森いっぱいのおやつ
「…………そもそも、人間は変質しないでしょう……」
呆れるように言った“にんふさま”に、「そうだっけ?」と小さな少女は首を傾げた。
「変質するのは、妖精だけ。人間は変質ではなく、変化よ。例えば、この森のものを口にすれば、その瞬間から人間ではなくなる、ただそれだけ」
“にんふさま”の説明に、小さな少女は「なるほど」と笑い、“にんふさま”は小さな溜息を吐いた。
「──まあ、もっとも、妖精になったなら、この森の歓迎の宴が必要だけど……」
“にんふさま”は、真正面からシェリアの瞳を覗き込むように見つめた。
「その心配もなさそうだし……」
「そっか。良かったー!さすが、にんふさま!」
無邪気に笑う小さな少女に「相変わらず、はやとちりなんだから」と“にんふさま”は、言う。
そんな目の前の小さな少女と“にんふさま”のやりとりも、シェリアの耳には届かない。
先ほどの小さな少女の言葉を聞いてから、シェリアの頭の中では、疑問が反芻していた。
アンディのふりをしていた少年は、“へんしつ”してしまうらしい。
“へんしつ”は、存在が消えてしまうこと。
妖精同士の“おまじない”によって。
本来は、かけてはいけないものをかけて。
そして、存在が消えかかって。
銀白色の髪を持つ理の妖精たちがそれを口にしたのは、もう何年も前のことで──
──『急いだ方がいいかもしれない』
それは、この森から帰ってきた本物のアンディが口にした言葉だ。鈍い鈍い姉への、助言。
急がなければ、間に合わない。
大切なものを失ってしまう。
あとで気付いてからでは遅いのだ。
だから、シェリアは急がなくてはいけない。
いつの間にか俯いていたシェリアは、顔を上げて、目の前にいる“にんふさま”に訊ねた。
「──“へんしつ”を止める方法は、ありますか」
シェリアの疑問に、一瞬、虚をつかれて目を丸くした“にんふさま”が口を開きかけたが──
「それはね──」
何故か小さな少女が、にこにこと、代わりに答えようとしている。
そんな小さな少女の背中の羽根を摘まみ、“にんふさま”は、青緑色の水の中へ突っ込んでしまった。
思わず目を丸くしたシェリアの前で、ぷはっと水面から顔を出した小さな少女は「ぼうりょく、はんたーい」と抗議すると、“にんふさま”の頭の上まで飛んでいき、ぴたりとくっつき、髪をいじりはじめた。
「──悪かったわね」
「いえ……」
「妖精の“変質”についてだけど──あなたは、なにを差し出せるの?」
“にんふさま”の言葉に、再び、森がざわりと音を立てた。
“にんふさま”の言葉の意図がわからないシェリアは、首を傾げる。
「──対価よ。人間の言葉でいう“お代”ってやつね。誰かの“変質”を止めたいのでしょう。願いごとには相応の対価がいるわ。天秤に載せて、あなたが釣り合うと思うもの」
“にんふさま”の説明に、シェリアの脳裏に、月に属する妖精たちの言葉が過る。どうやら、妖精も目の前の“にんふさま”も対価と交換で願いを叶えてくれらしい。
戸惑う様子のシェリアに、“にんふさま”は、にこりと笑う。
そうして、暫くの間、沈黙が流れていたのだが──
「はいはいはーい!森いっぱいのおやつがたべたい!」
突然、“にんふさま”の髪を編み込んでいた小さな少女が挙手をした。
森いっぱいのおやつ、それは妖精の夢である。
食べても食べてもなくならない。
なんと素晴らしいのだろう。
思わず羽根も反応するというもの。
妄想が膨らみ、小さな少女から笑みがこぼれる。
そんな小さな少女の背中の羽根に、“にんふさま”は手を伸ばしたのだが、気配を察した小さな少女は既のところで躱した。
全力で“にんふさま”の手が触れないところまで飛んでいき、これで一安心と思いきや、勢い余って、ちゃぽん、と自ら水面に向かって飛び込む形になってしまった。
「ぼうりょく、はんたーい」
一瞬の間のあと、水面から、ぷはっと顔を出した小さな少女は、ぷんすかと抗議した。
「…………自分で、飛び込んだのでしょう」
残念なことに、躱せても躱せなくても、結果は変わらなかったようだ。
濡れ鼠になった小さな少女は、しょんぼりと“にんふさま”の肩へと上がると、再び髪を編み始めた。
「──あなたが、相応しいと思うもの」
視線をシェリアに移した“にんふさま”は、シェリアに決断を迫るように言葉を投げる。
ぴちゃり、と水が跳ねる音がした。
シェリアが対価になると考えるもの。
天秤に載せて、水平になるもの。
同じくらいの重さ。相応の対価。
誰かの存在を繋ぎとめたいとするなら、差し出すべきものは──
「………わたしの……存在は、対価に……なりますか」
シェリアがおずおずと口にした瞬間、森が強くざわめいた。
「そうね……」
シェリアの言葉に、“にんふさま”が反応したその時──
「ねぇねぇ、にんふさま、それって“はっぴーえんど”になる?」
小さな少女が、疑問を投げかけてきた。
「女王さまがね、いってたの。誰かが悲しんじゃだめなんだって。それはわるいことなんだって。女王さまのいうことは、ぜったいなの!やくそくをやぶったら、もう、会いにきてくれないの…………!」
少女の叫びに呼応するように、木々が、草花が、水面が、強く揺れ、空からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。




