第96話 王妃様からメールが来た
結菜さんがおれに声を掛けて来たその時間は、暑い日差しがこれでもかというほどアパートを照らし、冷房もほとんど用をなさない。そうかといって部屋を逃げ出すわけにもいかない。
「ユイトさん、昼の食事は何にする?」
おれのパートナーである結菜さんが冷蔵庫の取っ手を握ると、けだるく声を掛けてきた。
「そうだな、昨日のカレーが残ってるよね」
「それでいいか」
おれも結菜さんもただの甘党で、はっきり言って食通ではない。結局この日も冷蔵庫から残り物を出して済ませてしまう。そして食後のコーヒーを飲みドーナツを食べながら、何気なくパソコンを見ていた結菜さんが突然興奮しだした。
「ユイトさん!」
「なに?」
「ちょっとこれを見て」
彼女がそんな声を上げるのは、本当にすごい事が起きたのか、それとも通販サイトでバーゲンの掘り出し物が見つかったのかのどちらかだ。
「なんなの?」
「これよ」
パソコンのディスプレーに映し出されていたのは、ユミさんからのメールだった。そのメールには王妃さまからの手紙が添付してあった。もちろんこの時点でフランスの王朝は倒れてしまっている。王妃ではなくなったのだが、おれと結菜さんの間では今でも彼女は王妃さまなのだ。
「えっ、なんて言って来たんだろう」
「じゃあ読んでみるわね」
結菜さんに、王妃さまからの手紙を訳してもらう。
「親愛なるユイナさんユイトさん、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。おふたりと過ごしたあの部屋での出来事や、ショッピングの光景が夢のように思い出されます。出来ればまたいつかあのような夢を見たいと願っています。
でも現実は大変な事態になっているこちらの様子を話さなくてはなりません。ヨーロッパ有数の陸軍国オーストリアにとっても、現在のヨーロッパは予断を許さない状況なのです。
昨年我が国はイギリス、プロイセン、スペインなどと、フランスに対抗すべく同盟を結びました。入手した情報でフランスは、ライン方面からと北イタリア方面から我が国を包囲攻略する作戦のようです。
イタリア方面軍の司令官に任命されたのがナポレオン・ボナパルトだとか。
彼はこれまで最前線でフランス軍と対峙してきたサルデーニャ王国を、わずか1か月で降伏させてしまい、我が軍の拠点マントヴァを大軍で包囲してしまいました。
ですから、あっ、今将軍たちがいらしたので、詳しくお話を伺おうと思います。
ではまたお手紙を書きますね。
マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ」
おれはその手紙の内容を知ると、すぐ思い至った。
「この王妃さまが言っている戦争って、あの有名なナポレオン戦争のことだよね」
「そうなの?」
「うん。あの有名なナポレオン戦争の始まりだと思う。最終的にはヨーロッパ中を敵に回したくらいだからね」
「全ヨーロッパを相手にするって、ナポレオンはそんなに強かったの?」
「ああ、めちゃくちゃ強かったらしい」
「…………」
結菜さんは動かしていた口を止めると、ドーナツをゴクリと飲み込み聞いてきた。
「でも王妃さまがフランス革命では助かって、歴史が変わってしまったのでは?」
「だとすると、この先はどうなるか分からない。歴史は変わっても、ナポレオンの強さは変わらないだろうし」
「…………」
その後ユミさんからのメールで戦況が分かってきた。
要塞救援のオーストリア軍がフランス軍を攻撃して激しい戦いが始まったのだが、オーストリア軍の陣形は、起伏の多い地形を十分考慮しているようには見えなかった。
この事に気づいたナポレオンは、よく連携された断続的攻撃を仕掛けたようだ。フランス軍の早い行軍速度によって、オーストリア軍は集結前に各個撃破されてしまう。マントヴァは開城となって、オーストリアは停戦を申し入れ、屈辱的な条約を結ばされたのだった。
ユミさんから再びメールが有り、王妃さまの手紙が届けられた。
内容は、戦いに参加した将軍たちの共通する意見は、ナポレオンが異常に強いというもの。
「私はオーストリア軍の将軍たちが劣っているとは思いたくないんです」
王妃さまはが、将軍たちの報告を聞いていると歯切れが悪いと感じたようだ。そこで、是非ともおれや結菜さんの意見を聞きたいというのだった。
フランスはオーストリアに手痛い敗北を味合わせたが、ナポレオンの野望はこんなものではないだろう。全ヨーロッパを視野に、何度でも出陣して来るに違いない。
「結菜さん、ナポレオンの弱点は何だと思う?」
「えっ」
王妃さまから手紙で聞かれて、おれは何とか答えを出そうと歴史の資料を読み漁ったのだが、これだという答えが見いだせずにいた。
「弱点がなかなか見つからないんだ」
「じゃあ強みは?」
「彼の強みは機動力にあるんじゃないかな。兵士達のやる気の問題も関わっている」
「…………」
「後はやっぱりナポレオン個人の能力が大きいな」
「例えば?」
「ナポレオンは若い頃から砲兵を学んでいた。それは彼の合理的な性格を表しているのかもしれない。大砲は歩兵や騎兵の機動力と組み合わせれば、敵の弱いところを一気に突くことができる。騎兵のような華やかな兵科ではなく、砲兵を選んだところにも彼らしさがあるんじゃないかな」
この時代、軍隊の行軍速度は重要ではあったが、それを戦場で最大限に生かそうとする指揮官は多くなかった。移動命令を出したら、後は到着するまで何もしない。着いたら着いたで、今度は腹ごしらえをして次の戦闘に備えるといった具合だった。
「敵より早く移動できれば、敵が集結する前に一部を叩ける。つまり敵の数が自軍より多くても、戦場では一時的にこちらが多数になるんだ」
とナポレオンは指揮官に説明して急がせた。
おれは王妃さまに宛てた手紙で、
「ナポレオンの強みは、単純な足の速さじゃない。軍全体を素早く動かして、敵が集結する前に一部へ集中させることなんだと思います。敵が一万人いるとしても、一度に一万人と戦う必要はない。敵が三千人しか集まっていないところへ、自分の一万人をぶつければいい。それでもやっとナポレオンとは対等なスタートラインに立てるわけです」




