松山城と石戸城
多目元忠の貝の音によって北條勢全軍が長野業正勢の追い打ちを止め、松山城に引き上げてきた。戦に勝を治めた軍勢は足軽の端々に至るまで嬉々とした表情を見せている。
軍勢は笹曲輪と一の曲輪を西に迂回し、惣曲輪の滑らかな堀切を見ながら北に伸びる春日曲輪、三の曲輪を越え、北の追手馬出し曲輪に入っていった。
「これは中々の結構であるな」
その中軍に馬を打たせていた氏康の表情も明るい。つい先日までの絶体絶命の包囲網を打ち崩した安堵感は一入だったろう。
引き連れた兵のうち三分の一を北の根小屋曲輪や北曲輪、残りの三分の二を東の外曲輪へと入れ終わると、氏康は自らの手勢と側近のみで本城へ入城した。
馬出し曲輪から追手門を入り急角度の登城道を自らの足で登って行く氏康、何か思う所があるのだろう、一人笑っている。
「中々に急な城への道だ」
市野川を南と西に掘りとして、そこから急な駆け上がりとなっている吉見丘陵の南を削って造られた松山城。関東では普通の土の城なのだが、各曲輪の間には深い堀が穿たれており、横矢の掛った各曲輪の防御姿勢は堅固で攻め手を中々寄せ付けるような作りではない。
「うむ、良き結構である」
氏康は城へ入ってから始終機嫌が良い。
土橋、木橋を渡って入る曲輪ごとに隅々まで見て回り、一刻程も過ぎただろうか。ようやく一の曲輪まで到着すると、そこに建てられていた御殿作りの建物の横に陣幕を設え、側近達と共に休息を取る事にしたようだ。
陣幕を張り巡らせ床几を並べる具足姿の小姓は中々に手際が良く、あっという間に陣幕を張り終わり、氏康と側近達は床几に腰をかけた。
昼前の雲ひとつない青空がまぶしい程に日の光が松山城を照らし出しており、周囲の吉見丘陵を覆う森の木一つ一つが萌え、淡く新しい緑が匂う様である。
床几に座った側近達の顔も満足げでどことなく心地よい疲労感を漂わせた表情だった。
その側近達を一回り見まわした氏康、「此度の勝戦、皆の働きはまことに天晴であった。暫しこの城で休息した後、河越の城へと戻る事にしよう」と労いの言葉を吐いた。
この言葉で空前の大合戦となった河越合戦は終結を迎えた。
「ただし、敵が八万、味方が八千の劣勢の人数で打ち勝つと云った試しは古今例がない。もし今慢心を起こして気を抜かば必ずツキに見放されるだろう。物見の兵を多く出して用心だけは怠らぬようにせよ」
皆一様に合戦の終了にほっとした顔立ちになった。
唯一厳しい表情を崩さなかったのは多目元忠である。
「御屋形様」
上田朝直の使者を受けた多目元忠は、先ほど攻めてきた長野業正と伏せ勢として何処かに居たと伝えられた太田資正の事が気にかかっていたようだ。
「元忠か、どうした」
「先の城受け取り検分の際、上田朝直の使者が参ったのですが、その者の言葉によると長野業正の部隊は囮であり、伏せ勢の太田資正の一隊が何処かに潜んでいるとの事、今宵は夜討があるやもしれませぬ」
元忠の言葉に氏康は笑っていた。
「さもありなん。したがよしんば長野と太田が取って返したところでこの松山の城を固めておけば手も足も出まいぞ。まぁ寝返った上田朝直のみにそれに当たらせる訳には参らんがな」
元忠はこの氏康の言葉に目を見開いた。
「上田との事、御存じでございましたか」
「知らいでか。上田朝直はそちとの約状で、憲政と別れてこの松山城に戻るのであろう」
「は、その通りにございまする」
元忠は自らが知らせてもいない事を氏康が知っていた事に度肝を抜かれたようだ。
「これはお知らせ致すのが遅くなり申した」
背中に冷たい汗を流した元忠だったが、氏康は特に気にするような素振りも無かった。
