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関東騒乱(後北條五代記・中巻)  作者: 田口逍遙軒
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平井の憲政

 河越城代として大道寺盛昌を入れてから北條軍本隊が小田原へと凱旋して間もなく、武蔵は滝山城主大石定久と、同じく武蔵は天神山城主藤田重利(康邦)が小田原へ参陣し正式に配下となった。

「最早上杉家の衰退は目に見えた。あの大石殿と藤田殿まで小田原に帰順しておるのだ、これよりは我らも小田原殿の元に出仕仕ろう」

 そう呟いたのは武州忍城に蟠居する成田氏のみでは無かった。翌年の天文十六年になると成田氏に続き武蔵多摩・入間領主で勝沼城主の三田氏が小田原に帰順。上野の国でも国峰城主の小幡氏、伊勢崎の那波氏、舘林の赤井氏と、数多くの上杉氏配下の将達が小田原へと雪崩をうって帰順が始まった。

 これに対して主だった山内上杉憲政の配下は、身内の庶流上杉氏の他、箕輪城の長野業正、太田金山城の由良成繁、岩付城から憲政へと臣従していった太田資正等が残るのみで、このころから目に見えて上杉家の没落が加速を始めていた。

 そして小田原へと凱旋した氏康は、義兄弟である足利晴氏の寄る古河城に攻め寄せて後顧の憂いを断つ事も考慮に入れ、自らの考えを纏めるために評定衆筆頭の松田盛秀を書院に呼んでいた。

 その盛秀が渡り廊下から書院の濡れ縁に差しかかったとき、その濡れ縁に氏康が座っているのが見えた。物憂げな目は枯山水に向いているようだ。

「御屋形様、お呼びとの事で盛秀、罷りましてございまする」

 庭を眺めていた氏康の目が盛秀に流れると、うむ、と、鷹揚な声を出した。

「よう来た。まずこれに入れ」

 そう言って氏康は立ち上がり、自ら先に畳敷きの部屋に入ると盛秀を手招いた。なんとも気楽そうな雰囲気である。

「そちを呼んだのは儂の考えを纏める相手になってもらう為じゃ。これから話す事に何か思う所あれば忌憚なくものを申してくれ」

 盛秀は氏康の前に着座し形式通りに平伏したのだが、面倒そうに手の平を左右に振りながら氏康はそれを遮った。

「今はそれは良い、そこに気楽にぽんと座り、座興と思って儂の話に乗れば良いのだ」

 鯱鉾ばらぬ考えを聞きたかったのだろう。

「まずは儂の独り言じゃ、聞いてみよ」

 そう言うと前半に差した扇を取り出してばかりと開き、二、三度煽いでから咳払いを一つ吐いた。

「古河の義兄弟である晴氏公は先の河越の戦で我が北條を窮地に追い込んだ。これは明白な事。よって古河城を攻めてこれを落とさねばならぬのが今の我が立場」

 ここで一息つくと扇を前半に差しこみ盛秀の畏まった顔を眺めながら話を続けた。

「これが本筋。そしてここからじゃが、河越での公方の動き、これをこのまま捨て置くことは再び関東の乱れの元ともなろう。したが如何様に公方を扱うか考えておるのだが、盛秀、そなた、何か良い知恵はあるまいか」

 そう話し始めた。古河城を落とす。今の北條家にとっては造作も無い事であろうが、事はそう簡単ではない。いくら河越城を落とし、松山城、石戸城を落としたからと云って、関東の豪族はそれだけではない。公方の配下は下総・上総・常陸・下野にも及ぶのだ。ここで下手を打つと一挙に武蔵は敵に変わるだろう。

 書院から見える白い玉砂利の枯山水は昔から変わる事無く佇み、静かな時の流れを刻んでいたが、この世の流れは目まぐるしい。

「まことに。此の度の公方様の動きは北條家を死地に追い込む程の裏切りとも言えましょう」

 しかし、と盛秀は言葉を続けた。

「この勢いのまま古河の公方様を攻める事はなりませぬ」

 この盛秀も流石に小田原の評定衆を務めるだけあって関東の豪族の要である公方をそう簡単に処罰しては土地の豪族の反感を買うことになり、折角の武蔵の領地を手放すことにもなりかねないと危惧したのはなかなかの政治感覚とも言える。

