ただし彼女に対する呼称が聖女様から聖女ちゃんになっていた。
それに、ひとつだけ引っかかる変化があった。
以前なら常に彼の周囲にいたはずの女生徒たちの姿が、いつの間にか消えている。
それだけなら、偶然ともとれた。
けれど――誰もその変化に触れようとしない。
――やはり、攻略対象としての兆しが出ている?
思考がそこに至り、エレオノールは無意識に右手の中指へ視線を落とした。
そこにはハルカのものと対になる銀の指輪が静かに光っている。
不測の事態に備え、モーリスに改良させたものだ。
本来なら、使われることなく終わるのが理想の品。
無意識に、指輪へ指先が触れた。
♢
光華祭の当日、学院は朝から落ち着きを失っていた。
普段は整然としている回廊も、この日ばかりは人の流れが絶えず、行き交う足音と話し声が幾重にも重なり合っている。
外部からの来訪者を迎えるため、入口では厳重な確認が行われているはずだが、そうした緊張は表に出ることなく、場内は祝祭の熱気に包まれていた。
あちこちで拍手が起こり、歓声が波のように広がる。出番を終えて安堵する者、舞台へ向かう直前に台詞を反芻する者、観客を誘導する役割に奔走する者――誰もが忙しく動き回りながら、その表情には確かな高揚が宿っていた。
視界の端には、普段どおりハルカの護衛の姿もある。目立たぬ服装をしていても、エレオノールにはもう見分けがついた。
いくつもの演目が滞りなく進み、いよいよ最後の一幕が近づく。エレオノールたちの劇が、その締めを担うことになっていた。
舞台裏では、役者たちはすでに衣装を整えている。
淡く光を帯びる布地に繊細な刺繍が施され、動きに応じて装飾が揺れるたび、視界に柔らかなきらめきが差し込む。
さらに、演出を支える魔道具の最終確認が行われていた。照明や音響、舞台効果の多くが魔力によって制御される以上、細かな調整は欠かせない。
「魔力の流れ、大丈夫?」
「もう一度だけ同期を確認して」
抑えた声で交わされるやり取りの奥に、緊張と期待が入り混じる。
エレオノールは舞台袖に立ち、全体の様子を見渡していた。講堂の客席はすでに満員で、壁際や後方にも人が溢れている。前方にはルイ、その少し後ろにはユーベルとナタリーが並んで座っている。文芸の仲間たちの姿も見えた。
視線を戻した先で、ジュリエットの衣装に身を包んだハルカが最後の確認を終えようとしていた。
緞帳が上がり、舞台が始まる。
序盤はどこか硬さが残っていたものの、役者たちは次第に流れを掴み、演技は滑らかになっていく。台詞を忘れる場面や、ほんの僅かなずれもあったが、それさえ観客の笑いを誘い、むしろ空気を和らげていた。
舞台袖から、安堵の気配が漏れる。
このままいける――誰もがそう思い始めていた。
やがて物語は終盤へと差しかかる。
中央に立つハルカへと照明が絞られ、静寂の中で語られる言葉が場内に染み渡る。傍らに控える乳母役とのやり取りに、客席から柔らかな笑いがこぼれた。
そして最後の台詞。
それを合図に乳母役が退き、後方の高台にロミオとティボルトが姿を現す。二人は手を取り合い、ゆっくりと観客へ向き直った。
――ここからが、締めの演出。
ハルカの魔力と舞台装置が共鳴し、客席へ向けて花びらが舞う。触れれば淡く光り、やがて消える幻の花。
花弁は舞台上から客席へ流れるよう調整されている。
ハルカが手を掲げると、その力が装置へ流れ込む。
天井から白い花弁が降り始めた。
幻想的な光景に、エレオノールも思わず見とれる。舞台袖から見上げるそれは、現実とは思えないほど美しかった。客席からも感嘆の声が上がる。
――成功した。
そう確信しかけた、そのときだった。
前方で、誰かが場違いなほど大きな声で笑った。それを引き金のように――ざわ、と講堂の空気が揺れた。
後方では、女生徒が顔を覆い、嗚咽を漏らしている。
その隣では落ち着かない様子の男子生徒が周囲を見回していた。
「――ふざけるなよ!」
鋭い怒声が場内を裂いた。
反射的に視線を向けると、中段の席で一人の男子生徒が立ち上がり、隣の男子の襟元を掴んでいる。
「さっきから何なんだよ!」
「は? 何言って……!」
周囲の生徒が慌てて割って入るが、それだけではない。
異変が、講堂の各所で同時に起きている。
エレオノールは客席を見渡し、息を止めた。
――共通点は何だ。
ルイの側近の一人が、青ざめながらも正常に動いている。彼には魔力がない。
カイラ、ロウも同じだ。二人とも魔力を持たない。
一方、異変を起こしている者たちは――。
魔力だ。
見える範囲では、魔力を持つ者ばかりが感情を異常なほど昂らせている。
ルイも、ユーベルも、ナタリーも。
彼らの感情が限界まで引き出されていた。
怒り、悲しみ、笑い。
感情の種類は違う。異常なのは、その強さだけ。
――魔力と感情は連動する。
モーリスと話した仮説が頭をよぎる。
視線を舞台へ戻すと、魔力を持つハルカも高台の二人も無事だ。舞台上には影響が出ていない。
ならば原因は、客席にだけ届いている――この花弁。