「よいよい。何れは上田にこの城を任せようと思う。したがこの後来るであろう太田や長野と当たらせてはどの様に情がでるやも分からぬ」
「御明察恐れ入りましてございます」
氏康は一回り居並ぶ近臣を見まわした。
「皆も疲れたであろう、ほんの一時ではあるが皆々休め。儂も休もう」
そう休息を促すと、自らが最初に立ちあがって小姓を引き連れ陣幕を離れ御殿作りの屋敷に入って行った。無論そこで休息を取るためではある。
屋敷の中に入ると二十畳程の居間が式台から上がった先にあり、畳が敷かれ小奇麗に掃除されていた。これは前城主、難波田善銀の几帳面さ故なのか。
半開きになった障子をからりと開けた氏康は、そこに入り小姓に具足の胴を外させ、そして小具足の形になると一人になるために小姓を居間から退出させた。
「何か急ぎの事があればすぐ様知らせよ。儂は暫し寝る」
余程疲労の度合いが強かったのだろう、そう言って畳に大の字で横になると、瞬く間に眠りに落ちて行った。
夢も見ずに眠ったようだ。
昼前頃、寝ていた氏康の耳に多目元忠の声が聞こえてきた。どうやら自分を探しているらしく、寝る前に締めた障子の向こうで大声を上げている。
「御屋形様、上田朝直殿がやって参りましたぞ、起きて下され」
足音も激しく屋敷の板敷きを踏み鳴らしながら近づいてくるのが、横になった体に響く。その足音がふと障子の前で止まった。
「御屋形様、お休みでございまするか」
目を開けていた氏康は笑いがこみ上げてしまった。
「元忠、あれだけの足音じゃ。眠っておっても起きぬわけには参らぬであろう」
障子の前で番をしていた小姓も含み笑いをしていたのを見た元忠、ばつが悪そうに咳払いをしていた。
「上田朝直殿が管領憲政殿と別れて、只今この松山城まで手勢を率いてやって参りました。お会いなされまするか」
障子がからりと開いたのはその問いが終わると同時だった。
「会おうぞ。三の曲輪に陣幕を設えてそこに通すように」
云い終わるや小姓を呼んだ。
「全軍に戦支度をせよと伝えい」
幾人かの小姓が颯っと屋敷を走り出で、残った小姓に寝る前に外した胴具足を運ばせると、それを着て氏康は足音を立てながら屋敷の板敷きを踏みしめ外に出た。急ぎ多目元忠も屋敷を走り出て氏康の後を追っていた。
「では某、早速に用意を致しまする」
元忠が三の曲輪に走り去ると、氏康は一人、屋敷の前に設えてあった陣幕に入り床几に腰かけた。
(上田がやって来たとなると、そろそろであるかな)
暫くすると氏康の陣触れを知った近臣達がばらばらと集まりだし、幾人かが陣幕に入って来たところで氏康は手早く下知を始めた。
「皆の受け持ちじゃ。康英は一の曲輪と笹曲輪、綱高は二の曲輪と惣曲輪、直勝は春日曲輪に入れ。三の曲輪には元忠を入れ、上田と見える為に儂も行く。影綱と盛昌、右馬亮は広沢曲輪を固めよ」
一息に人数の配置を告げた。そしておもむろに右手に持った鞭を水平にあげ、城の南側の笹曲輪から西まですっと回し場所を示した。
「あの辺りか、もしくは」
そう言って再び鞭を西から北に動かし、「あの辺りであろうな」
聞こえるかどうかの声でぼそりと呟いた。
この氏康が指示した方向を見ていた近臣達は、いま一つ要領を得ないように氏康を振り返った。
「兵を置く場所でござろうか?」
要領を得なかった諏訪右馬亮は顎を摩りながら氏康に確認した。
「左様、人数を各曲輪に入れよ。太田、長野は小勢故崖をよじ登り掘りを進んで戦を仕掛けて来よう。物見を多くばら撒け。ただし攻め寄せる頃合いは物音一つ立てぬようにせよ」