「で、あろうな」

「したがこのまま放っておく訳にも参らぬとの御屋形様のお考えもまた道理にござる」

 氏康の腹を読んでいた盛秀。その言葉に物憂げな笑みとため息を吐く氏康がいた。

「やはり諫言状が最も良いかのぅ」

 古河の公方家には氏綱の代から幾度も諫言状を送っているが、それに懲りてなりを顰めるのはほんの僅かなひと時のみで、すぐに裏切り行為を始める前歴がある。最早諫言状を形だけ送ってみた所でもどうにもならぬと考えている所でもあったのだ。

「いえ、此度も諫言状だけで良いかと思われまするぞ」

 氏康は物憂げな笑みを消して、おや?といった顔つきになった。この盛秀、自分には思いもつかぬことを思いついたのか。

「先の合戦で扇谷上杉家は滅び、山内上杉家も与力の豪族達が挙ってその元を離れ小田原に帰順しておりまする。故にこれも最早風前の灯火でござろう」

 公方の話をしておるのに何故上杉なのだろう、盛秀の言葉に少なからず疑問を持った。

「うむ、上杉はこのまま何もせずとも自壊するであろう。しかし今の相手は鎌倉殿(古河公方)ぞ」

「はい、そこでございます。今後は両上杉を公方様は頼る事が出来なくなり申した。これで公方様に勢いは無くなったも同然にございましょう、しかもあの大軍をもってしても河越の城を攻めきれなかった古き権威には、最早関東の一揆衆や譜代の奉公衆、寄り子共も頼むに足らぬ人となったでございましょうな」

 氏康は成程とも思うのだが今一つ腑に落ちなかった。

「それだけがもとか?」

 話を先に進めるように促すと、盛秀は「左様」と一言の後、若干身を乗り出して小声になった。

「公方様には諫言状を指し出し、同時に芳春院様と公方様の御子、梅千代王丸様のご機嫌窺いをさせよと申し出るのでございます。さすれば、如何に公方でも自らの退位を暗に迫られたと思うでござろう」

 氏康は膝をぽんと打った。

「成程、それは気付かなんだわ、うむ、流石盛秀じゃ」

 合点の入った表情は明るかった。公方を脅し、これ以上北條に歯向うと力づくで退位を迫るぞとの意思を伝える事が最良の判断とも云える。これは後々意外な結果をもたらす事になるのだが、それは後の話。

 これで氏康の公方晴氏に対する処置が決まり、即日諫言状をしたためると、宛先を奏者梁田晴助として軽部豊前守を下総は関宿の城へ遣わした。むろんその諫言状には特にこれと云って領地の割譲や人質の差し出しを要求した文言は書かれてはいない。ある意味これは公方に譲歩する氏康の最後の温情でもあっただろう。



 武蔵で河越夜戦が行われたころ、甲斐武田家も信濃侵攻を本格化させていた。

 天文十五年五月三日、武田晴信は甲州軍を引き連れ、信濃は佐久の海ノ口に着陣。そこから五里ほど北に軍勢を進めて前山城に布陣させると、そこより二里半ほど東にあった大井貞清・貞重親子の籠る内山城を攻めた。

 数日間は城を守っていた大井親子だったが、落城は目前だった為に小笠原氏を仲介に立て、二十日までに内山城を開城すると、自らは前山城の目と鼻の先にある野沢城(伴野氏館)に蟄居したが後に降伏。翌年五月四日に躑躅ヶ崎館に出仕して臣従した。

 さらに晴信は、同佐久郡にある笠原新三郎清繁が籠る志賀城攻めを開始した。

 天文十六年七月に大井三河守を先発隊として軍を発行し、晴信の率いる甲州軍本隊は十三日に甲斐を出陣、行軍七日目に医王寺城に入り志賀城と対峙する。

 この武田勢の侵攻を受けた笠原清繁は独力での抵抗が難しいと考え、上野は平井の上杉憲政へ援軍を頼んでその管領の兵を以って抵抗する作戦を立て、武田勢が城を囲みきる直前に援軍要請のための早馬を出していた。

