22.聖騎士イレーナ
「きょ、教官……!」
聖騎士グレンが地面に転がったまま顔を上げた。
私には速すぎてよく見えなかったが、シスター・イレーナは聖騎士の腹部に蹴りを入れ、司教の首に箒の柄で当身を食らわせたようだった。
「っ、誰だ、てめぇ……」
「どアホ! 知らんのなら黙っとれ!」
首を押さえながらシスター・イレーナを睨みつけるジェイド司教に聖騎士グレンが叫んだ。
ジェイド司教の鋭い視線を冷ややかな目で一瞥したシスター・イレーナが地面に突き立てていた箒を握り直してこちらを振り向いた。
「お怪我はありませんか」
先ほどとは打って変わって柔らかい声のシスター・イレーナに、緊張の糸が切れたアレクシスは肺が空になるほど大きく息を吐く。
「……助かりました。正直、私ではどうにも……」
「いいえ。身を挺して淑女を守ろうとした勇気を私は賞賛致します。それに引き換え……」
シスター・イレーナがはぁ、と溜息を吐くと、びくりと聖騎士グレンが身を竦ませる。
「大司教様の供を懲罰室に入れる訳には参りませんので、私が東の流儀であなた方の根性を叩き直す命を受けました。すでにラピス大司教様からは許可をいただいております」
ラピス大司教にまで今の状況が伝わっているのなら、大司教自ら止めてほしかった。
それこそあの二人は忠犬よろしく従ったはずだ。
「東の流儀なぁ、アンタがか?」
ジェイド司教はピンとこなかったようだが、それは私たちも同様である。
しかし顔を引きつらせている聖騎士グレンを筆頭に、肩をぶるぶると震わせている警備兵の反応がその恐ろしさを物語っている。
「さぁお二人とも、いつまで寝ているおつもりです? 疾く剣を取りなさい。お一人ずつでも二人同時でも構いませんよ」
警備兵の一人からロングソードを借り受けたシスター・イレーナが鞘を抜くと、剣を構えて嫣然と微笑んだ。
*
「嘘、だろ……。あんな、強さ、反則、だ、ろ……」
息も絶え絶えにそう呟くと、ジェイド司教が両手両足を大の字に広げて倒れた。
「はぁー。俺もまだまだ、精進が足らんなぁ」
ジェイド司教よりは余裕があるが、額から滝のように滴る汗を拭うのも億劫そうに聖騎士グレンが足を投げ出して座り込んだ。
シスター・イレーナは涼やかな表情のまま剣を鞘に納め、ジェイド司教と聖騎士グレンを見下ろす。
最初に剣を構えたシスター・イレーナに立ち向かったのは、彼女の言葉を挑発と捉えたジェイド司教だった。
そして先ほどの当身は不意打ちだったと侮ったが最後、赤子の手をひねるが如くこてんぱんにされていた。
視線を誘導するようなフェイントも型に忠実な鋭い剣戟もすべて見切られ、己の隙や弱点を的確に指摘しながら峰打ちされ、プライドごとへし折られる気持ちは如何ほどだろう。
ジェイド司教が膝をついた後、聖騎士グレンは顔を青ざめさせながらも一礼して剣を構えたが、手も足も出ずに翻弄され打ち据えられていた。
最終的にシスター・イレーナがお話にならないので二人同時に来なさい、と言ったため一対二での試合となったが、その試合がまた凄まじかった。
意外にもジェイド司教と聖騎士グレンが息の合ったコンビネーションを見せ、勝負を互角にまで持ち込んだ。
それ以上に鮮烈に目に焼き付いたのが、シスター・イレーナの剣だ。
いくら懲罰室行き代わりの指導だとしても私闘と本質は変わらないだろうに、女神への剣舞の奉納と言われれば納得してしまうほどの美しい剣だった。
警備兵や修道士は羨望と畏敬の眼差しを向け、修道女は頬を赤らめて恍惚の息を漏らした。
試合は二人が立てなくなるまで続き、誰もがその美しい剣技に魅入っていたのだった。
「腕が鈍っていないようで安心しましたよグレン」
「はは、おーきに。……そっくりそのままお返ししますわ」
「それはそれとして、この件は東にも報告を入れますので」
「んな殺生な! 堪忍してや教官!」
「こんなことになるなら、大司教様の護衛にはクロエを推薦すべきでした」
「ホンマにすんませんでした! 俺もこいつも二徹でハイになってたんですぅ!」
聖騎士グレンがシスター・イレーナに向かって必死に頭を下げる。
「司教様は……型はうちの流派をベースに自己流で組み上げたといったところでしょうか。粗削りではありますが、筋がいいですね」
「そりゃどーも……うち?」
悪態をつく元気もないジェイド司教は、シスター・イレーナの言葉が引っ掛かったようだった。
「イレーナ、イレーナ……。聖騎士……サー・イレーナ・セシル? 聖堂騎士団長をボコボコにした、あの?」
ジェイド司教は何かを思い出すように視線を彷徨わせた後、信じられないという顔でシスター・イレーナを見つめた。
「嫌ですわ、そんな昔の話。あの試合ではつい熱くなってしまって……若気の至りというやつです」
恥じ入るようにぽっと頬を赤く染めたシスター・イレーナの元に若い修道女が集まる。
「先ほどの剣技、とても素晴らしかったです!」
「シスター・イレーナ、これで汗を拭いてください」
「お姉さまと呼ばせてください!」
「わ、私も!」
「は、はぁ。ありがとうございます……?」
……なにあれ。
「何ですか、あれ」
その光景を見たガブリエラも同じ感想を抱いたらしい。
突然態度を変えた修道女たちにシスター・イレーナは困惑しているが、これからはシスター・イレーナの言うことを聞かなかった修道女も従うようになるだろう。
修道女がシスター・イレーナに群がったのを皮切りに、傍観していた者たちも倒れている警備兵や修道士を介抱し、医務室に運び始める。
広場には疲労困憊で動けないジェイド司教と聖騎士グレンだけが取り残され、私とアレクシスは顔を見合わせるのだった。




