第97話 後ろからいきなり王妃様が現れた
再び王妃さまより手紙が来た。
「ユイトさんから伺った歩兵の移動スピードを上げる件なんですが、将軍たちに話してみました。でも結果は散々でした。女性の私が何を言い出すのだといった感じで、まったく聞き入れてもらえません。私が男だったら武器を手にして出陣するのですが、歯がゆいかぎりです」
さらに王妃さまから戦況を知らせる続報が届いた。
手紙によると、その後オーストリアはバイエルンへ侵攻。だがナポレオン率いるフランス軍はウィーンへ入り、ドナウ川を渡って、アウステルリッツ西方へ布陣したようだと書いてある。
「アウステルリッツだって!」
「どうしたの?」
手紙を読んで突然声を出したおれに結菜さんがびっくりした。
「アウステルリッツではオーストリア軍がナポレオンの罠にはまる」
「えっ」
おれはすぐユミさんに頼んで王妃さまに手紙を送ってもらった。
「王妃さま、オーストリア軍の事ですが、アウステルリッツの戦いではナポレオンの罠にはまる事の無いようにする必要が有ります。せっかく取った重要な丘から、あえて敵軍が撤退するような事でもあれば、それは罠です」
フランス軍はウィーンを占領して、ドナウ川に架かる橋を無傷で手に入れた。
「ナポレオンは連合軍を誘い出すために罠を仕掛けてきます」
フランス軍は窮状にあり、交渉による和平を望んでいるとの印象を連合軍に与えた。戦闘を避けたがっているという弱気の演出だ。休戦の話が出るとナポレオンは非常に乗り気な態度を示して見せたのだった。
「王妃さま、それは周到な罠です。フランス軍がせっかく確保した重要な丘をむざむざ手放すような事はあり得ません」
メールは何度もユミさんを介して行き来した。
「ユイトさん有難うございます。伺った話をすぐ前線の将軍に手紙で伝えました。結果はまだ分かりません」
ナポレオンは戦略上重要な丘からの撤退を指示し、さらに混乱している様子をつくり出すよう命じた。
翌日、ナポレオンは会見を申し出た。それは次の段階の策略だった。ナポレオンは敵に対して意図的に憂慮や焦燥の態度を見せ、この様子に連合軍側はフランス軍の弱さの証拠を得たと確信した。
「ユイトさん、フランス軍の撤退した高地は連合軍が確保したようです」
「王妃さま、その丘はあくまで死守しなければなりません。特に敵に目立った弱点が見えるようなら、それが罠の可能性もあります。うかつに誘われて攻撃に出ると、罠にはまる恐れが有ります」
連合軍の主力が動けばこの戦は勝てると、ナポレオンは側近に洩らしている。
そしてフランス軍の隙が見えたと、高地から駆け下りて来たオーストリア軍は勢いに乗った。さらに多くの連合軍部隊は勝を確信し、フランス軍の陣前を横切ってフランス軍右翼へ殺到した。
これがナポレオンの仕掛けた最後の罠だった。
「ユイトさん、連合軍はナポレオンの罠にはまり完敗でした。挟み撃ちにあい、将軍の息子さんが戦死したそうです。ただ帰って来た将軍たちの間では、私がナポレオンの罠を予見していた事に驚いているようでした」
「ユイトさん」
「ぎえっ!」
おれは気が小さいんだ。
このアパートは結菜さんと二人だけで住んでいる。部屋には他に誰も居ないはずなのに、後ろからいきなり女性の声が掛かり、卒倒しそうになった。
「王妃さま」
いつの間にいらしたのか、そこに王妃さまが立っているではないか。
「ユイトさん、また負けたんです」
「あ、の……」
結菜さんの通訳で、オーストリアがまたフランスに大敗をしてしまったと知った。王妃さまは居ても立っても居られず、ユミさんに頼んでまた時空移転をしたという訳だった。
「ユイトさん、どうしたら良いんでしょう」
「あの、王妃さま、どうぞここにお座り下さい」
おれは王妃さまに椅子を勧めた。どうしたらと聞かれても、すぐには答えられない。
「王妃さま、何かお飲みになりますか?」
「ユイナさん、ありがとう」
結菜さんが紅茶を入れようとしたが、その間おれと王妃さまとの会話が途切れてしまうからと、代わって結菜さんにお相手をしてもらう事にした。
おれは紅茶を入れている間に、なんと返事をしようかと考えていたが、なかなかいい答えが浮かばない。
それはそうだろう、なにしろ相手は戦術の天才ナポレオンだ、簡単に勝てるわけがない。現に全ヨーロッパが束になって掛かってもかなわない男なのだ。それは歴史が証明している。
「結菜さん、これは難しいな」
「…………」
「ナポレオンって、こっちが今何を考えているかだけじゃなくて、三日後に何をするかまで読んでるんじゃないか」
紅茶を出しながら、結菜さんにはつい本音を漏らした。はっきり言ってオーストリアはフランスに、いやナポレオンには勝てない。おれは王妃さまに、ナポレオンの率いる軍がどんなに強いかを話したのだが、今それをこの方は身をもって知りつつあるのだ。
「あの、おなかが空いてないですか?」
この重い空気の中で突然そう聞いたおれを、結菜さんの目が非難するように見つめている。
「いや、今深刻な状況になっているのは、もちろん分かっているよ」
「…………」
「だけどどうしてもいい案が浮かんでこないんだ」
という訳で、とにかくここは腹ごしらえをして、ゆっくり考えようという事になった。
「お昼ご飯は何にしようか」
「回転ずしか牛丼はどうだろう」
「でも王妃さまはお魚がだめでしょう」
「そうか、じゃあ牛丼だな」
結局吉野家の牛丼を食べて頂く事にした。
「ゆいとさん向こうを向いて――」
「分かった」
おれは出かける前に着替える二人に対して、後ろ向きになる。またファッションショーが始まったのだ。
「こっちを向いていいわよ」
「イイ、ワ、ヨ」
王妃さまの表情が明るくなっている。少しずつだが日本の言葉も覚えたようだ。前回と同様で、洋服が何着も取り換えられ、なかなか決まらない。
ジーンズを履くと結菜さんが、
「しゃがんでみてください」
「…………」
マリーアントワネット王妃がジーンズでしゃがむ姿はちょっと見られないだろう。だがこれは無理だと仰る。体のラインが綺麗に出て良いと思ったのだが、どうしても窮屈に感じるのか、まあ仕方がない。
やはりゆったりとしたワンピースがお好みのようだ。最終的に王妃さまが選ばれた服は、シアーチェックティアードキャミワンピースだと結菜さんが説明しだす……
「ふんわりとした着心地の良いワンピースで、身体を揺らすたびに裾が軽やかに広がる、マルチなアイテムなんです」
「…………」
もちろんスタイルがいいから、王妃様は何を着ても絵になっている。ベージュ色のロングタイプで身体をゆするとスカートの裾がひるがえるのを、何度も試してご満悦だった。




