第98話 王妃さま、ナポレオンを暗殺
吉野家に入るとそこに居合わせた客から一斉に見られてしまった。やはり王妃さまは目立つ。箸は無理なようなので、フォークを出してもらった。カウンターに腰掛けていると、王妃さまは好奇心を抑えきれない様子で、
「ユイナさん、ここではどんな料理が出るのですか?」
「王妃さま、とても美味しいと言って頂けると思います。お楽しみに」
結菜さんは小声で王妃さまにそうささやいた。結局カレーライス同様、こんな美味しい物は初めてだと牛丼は完食だった。王妃さまには日本の食べ物が合っているようだ。昼食の後はスターバックスに入る。入り口を入ると、何人か並んでいる。
「王妃さま、こちらで待ちましょう」
「…………」
王妃さまが他の客と一緒に並んで立つ光景は中々……
そして注文の番が来て、写真がいっぱいのメニューを見る王妃さまは嬉しそう。
「スタバの新作で、桃の果肉がたまらないピーチフラペチーノですって!」
結菜さんは自分が食べたそうに言った。おれはカフェラテにして後はふたり仲良くピーチフラペチーノを注文、その後は静かなコーナーを選んで座る。そこでゆっくり王妃さまにはヨーロッパの現状を話して頂いた。あれから数年が経っている。
「ナポレオンがフランスを留守にしている間に、イギリス、ロシアなどとの第二次対仏大同盟が結成され、我が国は北イタリアを奪回しました」
すぐさま戻ったナポレオンはクーデターを起こして独裁権を握ったという。
ここで注文した品が出来たので、おれが取ってくるとテーブルに戻った。もちろん美味しそうなピーチフラペチーノに王妃さまは目を輝かせた。スプーンですくい口に入れた王妃さまは、これ以上満足な顔は出来ないといった風だ。ひとしきり食べるとまた会話を戻した。
「王妃さま、残念ですが私達が知っている知識は既に過去のものとなっているようです。あまり参考にはなりません」
「あの、とても不思議なんですが、その未来とか過去とか……」
「…………」
確かに不思議だろうな。といっても王妃さまが納得いく説明を出来る自信は無い。
ここでおれはコーヒーを一口飲んで先を続けた。
「ただナポレオンは巧みな戦略によって、より有利な状況を作り出すことを得意としているようです」
「…………」
「分散して進撃するオーストリア軍に対して、機先を制して各個に撃破したり、背後に移動し、敵の主力を包囲して降伏に追い込んだりしてます」
王妃さまは黙って結菜さんの通訳を聞いている。
「また敵主力をひきつけ、その間に相手の弱点を衝く作戦を得意としているようです」
「…………」
「つまりナポレオンは敵を分散させて味方の有利な状況を作り出し、包囲して殲滅させることをしてます」
「…………」
のどが渇いたおれはまた一口飲んだ。
「だからナポレオンにやられないためには、味方同士の連携が最も重要になります」
「…………」
「彼はオオカミのように敵を孤立させては、個別に撃破して行くんです。それを可能にしているのがスピードなんです」
「…………」
王妃さまはスプーンを回しながら、深いため息をついた。すぐに対抗出来る対策なんてないだろう。
「ユイトさん」
王妃さまはきりっとした顔でおれを見た。
「彼を亡き者には出来ないでしょうか?」
「はっ!」
ピーチフラペチーノを召し上がって、一息ついた王妃さまの口からとんでもない話が飛び出して来た。
「あの、彼って――」
「もちろんナポレオン・ボナパルトの事です」
「…………!」
あまりに唐突な王妃さまの発言に、おれも結菜さんも言葉をうしなってしまった。
「えっ、それって、ナポレオンを暗殺するって事ですか?」
「そうです」
王妃さまは動かしていたスプーンをカップの横に置き、おれを正面から見据えて、そう言い切った。
「しかし――たしかにナポレオンは何度も暗殺されかけている。だけど簡単な相手じゃない」
「もちろん彼のガードは固いでしょう、危険は十分承知の上です」
「…………」
ナポレオンを暗殺する。
その言葉が頭から離れなかった。
歴史を知っているおれからすれば、ナポレオンが死ねばヨーロッパの歴史が大きく変わることは分かる。だが、それは王妃さまが助かった時点ですでに始まっている。
いまさら「歴史を変えてはいけない」と言っても意味がない。
それでも――
人間を一人殺せば、すべてが解決するほど歴史は単純ではない。ナポレオンがいなくなったフランスで、次に誰が権力を握るのか。
オーストリアは本当に平和になるのか。
それとも、もっと恐ろしい人物が現れるのか。
おれには何も分からなかった。
結菜さんは王妃さまを見つめたまま、全く声が出なくなっていた。とんでもないナポレオン暗殺の話が、まさかスターバックスで始まることになるとは思ってもいなかった。
スターバックスの一角は、ここだけ時間が止まってるように、周囲とは隔絶された空間になっていた。
ナポレオンを狙った暗殺未遂事件は確かに有った。それにしてもこんなに優雅な王妃さまの口から、このように過激な発言が飛び出すとは……。
「王妃さま少し時間を下さい。あまりにも突然で、なんて答えたらいいのかすぐにはお返事出来ません」
「分かりました。でも私は真剣なんです。暗殺計画の実行には、私自身も参加をいたします」
「王妃さま!」
確かにナポレオンさえ居なくなれば、ヨーロッパ連合はフランスに勝てる確率が格段に高くなるだろう。オーストリアを背負って立つ王妃さまがそう願うのは当然だった。
スターバックスで午後のティータイムが済むと、またスーパーに行く。
おれがカートに籠を乗せて押しながら店内に入ると、王妃さまは面白がって私にもさせてと、おれの代わりに終始笑顔でカートを押してくれた。王妃さまがスーパーでカートを押しながら後を付いて来る図は何とも……
夕食のメニューはまたカレーライスにする。今は暗殺計画の事など忘れてショッピングだ。
「王妃さま、これは玉ねぎです。カレーにはよく合います」
「タ、マ、ネ、ギ」
マリーさんではなく、どうしても王妃さまと呼んでしまう。
「王妃さまはイスラム教徒じゃないんだから、豚肉でいいよな。牛肉でもいいけど、今日は豚肉にするか。王妃さま、これは豚肉です」
「ブタ、ニ、ク」
「そうです」
勿論食後のフルーツと、王妃さまが目を輝かせるケーキの数々を籠に入れたのは言うまでもない。レジに並ぶと、やはり王妃さまは注目を浴びる。周囲の買い物客がさりげなくチラ見をして来るのだった。




