45.聖騎士クロエ
実物の古代竜と相まみえた感動も束の間、慌てふためいている人々に私は我に返った。
地上に向かって炎の息吹でも吐かれればひとたまりもない。ひとまずこの場を離れるのが先決だ。
「シスター・イレーナ! シスター・カトリーヌを頼みます」
足が速いシスター・コレットはその気になれば誰よりも先に逃げることができるだろうが、何も無いところで転んでしまうシスター・カトリーヌは心配だ。
最悪シスター・カトリーヌを担いででも逃げてもらおうとシスター・イレーナの方を見れば、警戒することも剣の柄に手を掛けることすらなくただその場に佇んでいた。
「クロエ」
シスター・イレーナがじっと古代竜の方を見つめたまま呟いた。
「シスター・イレーナ、早く逃げないと……!」
私が呼びかけるとシスター・イレーナは平然と、いつものおっとりした様子で応えた。
「ああ、あのドラゴンであればご心配には及びませんよ、あそこにいるのは──」
『皆様落ち着いてください! 上空におわしますは我らが教会の盾、聖堂騎士団第七部隊隊長が率いるドラゴンであります! 此度の公演のため、特別にお招きいたしました!』
シスター・イレーナの言葉に被せるように舞台の語り手からアナウンスが入り、人々が一旦静まった。
古代竜の背から聖騎士の少女が立ち上がって姿を現し、地上に向かって恭しく頭を下げた。よく見れば古代竜の尻尾の先には大きな横断幕括りつけられており、「聖女と魔王の物語、只今公演中」と書かれた文字が風ではためき揺れている。
「人騒がせな……」
私を含め、周囲の人々が安堵でほっと気の抜けた溜息を吐く吐息が耳に入る。
流石に説明するのが遅すぎるのではないか。一歩間違えれば我先にと逃げ惑う人々がパニックを引き起こして大惨事になっていたかもしれなかったというのに。サプライズ演出だったのだろうが、事前に周知しておいてほしかった。
その後すぐに劇が再開され、私たちも食事に戻ると、まだ食べかけだったはず私の串から肉が全て無くなっていた。長卓の上には今にもはちきれそうな腹の小人が寝そべっている。
「イレーナ師匠!」
私がガブリエラの腹を掌でぐりぐりと思い切り押していると、先ほどの騒動で人のはけた広場に古代竜が舞い降り、騎乗していた聖騎士の少女がシスター・イレーナに駆け寄った。
「クロエ。息災なようでなによりです」
「イレーナ師匠も、まさかこんなところでお会いできるなんて! それに、聖騎士に復帰されたのですね!」
「いえ、故あって夏至祭の間だけこちらにいるシスター・カトリーヌの護衛を頼まれたのです」
「ああ、皆さまご紹介します。この娘は私が東の大修道院にいた頃の愛弟子で、聖騎士のクロエです」
「ご紹介に預かりました! 聖堂騎士団第七師団隊長、クロエであります!」
クロエと呼ばれた少女聖騎士は伸びている背筋をさらに伸ばし、こちらに向かって敬礼した。
歳は私やカシスター・トリーヌと同じくらいだろうか。丸い頬の輪郭や大きな群青色の瞳はどこか子犬のような印象を与えるものの、きりりとした眉は凛々しい。肩のところで切り揃えられた赤い髪はグレン卿が燃えるような炎の赤であるならば、彼女は真紅の薔薇を思わせる鮮やかな赤で、聖騎士の白い制服によく映えている。
「シスター・カトリーヌです。初めまして!」
シスターカトリーヌが計算されつくした美しい角度でお辞儀をしながら、いつも通りの言葉遣いで挨拶をする。まぁ、付き焼刃にしては上出来だろう。
「貴女様が、南の……。お噂は東にも届いております。お会いできて光栄です」
聖フィリア教の関係者の間でシスター・カトリーヌはすっかり有名人のようだ。やはり儀式の前にもう一度礼儀作法をおさらいさせる必要が出てきた。
私とシスターコレットも続いて挨拶をした後、アレクシスが前に出た。
「お久しぶりですクロエ殿。私が東の管轄だったときですから、ちょうど一年振りでしょうか」