これで合点が行った近臣達が松山城内で慌ただしく動き始めた頃、挟撃が叶わなかった太田資正、長野業正の二人もまだ望みは捨てていなかったようだ。松山城西方面の森の中で兵を置いていた二人は元忠が危惧した通り、松山城に押し込む腹心算で出兵の準備を整えた所でもある。
「今なら氏康は松山の城に入り油断をしておりましょう。これより攻め入ってもう一働き」
「うむ、お若いとはいえ流石道灌公の流れ、資正殿じゃ。せめて一矢報い、松山の城だけでも取り戻そうぞ」
そう言いあうと手勢を纏め、午の刻を過ぎた頃合いでひたひたと進軍を始めた。
現在の市野川と市ノ川の合流地点の北吉見付近から川沿いに南下し、惣曲輪堀切の対岸近くまで寄せた所で軍を止める。市野川西側対岸から松山城を望み、城方を視認するのだが城は不思議と静かなものだった。
「勝ち戦に浮かれて午睡でもしておるのか?」
そう業正が疑い始めると、資正もそれに気がついたようで嬉々とした顔立ちになっていた。
「正に勝ち戦で油断しておるのでござろう、これは勝機が見えてござる。ならばそれがしは更に南の笹曲輪から崖をよじ登り一の曲輪を落としまする故、業正殿はここより堀切を静かに登って惣曲輪、兵糧曲輪を押さえて下され」
資正が一礼して自ら率いた部隊に帰って行き、そして資正が笹曲輪の攻め口に着いた頃合いで、この長野、太田の二部隊が足音を殺して崖を登り始めた。
物音を立てぬように忍び、北條勢に気付かれぬ様ようやくの思いで中腹まで取り付いたとき、各曲輪の淵土塁上が俄かに騒がしくなった事に先頭の兵が気付いた。
「なんぞ?」
崖に取り付いていた兵はそう思っただろう、登る手足を寸暇留め、じっと崖上を見上げた時、喧騒が消え一瞬の静寂が訪れた後の事である。
見上げていた崖の頂上、曲輪の淵土塁に結われた木柵の淵に、一斉に北條勢の弓隊が立ち並んだのが見えた。
「あっ」
一人、崖を上っていた足軽が声を上げた。
弓隊の指揮官である足軽大将がその声を聞き届け崖を見降ろしたとき、これと眼があった崖に取り付いている兵たちの心境は如何様なものであっただろうか。
足軽大将の目が数瞬間閉じた。これから死ぬ事になる敵に、哀悼の意を表したのであろう。
「放て!」
最初の一斉射に肩や顔、背中を射ぬかれた太田・長野勢はばらばらと崖下に転げ落ちて行った。
その後ろから登っていた者も幾人か巻き添えを喰らって落ちて行ったようだ。
これを見ていた資正は、初めの一斉射で頭に血が上った様で、遮二無二かかれ登れと味方に檄を飛ばすのだが、矢を番えた北條勢が再び崖下を望み、放ての声を上げる度に崖に取り付いた自らの兵が矢に射抜かれ声も無くばたばたと崖下に落ちて行く。
更に曲輪下に細く回された武者走りにも城方の足軽が走り現れ、各々手に持った瓦石を振り下ろし、拳大の石が崖をよじ登る兵の兜や鎧の上から雨の様に降り注いだ。
腕を打ち砕かれる者、兜をしたたかに打たれ気絶し落下する者、顔を潰された者、次々に崖下に落とされ絶命する者も少なくない。
これは業正の惣曲輪方面でも同じであった。
「無念じゃ、無念じゃ」
手勢が目的を果たせず、ひたすら敵勢に打たれる所を見る事しか出来ない資正は、額に青筋を立てながらそう呟いている。
崖を登る兵は手足が塞がっている為に反撃する機会も無いのだ。
半時も経たない間に資正、業正の兵は数少なに討たれていた。
「おのれ氏康め、この辱めは必ず晴らしてみせようぞ」
資正は歯噛みしながらそう吐き捨てて引き金を打ち鳴らさせた。
戦う事半刻の短時間であるが、意外なほど死傷者を出して太田資正と長野業正は上杉憲政の後を追って平井の城まで去って行った。
天文十五年四月二十一日の事である。
そして太田・長野勢が寄せて来た頃の三の曲輪では。
「本日の謁見、有難き幸せにございまする」