 その笠原清繁の使者が上野は平井の城にやって来てからは平井城の大広間では喧々諤々の論議となっていた。

 平井の城に出仕していたのは菅野大膳と上原兵庫助、更に長野業正・太田資正である。

 中央に上杉憲政が座り、近頃憲政に取入った菅野大膳、上原兵庫助が憲政の左右に座っている。

 この二人は憲政に甘言を用いて重用された悪臣として知られていたので長野業正、太田資正は渋い顔で二人を睨んでいた。

「さて」

 笠原氏の援軍を切りだしたのは主憲政だった。

「我が管領の家を頼って信濃は佐久の笠原清繁がやって参った。これに答えてやらずば管領家として世に辱めを受けよう」

 その言葉を聞いた菅野大膳。

「ごもっともにございます、先ごろの河越での負け戦の汚名を返上するにはこの戦で勝つ事が何より。この援軍の求めは神助ではありますまいか」

 そう憲政の言葉を後押しすると、それに上原兵庫助も続けた。

「ここは御屋形様の御武威を現わさんがため、再び上野の大名・豪族に号令をかけて武田晴信を討ちましょうぞ」

 自らの言葉に是をくれた二人に満足げな顔をした憲政を見た業正、青筋を浮かび上がらせていた。

「この佞臣めらが戯けた事を申すな! 何が神助か!」

 老年の武者は菅野大膳を睨み、今にも首を打ち落としそうな面構えになっている。

「つい三月ほど前に河越の戦から這う這うの体で逃げ帰り、あまつさえ上野の大名達が小田原に参陣しはじめた今、管領家の痛手を癒さぬままに打ち出してみよ。兵は思うままに集まらず、上野の大名達も我が身が大事となり物の役には立たぬぞ」

 この怒号にやや押された感の菅野大膳、自尊の心を痛く傷つけられたようだ。

「成程、では御老体は笠原の援軍は断るべしと申されるのだな。助けを求めるものの声に耳を塞ぎ、管領の家に恥をかけと、そう申されておられるのか」

「槍を合わせるだけが能ではない無いと申しておるのだ。傷の癒えておらぬ今を以て兵を繰り出しても援軍の役には立たぬ。矢止(停戦)の仲介をして双方を退かせる事こそ肝要だと申しておる」

 これを聞いた上原兵庫助が業正の申し出を鼻で笑った。

「これは、何時から御老人は腰ぬけになられたか。そのような弱腰で如何される、管領家は弓矢を取ってこその管領家である。また管領家の号令を聞かぬものなどあろうはずがないわ」

「その方達は上杉の家を取り潰すつもりか」

 資正もこの菅野と上原の言葉を聞いて腹に据えかねた。

「業正殿は先の戦で足腰の弱った上杉の家を戦から守ろうとしておるのが何故わからぬ」

「外様の分際で何を無礼な事を言いおるか」

「外様とは何事じゃ! 我が太田家は元はと言えば扇谷上杉家の家宰の直系。山内の家祖、憲実殿の頃には上杉宗家の名代でもあった扇谷持朝公の臣としても弓矢を取った家柄じゃ。上杉の家を思う心に偽りは無いわ」