エレオノールは視線を舞台中央へ向けた。白磁で覆われた装置の内側で、光が脈打つように明滅しているのが見える。
「……これ、ね」
確信が形になると同時に、彼女は声を張った。
「ハルカ!」
呼びかけに反応して顔を上げた彼女へ、間髪入れず指示を飛ばす。
「舞台と客席を遮断できる!?」
ハルカは即座に頷く。
両腕を伸ばし、手のひらを前に向けた。
透明な膜が境界をなぞるように広がり、降り続いていた花弁が弾かれる。だが、エレオノールの目には、それだけでは足りないと映っていた。
「下がっていて」
短く告げると、彼女は装置の前へ進み出る。幸い照明は上段にいる二人へ集中しており、舞台中央は薄暗い。白磁の外装が内側の魔力を受けてぼんやりと光を帯びている。
ハルカからの魔力供給は既に切れているはずなのに、それでも装置は動き続けていた。
停止方法が分からない。
それなら。
持ち上げた瞬間、腕が下へ持っていかれる。予想を裏切る重さでも、手は止まらない。
頭上に持ち上げたそれを、床へと叩きつける。
鈍い衝撃音が響き、外殻にひびが走った。
だが、明滅は止まらない。それを見逃さず、足に力を込めて踏みつける。
何度も、何度も。
踵で容赦なく踏み砕くと、乾いた破砕音が連続して響いた。
砕けた白磁の内側から、核となる魔石が露わになる。
不規則な明滅。制御を失いかけているとしか思えない光の揺らぎ。
ひび割れた魔石の奥で、光が脈打つたびに空気が震える。
次の瞬間、甲高い亀裂音が走った。
ぞわ、と全身の産毛が逆立ち、皮膚の内側を冷たいものが駆けあがる。
逃げろと本能が告げ、踏み出しかけたその直前に、視界を焼くような光が目に飛び込んできた。
「エレオノール、離れて!」
ハルカがエレオノールを庇うように前に出て、装置へ手を向ける。
その手から柔らかな筋の光が放たれる。荒れ狂うものを上から包み込み、押さえ込むような輝きが装置だけでなく講堂全体を覆っていく。
露出した魔石の明滅が止まり、光がすっと消える。鈍い音を残して、完全に沈黙した。
その直後。
泣き声が途切れ、怒鳴り声も呻きも消え失せた。
講堂は一度、深い静寂に包まれる。
続いて、戸惑いが広がっていく。
異変に呑まれていた生徒たちは、目を覚ましたように周囲を見回している。何が起きたのか理解できず、ただ状況を探ろうとしている表情ばかりだ。
前方から順に、静けさが戻っていく。
――終わったのか。
花びらは、もう降っていない。
エレオノールとハルカは暗がりに紛れて、舞台袖へ下がる。
耳の奥で、鼓動だけが大きく響いていた。
客席にはまだ混乱が残り、互いに顔を見合わせる者が多い。
一方で舞台上では、ロミオとティボルトが即興で台詞をつなぎ、物語を締めにかかっていた。揺らいだ空気を引き戻すように、その演技が観客の意識を舞台へ引き寄せる。
やがて拍手が起こる。
ばらついていた音が徐々に揃い、ひとつの大きな波となって講堂を満たした。
緞帳がゆっくりと降りる中、誰もすぐには動けなかった。
「ハルカ、大丈夫?」
「……大丈夫」
答えは返ってきたが、声がかすれていた。
直後に、ハルカの指先が震え、膝から力が抜ける。倒れそうになる身体を、エレオノールは即座に支えた。
「無理をしないで」
そのまま近くの椅子へと導く。
顔は青白く、触れた手は、驚くほど冷えていた。嫌な冷たさだ。
「エレオノール」
声の方に振り向くと、ルイがすぐ傍まで来ていた。
「殿下。お身体は」
頭を抱えていた姿。あのとき、彼には何が見えていたのだろう。
「……大丈夫だ。何があった」
「魔道具の暴走かと。まだはっきりとは分かりませんが」
「そうか」
その目がハルカを捉えると、躊躇なく彼女の前に膝をつく。
そっと、その手を取った。
「少し魔力を分ける」
ルイが声をかけると、触れた指先から温かな光がその手を包む。
ハルカの冷え切っていた指先に熱が戻り、強張っていた手がかすかに動いた。
ほんの数秒で、ルイはその手を放す。
エレオノールは、二人の様子を見て判断した。
――任せられる。
「殿下、彼女をお願いします」
「ああ」
顔色を戻したハルカの視線が、舞台中央に転がる装置へと向けられる。
叩きつけられ、踏み砕かれたそれは、原形を辛うじて保つ程度の無残な姿になっていた。白磁の表面に刻まれていた金の装飾は一部が黒く焼け焦げ、異様な気配を残している。
「あれは……私のせい?」
ハルカの不安に揺れる声。
エレオノールはしゃがみ込み、装置を拾い上げた。手にした感触には言いようのない違和感が残る。
ひっくり返すと、底にあるはずの製造刻印が見当たらない。
「違うと思う。原因はこれから調べるわ」
偶発的な事故か、誰かの仕込みか。それとも変質した流れの帰結か。
結論はまだ出ない。
壊れた魔道具はまだ熱を持っていた。
緞帳の向こうでは、声がまだ途切れない。
教師たちが客席へ入り、負傷者の確認と混乱の収拾を始めている。
壊れた魔道具をモーリスへ持ち込むと教師に告げてから、エレオノールは研究室へ向かった。