床几に腰かける具足姿の氏康に対し、深く首を垂れた、これも具足姿の上田朝直が平伏していた。
「うむ、此度の我が方への味方、嬉しく思う。また、この松山城に籠ろうとした憲政を口説き、平井に放逐したはその方の手柄じゃ。この氏康、その手柄忘れまいぞ」
朝直は深く垂れた首を更に低くした。
「これは重ね々々、有難きお言葉にございます」
「それともう一つ、今のこの騒ぎじゃ」
氏康は笹曲輪、惣曲輪方面での喧騒を聞きながら朝直に語りかけた。
「これは長野・太田の手勢よ。これも元忠に伝えてくれたな」
朝直は自らが兵を引き連れ、松山城に入城した直後にこの城攻めが始まったので長野・太田勢に付けられていたのかとの思いもあったようだ。
「これは申訳もござりませなんだ。それがしの後を付けて氏康の御屋形様との謁見の隙に攻めようとするとは」
「なに、その方の知らせによってな、こうは成っておる。心配せずともよい」
「身の竦む思いにござる」
この時一際大きく鬨の声が上がった。資正がかかれ登れの檄を飛ばした頃合いだったのだろう。その喧騒に平伏した朝直の肩がびくりと動いた。
「これより我が上田は北條様の寄力として力を尽くす所存にござるが、認めていただけましょうや」
「よかろう、ゆくゆくはこの松山城を任せる事にもなるかも知れぬ。気を抜かず仕えよ」
「有難き幸せにございまする」
再び首を垂れた朝直、喧騒が聞こえる度に何やら気になるようで、陣幕の内では外は眺められぬと知っておりながらも、ついその方を見てしまう。
先ほどまでの味方であった長野・太田勢の城攻めに何か思う所があるのだろう。
「如何した」
氏康がその朝直の仕草に気付き言葉をかけると、いやこれは。と平伏した体を更に縮こまらせる。
「今聞こえるあの騒ぎに思う所、あるのか」
はっと顔をあげて氏康を見る朝直。
「今朝方までの味方なれども、只今小田原様への御味方を申し上げたからには譜代の働きをせねばなりませぬ。お許しあらば我が兵を持って長野・太田勢へ討ちかかる事、お許し頂けましょうや」
その言葉の真意を確かめるような氏康の目が朝直を射抜いた。
自らの考えには一点の曇りも無しと言えども先ほどまでの味方に矢を番える者を、この氏康という男はどのように見るのか。
朝直の背中にはひやりと冷たい汗が流れて行った。
離合集散の浮草の様な男と見るか、それとも。
「まずは働け」
「は」
この氏康の働けの言葉に、朝直は一瞬であるが呆けた返事をしていた。
呑まれたと言っても良いか。
「それはお許しを得たと思って宜しいので?」
「まずは思うままに働いてみよと申しておる。人の思いは働きに如実に表れるでな」
朝直は零れんばかりの笑みを氏康に向けた。
「心得申した。なれば我が働きをとくと御覧遊ばされよ」
朝直は笑みを残して三の曲輪の陣幕を去り、氏康の許可を得て一の曲輪武者走りと兵糧曲輪武者走りに手勢を差し向けた。
あの瓦石を投げて長野・太田勢に打撃を与えたのは上田朝直勢だったのだ。
松山城の氏康の元にやって来たとき、上田朝直の手勢は指物を外していたために武者走りに走り出でた時には長野・太田の手勢に上田と知られることは無かった。
「ここで我らが働きを小田原様にお見せ致すのだ」
降りた将、朝直の働きが結果として長野・太田勢を退かせる事となり、この河越の戦を境にして武蔵にある北條に敵対する勢力は粗一掃された。
合戦の終わった未の刻(午後二時)を幾らか回った頃、三の曲輪にいた氏康の元に戦闘を終了した各将達が受け持ち場所の状況報告に集まり報告を始めていた。結果、一の曲輪と惣曲輪のみ兵が差し向けられていたようで、他に被害は無いとの報告だった。
「皆、苦労であった」
