四章六節 - 夕暮と山吹の羽根
「君を安心させたいから」
与羽の低い声にも動じることなく、ほほえみを崩さない辰海。
「――というのはきれいごとで、この方が君の怒る口実が増えていいでしょ?」
「…………」
「怒っていいよ。嫌でしょ? この本。歴代の城主が憎くなるでしょ? 中州なんて――って思うでしょ? ……自分が、嫌いになるでしょ?」
辰海は与羽の心を見透かしたようにまくしたてた。
与羽は怒らなかった。もし、怒る口実云々の話がなければ確実に激昂していたが、辰海はそれも把握していたのだ。
「あんたは、これを知っとったの?」
怒る機会を逃し、与羽は弱々しく問いかけた。
「そうだね」
辰海は笑みをひっこめ、淡々と答える。
「なのに、なんでそんなに普通に過ごしていられるの?」
「中州が大事だから」
「中州が大事でも、やっていいことと悪いことが……!」
与羽の言葉が途切れた。
辰海が与羽を抱きとめて支える腕に力を込めたのだ。与羽の背に、見た目よりも広くがっちりとした胸板が押し付けられている。
「ごめん、語弊があった。城主一族が大事だから」
辰海は与羽の肩越しに、墨表紙の歴史書をめくる。
「これをやったのはほとんどが古狐だ。中身は、城主一族がやったみたいに書いてあるけどね。中州のためには必要と頭でわかっていても、決断できなかった城主に代わって僕たちがやった」
辰海は『古狐』ではなくわざと『僕たち』という表現を使った。
「城主一族は、皆やさしいから。気づかれないように、嘘でごまかしながらこっそりと――。君はやさしいよ。乱舞さんも、翔舞さんも、舞行さんも。皆やさしい。
僕たちは、君たちがその穢れないやさしさで国を治められるように、いろんな国に間者を放って、情報を集めて、時には拷問、暗殺――、そんなこともやったんだ。城主一族が知ったら、今の君みたいに怒るのは分かっていたから、こっそりね。
だから未だに中州の隠密は城主一族じゃなくて森の民の管轄でしょ?
そしてそれを、後の古狐にも引き継げるように、黒表紙の歴史書にしたためていった。
そう、最初は古狐だけの秘密だったんだよ。僕たちは『古狐』だからね。ずる賢くて、残酷だ。
そして、僕たちにとって中州城主一族は全てだ。僕たちの存在する意味なんだよ。
僕たちはみんな、君たちを守るために存在している。
君たちに危害を加える奴がいたら、本気で排除するよ。手段は問わず。たとえ昨日まで一緒に中州を守る同志だと思っていた相手でもね。
異常なまでの忠誠心。古狐はそんな家系なんだ。
責めたければ、責めてくれて構わない。覚悟はできてる」
辰海の腕は、震えていた。与羽に否定される恐怖と覚悟で。
――それでも、僕は君を守る。
辰海は心の中で付け足した。
――陰から君を見守って、君を傷つける奴が現れたら排除する。そして、君が死ぬときはそれに殉じる。