 資正の言葉に、チッと口をならした上原は不服げであった。

「上原、己は先の合戦で三千に及ぶ将兵を失った事をよもや忘れてはおるまいな」

 上原は資正に押し切られるのが余程不服だったのか、ぶつぶつと口の中で呟いた。

「その三千を失った戦の恥を雪ぐのがこの援軍じゃ」

「戯けを申すな」

 膝を立てて上原に詰め寄ろうとした資正を見て、慌てて手で制した憲政が口を開いた。

「まぁ待て待て、双方の言い分は分かるが、儂は援軍を出す事に決したぞ」

「何故にござる」

 今度は業正が血相を変えて憲政に詰め寄ると、憲政は慌てたように後ろに摺り下がった。

「儂には大膳の言い分が正しく思うぞ、そちの言う矢止の使者も良いが、やはり管領の家は弓矢をもって由とする」

「ならば」と、業正も資正も着座し直した。

「御屋形様がどうしてもと言われるならば最早止める事は致しませぬ。しかしゆめゆめ御油断めされるな」

 菅野大膳と上原兵庫助はふんと鼻を鳴らし、見下した様に一瞥をくれていた。

「ではわかってくれたのだな、これで安心した。では業正、そちが儂の補佐をせよ」

 如何にも安心した風の溜息を吐き、冷や汗を拭いながら笑みを以って業正に命じたのだが、業正からの返事は否であった。

「それは御断り申す」

 一瞬の沈黙が訪れた。

「なんと、申した?」

 憲政は業正の言葉を信じられぬと云った面構えになった。

「それがしは御屋形様に戦を止めよと申し上げたのですぞ。ならば止めよと申した臣に戦の采配を執らせるよりは」

 それ、そこにおる、と顎をしゃくって見せ、「両隣りの重臣共に御命じになれば宜しい」と菅野大膳と上田兵庫助を指名した。

 これに驚いたのは菅野大膳と上田兵庫助だった。

 この二人、憲政の重臣として高録を食んでいるものの未だかつて前戦に立ち兵の指揮をした事がないのだ。

 今の高録を食む立場になる前は文官として憲政に侍るのみで、戦場に出る事は殆どなかった。稀に戦場に駆り出されても荒子数人を引き連れた騎馬身分程度だったので、組頭の元に組織される人数で戦場を走り回った程度の経験しかない。基本的には戦場にあっては指揮をされる側だった。

「な、なにを言うか業正殿、御屋形様の御下知であるぞ、神妙に受けられよ」

 上ずった声の大膳の言葉は聞くに堪えない滑稽さを含んでいる。顔も赤く紅潮させて今にも泣きださんばかりの表情になっていた。

「大膳! 己も憲政様に仕える大録の身なれば事この場で人を蹴落とさんとしよう程に戦場で働こうと言うものぞ。それが主持ちの侍である。うろたえるでないわ!」

「如何にも。大膳殿が申された外様のそれがしが聞いても女々しきうろたえぶり。隣の上田殿があれほど管領家の弓矢を以って義を示すと申されておったではないか、自ら矢面に立つとの言葉も出て来ぬとは。情けなき限りじゃ」

 業正と資正の言葉に耳たぶまで赤く染めた大膳、握りこぶしを膝の上で握り、恨みがましい目で二人を睨んだ。隣の上田兵庫助も大膳と同じく戦場での指揮の経験は無い。ひたすらに自分にお鉢が回って来ないように目を合わせない仕草はどこか浅ましく見えるものだ。

 大膳が決断するまでは暫し時が必要に思われたので、目を合わせようとしない隣の上田兵庫助にもお鉢を回した。

「兵庫、己はどうじゃ。大膳の申した、助けを求めるものの声に耳を塞いで管領家の恥はかけぬとの言葉、これに是を加えておったな」

 上田兵庫助も冷や汗をかき、襟元がなにやら湿っぽいようだ。

「いや、それは話の筋を申したまでで、誰が兵を束ねるかまでは……」

 今にも消え入りそうな声で反論を試みるのだが、業正の声に討ち消されてしまった。

「何をぐずぐずと申しておる。己らが憲政様に申し出たことじゃ。見事管領上杉家の旗を立て笠原新三郎清繁を助け参らせ義を見せて参れ」

 この業正、資正にやりこめられている大膳、兵庫の二人を見ていた憲政は流石に不憫になったのか、助け舟とも云えぬ助け船をだしてしまった。

「業正、そこまで言わんでも良かろう。大膳も兵庫も大録を食む武士、自らの家臣の手前もあろうで此の度は菅野と上原に先陣を命じる。良いな」

 これで最早後に退けなくなった菅野と上原、自らが招いた災難とは云え、ぐうの音も出す事無く黙り込んだ。

 しかしこの憲政の助け船を見た業正も心底打ちひしがれたように悲しみを湛えた顔になった。

(もはや憲政様は頼む人に有らず。管領上杉家はこの代で滅ぶか)

