おおきな水たまりとおやつの未来
ぽつり、ぽつり。空から雨粒が降ってくる。
幸いレインコートを裏返しに着ているシェリアが濡れることはない、けれど。
森の中で雨が降る、その光景を不思議に感じて、首を傾げたシェリアは、手の中にかさりとした感触を感じた。
「女王さま……」
青緑色の髪をした小さな少女が、泣きじゃくりながら呟く。
強く風が吹いて、辺り一帯はまるで嵐が訪れたみたいだった。
「──落ち着いて。ちょっと試しただけ。本気じゃないわ」
“にんふさま”は、少女をなんとか落ち着かせようと試み、種明かしをする。
突然泉に現れた人間の覚悟を試すはずで、こんなに早く種明かしをするつもりなんてなかったのに。
だが、仕方あるまい。
この小さな少女には、そんなものは通用しないのだ。
「…………ほんとう?」
「ええ」
小さな少女に確認するように訊ねられ、“にんふさま”が頷くと、次の瞬間、風はぴたりとやんだ。
ぽつり、ぽつり。
だが、何故か雨はやむ気配がない。
ぽつり、ぽつり。
シェリアも“にんふさま”も、やまない雨に困惑している。
ふいに、シェリアが感触を確認するように手のひらを開くと、先ほど小さな少女を掲げて見せた緑色の葉が、何故かそこにあった。
この葉は、確か……。
そう、シェリアが思い出しかけたとき、空から声が降ってきた。
「……雨がふったら、」
「われらの、でばん」
「……雨がなくても、」
「われらの、でばん」
空から、舞うようにゆっくりと小さな生き物たちが降りてくる。ゆるやかに、羽根を翻し、軽やかに。
雨色の透き通った髪が、雨粒を受けてきらきらと輝く。
突然、雨と共に森に現れた小さな生き物たち。
シェリアたちのいる場は森の中でちょうど木がなく、開けているのも相まって、この場は小さな舞台のように見えなくもないのだが、残念なことに、華麗に登場を終えることはむずかしいだろう。
かれらの着地予定の場所にあるのは、地面ではない。
そこにあるのは、一面、青緑色の水。この森唯一の泉なのだ。
「とうちゃーく!」
空からゆっくりと落下した雨色の小さな生き物たちは着陸直前で叫ぶと、そのまま水の中へ飛び込んでいってしまった。
「ぴゃう」
水の中から、小さな悲鳴が聞こえた。
水面にぷくぷくと小さな泡ができたあと、少しして「ぷひゃ」と鳴き声を上げつつ、小さな生き物たちは水面から飛び出した。
「…………うう」
「またしっぱいした……」
「足下にみずが……」
「……雨じゃ、なくて」
「もしかして、おおきな水たまりでは……?」
地面に避難した雨色の小さな生き物たちは、自分たちが飛び込んだ大きな水たまりらしき場所を希望に満ちた瞳で見つめた。
「水たまりにしては」
「おおきいような……」
「雨でできた気配もない……」
「でも、水でできてる……」
「まさか……」
自分たちがうっかり飛び込んだ青緑色の泉に興味を示した雨色の小さな生き物たちは、羽根をひらひらとさせ、ゆっくりと水面に近づいていき、覗き込みかけたところで──ちゃぽんと落ちた。
再び、水中から「ぴゃう」、と聞こえたあと、小さな生き物たちが水からぷはっと顔を出した。
「…………うーん」
「ちがう気がする……」
「気のせい……?」
因みに、残念ながら泉は湧き水で出来たものであり、この小さな生き物たちが望むような雨に関連するものではない、けれど。
「でも、たのしかった!」
「もういっかい、やるー?」
それは、もはや些細な問題かもしれない。
雨の気配の有無はただのきっかけに過ぎず、この小さな生き物たちは水に落ちることに楽しみを見出したようだ。
小さな生き物たちが再び水へと飛び込もうとした──その時。
「雨のみんな、久しぶり!」
小さな身体にたくさんの大きな葉を抱えて、青緑色の髪を持つ小さな少女が声をかけた。
今にも青緑色の水の中へ飛び込む勢いだった小さな生き物たちは、背後から聞こえた声に、ぱっと振り返った。
「泉ちゃん……!」
「久しぶり!」
「ひゃくねんぶりくらい?」
「いや、いちねんぶりかも?」
「もしや、きのうぶりかも?」
百年ぶりと一日ぶりでは人間にとっては大変な差があるが、妖精たちにとっては誤差であるらしい。
泉に属する小さな少女と雨に属する小さな生き物たちにとっては久しぶりの再会のようだ。
「みんな、どうしたの?」
青緑色の髪をした少女が問いかけた。
この泉に、違う妖精がくるのは珍しいのだ。
滅多にないと言ってもいい。
なにせ、青緑色の少女は、この泉で自分以外の妖精を見たことがない。
「うーん、なんとなく?」
「とつぜんの、ひらめき!」
「水のかたまりに、よばれて!」
雨に属する小さな生き物たちは口々に言うが、要領を得ない。
「そっかあ」
だが、それで良かったらしい。
青緑色の髪をした小さな少女は、納得したように微笑んだ。
「これね、雨のみんなに持ってきたの!」
両手で抱えた緑色の葉を五本を差し出すように見せられ、雨に属する生き物たちは歓喜の表情を浮かべた。
「こ、これは……!」
いつか破れてしまった葉の傘。
そして、今シェリアの手のひらの中にあるもの。
それと同じものがひとりひとりに手渡された。
「泉ちゃん、ありがとう……!」
雨に属する者たちは、雨のように空から地面にゆっくりと舞うのが好きだ。そのときに、青緑色の少女にもらった葉でゆっくり舞うのがお気に入りだった。
だが、残念ながら破れて使えなくなってしまった。
その破れてしまったお気に入りが、こうしてまた手元にやってきた。帰ってきたのだ。
「──今日は、にぎやかね」
“にんふさま”が呟く。
それは目の前の小さな生き物たちに対してか、それとも、近づいてくる別の気配に対してか。
今日は宴のはずだ。
一年に一度の夏至祭。小さな生き物たちの祭り。
それは、森の中央の方で開催されているはずで、このような森の端が会場では決してない。
のだが、それもまた、大した問題ではないのかもしれない。楽しければいい。興味深ければよし。
妖精という生き物はいつだって好奇心旺盛で、楽しいかどうかがとても大切なものだ。
そして、“女王さま”のねがいごとがとても大切なのだ。
「──われわれのおやつ係が」
「危機であるとかないとか」
「せっかくのじんざいが」
「“すかうと”には、時間がかかる」
突如、現れた赤褐色の髪を持つ小さな生き物たち。
土に属するこの小さな生き物たちは、宴のおやつ係。
妖精が妖精のつくったものを口にすると、属性と属性がぶつかり合って、口にした瞬間爆発しかねないので、実のところ宴のおやつ監督が近いだろうか。
「おやつ係の“せいしつ”変換には、」
「森ぜんたいの“しょうにん”が」
赤褐色の髪を風で揺らし、仁王立ちした小さな生き物たち。その数、ざっと見て十人以上はいるだろうか。
気のせいだろうか。背後から次々と集まってきているようだ。
「森のおやつのみらいがかかっているのだ!」
えへん、と赤茶色の髪をしたおやつ係は宣言した。
シェリアの肩には、森のおやつの未来がかかっていたらしい。いつの間にそんなことになっていたのか。
シェリアは思わず目を丸くした。




