21.飼い犬の手綱は握ってほしい
「つまり、スカウト?」
私の隣を重い足取りで歩くアレクシスが頷いた。
二人で旧礼拝堂を後にしたはいいが、調査に戻ろうとするアレクシスの哀愁漂う背を見ていられず、何とか口を割らせたのだった。
アレクシスを優秀だと判断したラピス大司教に人を見る目があるのは確かだが、問題は大司教の部下の方だ。
「まだ返事をした訳でもないのに、お二人が僕の異動が前提で話を進めているのが怖い……」
小姑よろしくジェイド司教とグレン卿にいびられたアレクシスは委縮しきっている。
もしラピス大司教の部署に異動すれば、考えていることや疲れが顔に出ないのをいいことにジェイド司教の無茶ぶりが増長して馬車馬のように働かされるに違いない。
しかもラピス大司教も自身の権力で管轄の違う奇跡の調査に割り込むなど、中々に強引な手段を取る人間だ。
アレクシスの能力ならば問題なく対処できるだろうが、苦労するのは目に見えている。
「嫌ならきちんと断らないと駄目よ」
「……あぁ」
「もう! それができれば苦労しない、みたいな顔しないの!」
「え、今顔変わりました?」
ガブリエラがまじまじとアレクシスの顔を見つめて首を捻った。
一目瞭然とまではいかないが、何となく分かりそうなものだが。
修道院の側に差し掛かると、慌てた様子のシスター・イレーナとすれ違った。
辺りが何やら騒々しく、教会前の広場に人だかりができている。
どうしたのだろう。
金属がぶつかるような音が聞こえるが、野次馬が多すぎて私には何が起こっているのかよく見えない。
彼らも好奇心で囲んでいるというよりは皆一様におろおろと狼狽え、どう対処したらいいのか分からないといった様子だ。
「聖女様、私ちょっと見てきますね!」
ガブリエラが前方へ飛んでいく。うずうずした表情は野次馬そのものである。
「アレク、何か見える?」
長身のアレクシスならば騒ぎの中心が見えているのではと期待して尋ねる。
「……僕も噂でしか聞いてなかったが、まさかここまでとは……」
「ちょっと、勿体ぶってないで教えなさいよ」
感嘆の声を上げたアレクシスの服の裾を引いていると、ガブリエラが血相を変えて戻ってきた。
「大変です聖女様~! 決闘、いえ喧嘩です! あのジェイドという司教とグレンという聖騎士の!」
「け、喧嘩ぁ?」
およそ教会で耳にするとは思えない単語に私は目を丸くする。
「ああ。総本山ではジェイド先輩とグレン殿の不仲は有名でな。しょっちゅういがみ合っては勝負をしているらしい。部署が違うから僕も実際に見たのは初めてだが……」
アレクシスは周囲の声で私が喧嘩と判断したと勘違いしたようで、ご丁寧に説明を加えてくれた。
総本山の治安が心配になる。ラピス大司教もしっかり飼い犬の手綱を握ってくれ。
大きな音とともに警備兵が人だかりに向かって吹き飛ばされ、野次馬が散り散りになる。
ようやく騒動の原因を目視で確認できたが、広場の真ん中でロングソードを手に向かい合っているジェイド司教と聖騎士グレンの太刀筋は確かに試合や決闘というよりも喧嘩と称した方がいいほど荒々しく、勢い任せであった。
二人の周りを警備兵がまばらに囲んでいるが、止めようとしたのであろう警備兵や修道士がすでに何人か伸びているためすっかり及び腰である。
剣同士が激しくぶつかり合う度に高く澄んだ鋼の音が鳴り、弾かれて互いに距離を取ってはフェイントや足払いを交えての剣戟には惚れ惚れするが、なぜジェイド司教は聖騎士であるグレン卿と互角なのだろうか。
「聖女様、あれ!」
二人の鍔迫り合いに感心していると、ガブリエラが広場の奥の方を指し示した。