 業正としてはこの危うき綱渡りを何としても止めさせ、対北條戦に備えて管領家の力を蓄えておきたかったのが本心である。それが結局は二人の佞臣の言葉に祭り上げられてしまい戦に踏み切る決断をしてしまったのだ。これを原因として、憲政から業正の心は完全に離れ、次第々々に遠ざかって行く事になった。

 憲政はそんな事とはつゆ知らず、まずは麾下の将、上野は菅原城主の高田憲頼親子を援軍として差し向け志賀城に籠らせた。それに合わせて西上野の国人衆に号令をかけ、志賀城救援の軍勢を催した管領軍の数は凡そ二万。

 疲弊した管領家と言えど、管領の権威はまだまだ健在の様だった。

 そして武田軍では、七月二十四日になると志賀城の包囲を始め、比高差百七十米程の小高い山上にある城の周囲の水の手を押さえた。籠城戦寄せ手の常套手段だ。

 しかし東西に細長く作られた古式城郭の志賀城には、所々に井戸が掘られており水の蓄えは万全。城攻めは長期化の様相を呈していた。

 この様な小城など幾日もかからず落とせると踏んでいた晴信だったが、八月に入っても落とせずにいたため、これが晴信の癇癪を破裂させたようだ。

 そうこうしている間に管領の軍勢が碓氷峠を越えて小田井原に着陣したとの報が晴信の耳に入ると、武田の軍勢を二手に分けて、一方を志賀城包囲に残し、もう一方を管領勢に向かわせねばならなくなった。これが晴信の癇癪を更に刺激した。

 管領勢に向かった武田の将は板垣駿河守信方、甘利備前守虎泰、横田備中守高松たかとし等である。

 双方睨み合いが続いたが、八月六日の日の出と共に押し太鼓が鳴り響き双方入り乱れての大合戦となった。小田井原合戦の始まりである。

 ところが数では武田勢を圧倒していた管領上杉勢であったが、軍の総指揮をしたのが菅野大膳と上原兵庫助だ。武田勢をどう攻めるかの下知も無いまま攻め寄せられてしまい、前戦では西上野の将達が個別に武田勢に当たらなくてはならない状態に陥ってから激闘一刻余。

 上杉勢は大将首を十五、雑兵三千を討ち取られていた。

 先の河越の合戦で威信を失墜させていた憲政であったが、この志賀城後詰の小田井原合戦までも武田勢に敗れて更に威信を失墜させてしまった。

 この管領の軍勢を敗走させた晴信は、その討ち取った首を六日の夜間に全て志賀城から見える位置に棚を設えてそこに並べさせ、城兵の士気を削ぐ行動に出た。

 本来、孫子を敬愛していた本来の晴信であれば「戦わずして人の兵を屈するは善の善なり」を地で行く、戦わずに勝つための策を弄したのであろうが、此の時は余程虫の居所が悪かったのだろう。八月十日には人が変ったように志賀城を攻め立て、外曲輪二の曲輪を落として火をかけた。

「残るは一の曲輪のみ、一度に攻め寄せよ」

 一の曲輪に籠っていた笠原清繁と上野からの援軍高田憲頼は寄せる甲斐勢をよく凌いだが、翌十一日、討ち取られて城は落城した。

 笠原清繁は萩原屋衛門に、高田憲頼は小井弖越前守に討ち取られたとある。

 城を落としても晴信の虫の居所は治まる事が無かった。

 この志賀城攻めでの常軌を逸した晴信の佐久への対処が、後々の佐久攻略に影を落とす事になる。

 まず志賀城に籠った城兵三百を討ち取ったあと、城に籠っていた城下の百姓や小者、下男下女など全てを生け捕りとし、親類がある者は銭十貫文で身受けさせ、縁者の無い者は、男ならば黒川の金山坑夫へと落とし、女ならば金山坑夫相手の娼婦として売られ、運が良くても奴婢扱いで各地に売りさばかれたのだ。

 この武田信玄の稀に見る佐久への大弾圧は何が原因だったのか。それは詳しくはわからないが、この後の晴信と佐久国人達の報復と弾圧はいつ果てるとも知れずに続く事になった。

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