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第9話 黒海の食卓


 ラウラ・アレクシアの館はモルダビアの港を見下ろす小高い丘の中腹に建てられており、漆喰の白い壁は蔦が彩りを添えている。

 20人もの軍団が一度に座るテーブルには、イチジクやデーツ、ナツメ、ビターオレンジ、ライムなどが並んで、アーモンドミルクと一緒に食べる。上質な小麦粉を使ったパンも添えられ、牛肉から鶏肉、ヤギの肉まで大皿に山となって、背後には給仕の者たちが控えている。

 だが食卓には珍しいフォークが提供されており、


「これは何だ?」


 クイナが銀色の道具を持ち上げた。


「肉を刺す槍じゃないか」

「槍にしては小さいな」


 誰かが真面目な顔で言うと、周囲が笑った。

 ラウラもつられて笑う口元を隠し、


「それはフォークで、南の商人たちが使い始めた食器です」


 西ヨーロッパでフォークが導入されるまでは、肉を引きちぎったり、ナイフで切った後は手づかみで食べていた。


「ところで皆さんは乗馬が得意なんでしょ。うらやましいです。実は私馬が苦手なのです」

「馬なら任せて下さい」

「ええ、ぜひ」

「隊長、鼻の下が伸びてませんか」


 クイナの影口が聞こえてきた。

 その時、宴の途中で幼い少女がラウラの背後から顔を覗かせた。


「ユキ、まだ起きていたの?」


 白い寝間着姿のユキは、こっくりとうなずいた。


「だってまだ早いんだもの」


 少女はテーブルの周囲を見回した。

 そしてバルクを見つけると、そのままじっと見つめている。


「……娘か?」


 バルクが何気なく聞く。

 ラウラは少し笑った。


「大切な家族です」


 バルクと目が合ったユキは、はにかみながら会釈して話しかけてきた。


「あなた騎馬兵?」

「そうだ」

「馬、すごく速いの?」

「乗るか?」

「うん」


 直ぐにラウラの横やりが入った。


「駄目です」


 ユキは素直に引き下がったが部屋を出る前、一度だけ振り返った――


 ラウラはバルクと話し込んでいる。

 

「人は荷より先に失うものがあります、信頼です」

「商人の話は難しい」

「貴方は分かっています。最後に人を救うのは、やはり人ですよ」


 ラウラは話題を変えて皆を歓待した。


「バルクさん、皆さん、今日は危ないところを助けて頂き、本当に有り難うございました」


 とワインのグラスを優雅に持ち上げた。

 そしてバルクたちの帰り際、再びやって来た幼いユキが短い木刀を手にしている。

 それを見たバルクが、


「変な剣だな」

「お父様の国の剣よ」

「軽いな」

「でも、お父様は強かったの」


 バルクが少し真面目になる。


「……本当に強いのは武器じゃない」

「…………」


 バルクが木刀を返すと。


「また来る?」

「……縁があればな」

「お馬さんに乗りたい」


 ユキがラウラを見た。


「ちょっとだけですよ」


 バルクがユキを持ち上げ馬へ乗せる。


「怖いか?」

「ちょっと」

「落ちる時は空を見るんだ」

「…………」


 バルクが出発前に幼いユキに言う。


「また会おう」

「ほんと?」

「草原の男は嘘を言わない」




 ラウラ邸での接待を受けベンダーに戻っていたバルクの元に、程なくしてそのラウラから仕事の話が舞い込んできた。陸路で荷を運ぶからルーマニアまでの護衛を頼むという内容である。


 モルダビアの港には東の諸国から黒海を渡って様々な産物が入っている。ルーマニアに運べば相当な利益になる。もちろん無事に届けばの話である。これまで多くの商隊が盗賊の犠牲になっている。

 そしてラウラも同様に悩んでいた。安全に荷を運ぶ事が出来ないでいるのだ。これまで何度も強奪されている。もちろん私兵を付けて送り出すのだが、計画はいつもそこで頓挫してしまう。

 盗賊の被害、それだけが悩みの種だった。

 ラウラはまだ知らない。こうして運命は既に、そして静かに動き始めていた。


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