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23.残された忠犬

「…………おいアレクシス、水持ってこい」

 若い修道女たちに囲まれながら修道院に戻るシスター・イレーナを横目に見ながら、ジェイド司教がアレクシスに命令する。一歩も動けなさそうな割には偉そうだ。

 ジェイド司教の容姿ならば普段から女性に持て囃されているのだろう。ラピス大司教以外眼中になくとも、この状況は面白くないらしい。

 そもそも今ジェイド司教と聖騎士グレンの周りに人が誰もいないのは、二人の喧嘩を止めようとして返り討ちにあった警備兵の介抱に忙しいのと、腫物扱いしているからに他ならないというのに。


「はぁ……。分かりました」

 小さく嘆息したアレクシスが水を取りに踵を返す前に小さく詠唱を唱え、水属性の魔術でジェイド司教の顔面に水をかける。


「はい、お水です」

「マリア!」


 むせるジェイド司教に駆け寄ったアレクシスが咎めるように私の名前を呼んだが、つーんとそっぽを向いた。

 ただでさえ私の幼馴染を顎でいいように使い、引き抜きの話が出た後は聖騎士グレンと一緒になって威圧し、挙句の果てに私とシスター・コレットを庇ったアレクシスに殴りかかろうとしたのだ。

 むしろそれだけで済んだだけありがたく思ってほしいくらいだ。

 顔を拭きながらジェイド司教が私を睨むが、咳き込みながらでは迫力半減である。


「くそっ! 最初の水もお前の仕業かよ!」

 どうやらジェイド司教の中で重力魔術の方も私が使ったことになっているらしい。

「いえ重力魔術の方は……」

 ジェイド司教の背中をさするアレクシスが小さく首を横に振ったので、私は誤解を解こうと開いた口を噤んだ。

 迂闊だった。

 重力魔術は土属性の最上級魔術だが、聖フィリア教の教義を考えれば正当に評価されることはない。

 さらに無理矢理膝をつかされたジェイド司教は怒髪天を衝く勢いで怒りをむき出しにしていたので、露見すればアレクシスがどんな目に合うか。

 私の仕業だと思われるのは不利益を被るが、そもそも高位の人間に水を掛けた時点で今更である。調査団が総本山に帰るまでの我慢だ。


「なー、マリアちゃん。俺にもさっきの水のやつ、やってくれへん?」

 ちゃん。

 ひらひらとこちらに向かって手を振る聖騎士グレンにあからさまに嫌な顔をしなかった自分を褒めたい。

「何ですかあの男は! 聖女様に対して馴れ馴れしい!」

 憤慨するガブリエラに心の中で同意する。

 そもそも何で私の名前を知っているんだ。やはり昨日ジェイド司教に目をつけられたのはまずかった。

 青年の屈託のない笑顔だけ見れば、司教とともにアレクシスを脅し、喧嘩騒動を起こしたと誰が信じるだろう。

 ジェイド司教よりなお質が悪いので、少々強めの威力で水を頭から被せる。

 派手に濡れた聖騎士グレンがぶるぶると首を振ると、燃えるような赤髪から雫が飛ぶ。

「はー涼しー」

 もっと強くやればよかったかな……。


「あ、おーきに」

 気持ちよさそうにしている聖騎士グレンに、シスター・コレットがしゃがみ込んでおずおずと自分のハンカチーフを差し出した。

 シスター・コレットの足元には薬箱が置かれており、ガブリエラがああ、と納得したような声を出した。

「さっきから姿が見えないと思ってたら、あれを取りに行ってたんですね~」

 ジェイド司教はまだ怖いのだろう。私に薬一式を渡してシスター・コレットは聖騎士グレンの傷口を優しく消毒し、打ち身で赤くなった部分に湿布薬を貼っていく。

 昨日に続いて今日も調査団のせいで怖い思いをしているはずなのに、親切に接することができるのが不思議ですらある。

 私なら絶対どさくさに紛れて傷口に消毒液を強めに塗り込むし、湿布薬を貼るときにわざと力を入れる。現に入れている。


「いっ、てぇ……! おい今わざと力入れたろ!」

「嫌ですわ。そんな訳ないじゃないですか」

「あだだだ! てめぇ本当に後で覚えてろよ……! 伯の娘でさえなければこんなやつ……」

「? 父とはお知り合いで?」

「あ? お知り合いも何も──」

 ジェイド司教の言葉は突如大きな悲鳴に遮られた。


「な、何?」

 確認する間もなくシスター・コレットが私の背中に回った。

「え、そんなびっくりせんでも」

 目を丸くしながら聖騎士グレンが困ったように頬を掻いた。


「グレン殿……」

「俺も見たぞ。今のはお前が悪い」

「へ、何が?」

 アレクとジェイド司教の指摘を受け、聖騎士グレンが頭に疑問符を飛ばしている。


「コレット、シスター・コレット、どうしたの?」

 シスター・コレットは何も答えないが、ぴったりとくっついている背中から彼女の動揺が伝わってくる。

 ジェイド司教の手当てをしていたので私は何が起こったのか見ていないのだ。

「グレン様」

「普通にグレンでええよ。俺堅っ苦しいの苦手やし、様とかつけんといてマリアちゃん」

「……ではグレン卿と。卿、一体シスター・コレットに何をしたんですか?」

「ええ、俺が悪いこと前提なん? 前髪長くて邪魔やないんかなーって触っただけなんやけど」


 思わず眉間に皺が寄っていく。

 グレン卿本人にとっては純粋な疑問だったのだろうが、大問題である。

 今後グレン卿が同じことをしないとも限らないから、ここは女性として私から注意するべきだろう。

 シスター・コレットを背に隠しながら咳ばらいをする。


「つまり卿は女性の髪に断りなく触れたと?」

 私の言葉でグレン卿は自分のしでかしたことを理解したらしい。ひらめいた、といわんばかりに手を叩いてからシスター・コレットに謝罪する。

「あ、そら俺があかんわ! すまんなコレットちゃん」

 シスター・コレットは背に隠れたまま無言を貫いている。

「うーん、嫌われてしもうた」

 グレン卿は苦笑いしているが、もう少し反省してほしい。


 その後ジェイド司教とグレン卿は互いに肩を貸しながらふらふらと医務室に向かった。

 方々に迷惑をかけたことがラピス大司教の耳に入っているため、彼女の元へ戻る前に気絶させた警備兵や修道士をはじめとした人間に謝罪をして回るようだ。

 おかげでしばらく忠犬から解放されることになったアレクシスは肩の荷が下りたような表情で仕事に戻っていった。

 魔力切れでふらふらの状態だったので私の魔力を分けたが、私とアレクシスは固有マナの相性の関係か変換効率が悪いので気休め程度にしかならなかった。


 そしてシスター・コレットと修道院に戻ると、シスター・イレーナが恋する乙女の顔をした若い修道女たちに追いかけられていたのはまた別の話。


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