見ると広場の奥で倒れている警備兵の横で、シスター・コレットがしゃがんだまま頭を抱えて震えていた。
「アレク!」
私がシスター・コレットの方を指さすと、アレクシスも気がついたようで僅かに目を瞠る。
剣を対峙させている二人とシスター・コレットとの間には距離があるが、競い合っているうちに剣の間合いに入ってしまう可能性や、鍔迫り合いの中で剣が弾かれシスター・コレットに飛んでいかないとも限らない。
「ラピス大司教様がいらっしゃるのを待つより、止めた方がいいかもしれないな……」
そうしている間にも二人とシスター・コレットとの距離が縮まっていく。
私はとっさに近くにあった桶を掴み、水が入っていることを確認する。
打ち合う二人に水を掛けるには近づかなければならないが、私には関係ない。
「直進せよ、水塊!」
詠唱とともに桶の水がジェイド司教とグレン卿の顔めがけて飛んでいく。
威力は加減したし、これで二人の頭も冷えるだろう。
しかし私の予想とは裏腹に、二人が動きを止めたのは一瞬だけですぐに戦闘を再開した。
「嘘でしょう!?」
鋼を叩きつける音が響き、シスター・コレットが悲鳴を上げる。
「どうすれば……」
いっそあの二人の周りに火柱でも発生させて身動きを取れなくしようかと考えていると、アレクシスが私の前に出た。
彼が大きく息を吸うと、周囲のマナがざわつく気配が伝わる。
「星の力の前に跪け──」
「え、その詠唱って……!」
剣を振るう二人の足元に魔法陣が現れ、突然その場に崩れるように膝をついた。
「一体何が~!?」
ガブリエラをはじめとして、私以外は何が起こっているのか理解していないようだった。
「すごいじゃない! 重力魔術なんていつの間に覚えたの?」
「君が昔読んでた魔術書を見よう見まねで……。…………駄目だ、あと二十秒ともたない」
「ええ!? コレット、走って! 早く!」
私の声でシスター・コレットが弾かれたように顔を上げ、立ち上がると一目散に駆けだした。
シスター・コレットが私の懐に飛び込んだところで二人の足元の魔法陣が消え、術が解けた。
これで一安心と思っていると、ゆらりと立ち上がったジェイド司教とグレン卿の様子がおかしい。
「おい、今の術誰がやった?」
「邪魔するのは構わん、けどなぁ……」
先ほどまで鬼気迫った雰囲気であったのが、殺気にまで変わっている。
「俺を、ラピス様の前以外で跪かせたな……!」
「俺に、ひぃさんの前以外で膝ぁつかせたな……!」
二つの声が重なり、二対の瞳が私とシスター・コレットに向く。
どうやら膝をつかせたのは彼らにとって相当な屈辱だったようだ。
その相貌はもはや忠犬というより狂犬である。
私が怯えるシスター・コレットを抱き締めると、二人の視線を遮るようにアレクシスが私たちを背で庇うように立つ。
重力は土属性の最上級魔術だ。それを自己流で発動させたアレクシスは、魔力切れで立っているのもやっとのはずなのに。
「どけ、アレクシス」
「……お断りします」
「別に女の子に手ぇ上げるようなことはせんよ。ちょーっと釘刺すだけやって」
「お断りします」
「そうか。なら……お前からだ!」
二匹の狂犬がアレクシスに飛び掛かろうとした瞬間、一陣の風が吹き、影がよぎった。
影が二人の前に躍り出ると、グレン卿が遠くへ吹っ飛び、ジェイド司教がひっくり返って倒れた。
あっけに取られていると、地面に伏して呻く二人を凛とした声が一喝する。
「グレン! ジェイド司教! 神聖な地で私闘とは何事ですか!」
私たちの窮地を救ったのは、箒を地面に突き立て狂犬を仁王立ちで見下ろすシスター・イレーナだった。




