第62話 醜態
黒海を北上した船がモルダビアの港に着くと、安兵衛達はラウラの館に招待される。安兵衛はミネリマーフと共にラウラと夕食のテーブルに着く。部屋の所々で灯されるロウソクが荘厳な室内をほのかに照らしている。食事の前にはワインが供された。召使が安兵衛のグラスにも注ぐ。ミネリマーフはハレムで飲んでいたのだが、安兵衛は初めてで戸惑っていた。
ラウラがグラスを持ちあげた。
「ヤスべ様とミネリマーフ様がいらして頂いたことに感謝致します」
ミネリマーフも笑みを浮かべてグラスを持ち上げるので、安兵衛も同じようにした。その後ふたりが飲むのを見る。
――これは拙者も飲まなくては――
確かあの方の部屋で飲んだ紅茶というものに色が似ている。だがこれには砂糖とミルクは入れないのだと解釈して、とにかく思い切って飲んでみる事にする。紅茶とは違う始めて味わうものであるが、努めて冷静を装い、全てを飲み干した。
「むはっ!」
何じゃこれは、のどが焼け、顔が一気に熱くなってくる。
―― まさか、毒! ――
安兵衛の動揺をよそに、共に飲んだはずのふたりはにこやかに会話を続けている。
どうやら毒ではないようだな……
さらにその後、食卓には次々と料理が運ばれて来た。しかし給仕にワインを注がれるたび、安兵衛は「飲み干さねば失礼だ」と思い込み、毎回空にしてしまう。
空になるとさらに注がれる。
又飲み干す。
その内、酔いが回ってくるという事態を始めて経験する。料理の横に置かれた櫛のようなもので肉を刺し、小刀で切っている間も、ミネリマーフとラウラの会話が遠くに聞こえていた。
ところがやがて、なんと身体が自然に揺らいでくるではないか。
これはひょっとして酒に酔うと言う事なのか、それとも錯覚かと思ったその時、
「ヤスべ様、お料理はお気に召して頂けましたでしょうか?」
「……はっ、え……、はい」
「どうぞもっとお飲みになって下さい」
「はっ、あいや、……はい」
安兵衛のグラスには更なるワインが注がれた。ワインに酔っているという事態が把握出来ていない。適量という事も分からないまま、また飲み干してしまった。
その後もラウラさんから声を掛けられ、返事をするのだが、何を話しているのか、もう上の空だった。
そして帰る時が来た。
椅子の背とテーブルを手で押さえ、やっと立ち上がると、まるでふわふわと雲の上を行くようではないか。とうとうミネリマーフとラウラさんに、両脇を支えられて歩き始める始末。
この醜態!
安兵衛一生の不覚であったが、どうしようもなかった。もしここで敵に襲われていたなら、拙者は刀を抜くことすら出来なかっただろう。