春の日差しは傾いたとはいえ、初夏に入る少し前。これから光量を一層強くしてゆくのだろう、次第に強くなって行く日差しに焼かれて甲冑の中では汗が流れていた。が、同時に風はまだ幾分冷めているようで、吹いてきた風が心地よく流れる汗を乾かしてくれていた。
「最早上杉に攻め寄せる力は残ってはおるまい、これより多目元忠を松山城代として後備えとし、上田朝直を与力としてつける。他の者は儂と共にこれより河越の城へ行くぞ」
この氏康の下知を受け、再び城内が行軍準備のために騒がしくなっていった。
上田を松山城にそのまま置いたのは、上田に靡くその手勢配下のみならず、松山城を拠点とした土豪・一揆勢も何れは北條に懐柔できるとの思惑もあったからだが、後日その思惑通りに松山衆と言われた武士団が北條家の元に組織されている、しかしそれはまだ先のお話。
軍勢を纏めた氏康は松山城から進軍を開始し、合わせて河越城に先触れを使わした。
もう一つ、上田の将を一人道案内役として借り受けてもいる。河越の城までには道案内は不要なのだが、氏康には思う所があった。
軍勢の殆どの者は松山城から河越城までの三里の道を、直接南下して行くと思っていたようだが、松山の城を出た直後に進む先を東に変えるための伝令が走り、先頭を行く大道寺の隊に氏康の下知が届いた。
「御屋形様からの御下知でこれより東に兵を進めよとの事にござる、合わせて道案内を先に立たせる故その者に付いて参るようにとの事にござる」
そう伝令が伝え終わると、時を合わせて昌盛の元に案内役も到着していた。
昌盛には寝耳に水であった。
「これより東に向かうのか? 何処に向かうのじゃろう」
昌盛の自問とも言える言葉を耳にした道案内の上田の何某と言われた将が答えた。
「小田原の御屋形様は石戸の城(砦)を見たいと仰せにござった」
「石戸の城と?」
「はい、これより東に二里程の所に扇谷上杉の砦、石戸の城がござる。岩付の城を攻め落とした太田資頼の籠った城にござるよ」
この言葉で昌盛は合点がいったようだ。
「そうか。その城に籠る者は誰じゃ」
「おそらく城番がおるのみで纏まった兵はおるまいと思われまする」
「成程、大物見であるな。御屋形様はこれでその城番を威圧して落とす事が出来れば武蔵での城を今一つ得る事ができると踏んだのであろう」
昌盛は豪快に笑いだした。
この石戸の城、現在の埼玉県北本市の石戸宿と云う所にあった城だ。
今は西に荒川が流れ、当時はこれが天然の堀となっていたのであろう。また西から北にかけて低湿地となり、半島状になった台地に構築された砦である。湿地を挟んだ東側には自然観察公園があり、後年北條氏邦(藤田氏邦)が作ったとされる一夜堤で連結されている。しかし現在は住宅地となっており当時の面影は全く消え失せ、そこに城があったとは思えない状態になっているのは残念なことだ。
そして北條勢。
進路を東に取り、石戸城北方まで到着すると荒川を挟んで石戸城に対峙するような形を執った。しかしこれを見た城方には戦意があろうはずも無い。もちろん人数もほぼ全てが河越の戦に駆り出されていた事もあって、まさに城番数十人程度。人数も違い過ぎれば最早主家も存在しないのだ。今残る城番達は、城から逃げ落ちる機会に恵まれなかっただけである。命をかけてでも城を守ろうとする意欲はさらさら無い。これでは大物見にやってきた北條勢との睨み合いにもならず、城番たちは今にも荒川を越えて攻め寄せそうな雰囲気をもった北條勢に恐れをなして城から逃げ散って行くのが見えた。
石戸の城の自落。
示威行動によって城を一つ得る事の出来た北條軍の快進撃は無人の野を行くようである。氏康はこの石戸の城にも北條方の城番として人数を置き、意気揚々と本来の目的地である河越に歩を進めて行った。