ラピス大司教の補佐をしていたのですっかり忘れてしまっていたが、元々アレクシスは総本山の生活会省という各地の修道院や教会の視察をする部署にいたのだった。口振りからしてきっとクロエ卿とも面識があるのだろう。
アレクシスが挨拶をすると、クロエ卿がアレクシスを凝視して固まった。そして勢いよく後ろを向き、何やら前髪を整えるような仕草をしてから、再び前を向く。
「お久しぶりですローラン司祭様。大祭には巡礼でいらしたのでしょうか」
「ええまぁ、そんなところです」
これまでの経緯を話すと長いからか言葉を濁すアレクシスに対し、クロエ卿は声音こそ騎士然としたものだが頬や耳がほんのりと赤く染まっていた。
昔茶会などでアレクシスに話しかけていた数多くの令嬢たちとクロエ卿の姿が重なり、私はその光景を生温かく見守る。
東の大修道院は聖騎士をはじめとする戦う修道士を育成する機関だと聞いている。男所帯であろうこと、そしてグレン卿のデリカシーのなさを考えれば、クロエ卿の周りの男性たちの彼女への接し方も予想がつくというもの。
私の想像でしかないが、もしも本当にそんな環境に置かれているのであれば、紳士的で穏やかな気性のアレクシスに淡い憧れを抱き、密かに好意を持っていても何ら不思議はない。
「クロエ殿は大祭の警備の任でしょうか」
「いえ、実は個人的にヒルダレイア大司祭様に大祭の儀式へ招待を受けまして。とはいえ手持ち無沙汰なので、ヒルダレイア大司祭様に志願して空からの見回りと舞台の宣伝をしておりました」
古代竜に乗って現れたのも、演出の一環として指定した時間に広場の周りを飛んで欲しいと頼まれてのことだったようだ。
「しかし、手紙で報告こそ受けてはおりましたが、貴女が第七師団を率いるようになるとは……、感慨深いものがありますね」
「いえ、私だけの力ではありません。ひとえに私を立ててくれる部隊の皆と、あの子のおかげです」
しみじみと呟くシスター・イレーナに、クロエ卿が静かに首を振った。広場にいる古代竜の方を見つめて目を細める。
「アレク、もしかして東の大修道院の聖女候補って……」
「ああ、クロエ殿だ。荒ぶっていたドラゴンがクロエ殿を前にすると黒い鱗を白に変え、頭を垂れた。以来あのドラゴンは、彼女を護る守護竜としてずっと側にいる」
やはり前にアレクシスが話していた、邪竜を鎮めたという東の聖女候補はクロエ卿のことだった。
アレクシスと小声でやり取りしていると、ふとクロエ卿と目が合った。
この視線には覚えがある。子供の頃アレクシスと家が隣同士だと知った令嬢に向けられたものと同じものだ。
「隅に置けないわね」
「? 何の話だ」
やや含みを持たせて私が言うと、アレクシスが怪訝そうな顔をする。
そしてただの幼馴染みだから安心してほしい、という念を込めてクロエ卿を見つめ返すと、向けられる視線がやや鋭くなる。
残念、上手く伝わらなかったようだ。
『クロエ』
まるで頭の中に直接語り掛けてくるような声に、私は辺りを見回した。
どこからともなく聞こえてきた声に困惑していると、広場の古代竜がぐるる、と低く唸り声を上げたのと同時にもう一度脳内に声が響く。
『クロエ、いつまでここにいればいいの? 早く帰ってきてよ』
少年と青年の間くらいの少し困ったような声が、確かにクロエ卿を呼んでいた。
「すみません! 相棒を待たせているので、これにて失礼致します!」
ドラゴンの声を聞いて、クロエ卿は頭を下げると慌てて広場へと戻っていった。
今の声は、一体なんだったのだろうか。
古代竜が何らかの力で語り掛けてきたのかとも思ったが、私以外に聞こえていた様子はない。
まさか、幻聴が悪化している?
「いやいや、そんなまさか」
頭を振ってろくでもない思考を追い出していた私は、クロエ卿を背に乗せて空へと飛び上がった古代竜を見上げたガブリエラが意味深な言葉を漏らしていたことなど知る由もなかった。
「……いやはや驚きました。彼の者の支配を完全に断ち切り、独立した個体がいたとは」