この石戸の自落によって松山・石戸・河越の三拠点を押さえることが出来た事は、武蔵国の中央部に大きな楔を打ち込んだ事になる。
そして日も暮れようとしていた頃合い、ようやく河越の城に北條軍が到着。前もって使わしていた先触れのためか、河越の城には煌々と篝火が焚かれており、氏康の来着を今や遅しと待っていたようだ。
「御屋形様が参られた、出迎えの用意じゃ」
本陣来着を知らされた綱成、嬉々としながら門前まで氏康を出迎えようと馬回りの近臣を従えて草摺りの音を響かせながら走りだしていた。
昨夜の戦闘からまだ一日程度しか経っていないために興奮が冷めやらぬと云った雰囲気だった。
氏康が門前まで到着した頃合い、綱成と幻庵がそこまで出迎え、共に並んだ河越籠城の将達は皆晴れがましく立ち並んでいる。
「皆、此度の戦、苦労であった」
そう声をかけた氏康も本心からであったろう。河越の城兵が半年の間堪えてくれた事が一番の勝因なのである。
綱成が氏康の前まで罷り出て手を取るかのように出迎えた。幻庵もその後ろに控えている。
「勝千代」そう氏康は綱成を幼名で呼んだ。
「この半年の間、よう堪えてくれた。この氏康、礼を言う」
この言葉に感極まった綱成、笑顔の中に涙を零していた。
「こうして再び見える事、叶うとは思いませなんだ」
「お前の忠節の程は神助もあったとはいえ、弟の弁千代と供に見事であったぞ」
ああそう言えばと氏康は周りを見渡し、弁千代は何処ぞと探し見ると諸将の間に小ぢんまりと座っているではないか。
「弁千代、こちらへ参れ」
氏康の誘いで小腰を屈めながら罷り出る弁千代の挙措は舞の上手のように見える。そのまま氏康の前まで罷った弁千代は片膝を着いた。匂うような仕草である。
「弁千代、此の度のそなたの振舞い、誠に見事。これよりは名乗りを勝広として兄、綱成を見事助けよ」
「有難き幸せにございまする」
そして氏康の目は叔父、幻庵に向いた。
「叔父上、此の度はまことに骨折り、有難く存じまする」
幻庵はいつもの幻庵だった。柔和な顔つきにあいまった笑い声を立てた。
「何を仰せじゃ。此度の戦は御屋形様の深謀遠慮が見事発揮されたものにございましょう」
「いえ、叔父上様が河東の合戦の時に河越に参ると仰せになったとき、如何ほど心強かった事か」
「ほっほっほ。なればそのお言葉、有難くこの幻庵、頂戴いたしましょうぞ」
この会話が終わるかどうかの時に、お祭り騒ぎとなっていた城兵に案内されて河越城追手口から三の曲輪にある屋敷大広間に諸将が流れるように歩き始めていた。
そして数町進むとそこは大広間のある屋敷である。城兵達の喧騒に時を感じないまま大広間に入ると、そこに集まった近臣は左右に居流れていた。
更に開け放った式台からの扉を開きその左右にも城兵が所狭しと居並んでいる。
一瞬の間、沈黙が訪れると、氏康が最上段から左右を見渡して祝辞を述べた。
「皆々の働き、天晴であった。十倍の敵兵を物の数ともせずによう堪えてくれたことはこの氏康、胆に刻んである。よって爾後加増の沙汰を待つように」
ははと居並ぶ者共が平伏したとき、氏康は言葉を続けた。
「今宵は皆に酒を振舞おう。今日だけは喜びの酒を飲もうぞ」
そう氏康が放言すると、それを合図に小姓が手際よく一斉に酒と肴を運び込み、河越の城は正にお祭り騒ぎとなり、浮世の憂さを晴らすかのような大酒宴会が始まった。城兵たちは半年の籠城戦から解放された喜びを、また小田原からの兵たちは河越、松山、石戸の城を落した遠征の喜びを共に喜びあって盃を交わし始めていた。




