第58話 ラホール城制圧
インド亜大陸における火縄銃は、ムガール帝国の創始者であるバーブルによって取り入れられている。この大陸周辺でムガールは鉄砲先進国として無敵の存在だった。オスマン帝国の連発銃に遭遇するまでは……
ラホール城はラービー川の東に位置しているが、上流に行けば大軍でも渡れる事が分かり、川を渡って布陣する。
夜が明けると早くも大規模な戦闘が始まった。ムガール軍は火器の隊が先の戦闘で一気に半数近くまで減ってしまっている。今度は無謀にも騎馬軍団が前面に出て来ると、怒濤のような猛攻を行い、オスマン帝国軍の右翼を突き崩すほどだった。火縄銃の難点はその遅さにある。騎馬軍団はそれを知っているから、
「オスマンの軍など蹴散らしてしまえ!」
短期決戦に出て来たのだ。連発銃の脅威がまだ知れ渡っていない。特に騎馬軍団は花形である。鉄砲隊の後塵を拝してはいられないのである。
オスマンの反撃を許さず、速攻で勝敗を決めようとしている。
果敢に突撃を繰り返すムガールの騎兵に対し、ムラト3世は自軍の右翼と左翼の端に別動隊を配備迂回させて、敵を背後から攻撃する作戦に出た。しかし戦局はその成果を待つまでもなかった。鎖でつないだ大砲を軍勢の中央に配置したオスマン軍の連発銃が火を吹くと、果敢に攻撃してくる敵騎兵を次々と倒してしまう。救援に回ったイェニチェリ鉄砲隊によって、ムガール軍は善戦する左翼も劣勢となる。結果、アウラングゼーブはかろうじて戦場から離脱。ムガール側はラホール城も放棄するほどの惨敗となった。
「はっはっ、ヤスべ」
「はっ」
「ムガールどもは口程にもないぞ」
「はい」
「どうだ、この連発銃の威力は!」
「…………」
安兵衛はこれまで剣の道に生きて来た。それはあくまで対等な条件の下で戦う世界だった。だが、今ここで行われている戦いはどうだろう。火縄銃しか知らない者に、連発銃で応戦する。刀を構える相手なのに、いきなり銃を撃ち、高笑いをしているようなものではないか。安兵衛はなんとも言えないものを感じていた。
ムラト3世は二日間の略奪を許し、降伏した料理人に調理を命じた。
だが料理に毒を盛られる。
幸い口にした毒が少量だったために命に別状は無かったが、毒殺の計画に加担した者達は皆、残忍な方法で処刑された。
しかしラホール城を制圧した後も、周辺の勢力はムラト3世に服属する姿勢を見せず、戦闘はさらに続いた。遠征は長期化してくるし、土地の気候が合わなかったり、食べ物の変化などに体調を崩す者も出て来る。疲弊した将兵達はイスタンブールへの一時帰還を望み始める。
アレクサンドロス大王の東方遠征期間は七年にも及んだ。オスマン軍の東方侵攻も、すでにコンスタンチノープルを出てから何度か年が変わっている。
オスマン帝国軍は当初目的としていた戦果を上げた。ムラト3世はさらにムガールの皇帝アウラングゼーブを追走し、その息の根を止めるつもりであった。しかし、補給の困難と遠征による将兵の疲れから、深追いをさけてついに一時帰還を決定する。
オスマン軍はラホール城包囲の際捕らえた、多くの女性や陶磁等の職人を自国へと連行する。もちろん見つかった宝石類の山も運ばれた。ラホール城には臣下から選んだ行政官、さらに2千の騎馬兵とイエニチェリの一部隊を残した。
「ヤスべ」
「はい」
「日本では、連発銃でどのように戦っていたのだ?」
コンスタンチノープルへの帰還の途中、ムラト3世は連発銃の使い方に相当興味があるようで聞いて来た。
「私が日本に居た時代では、まだ連発銃は出来ておりませんでした」
「火縄銃か」
「はい」
安兵衛は火縄銃を並べて連射する様子や、敵の馬を止める杭を備える事などを話して聞かせた。ムラト3世は火縄銃を三段に並べて撃つ方式にうなずいていた。
連発銃はその火縄銃を連射出来るように工夫したものだ。あの方の話をヒントに、仁吉の考案した画期的な銃だった。
「ヤスべ」
「はい」
「では連発銃で互いに撃ち合う戦になったらどうなる?」
「…………」
ムラト3世はこの先何時までも、連発銃がオスマン軍の独占状態になっているとは考えていないようだ。いずれ敵も連発銃を手に入れるだろうと。
安兵衛は正直に答えた。
「その時は難しい戦になるでしょう」
「そうだな」
コンスタンチノープルに凱旋したオスマン軍は、市民から歓喜の声で迎えられた。ムラト3世は将兵達に働きに応じた対価を支給して、暫くの休暇を与える事にした。
安兵衛の館も何度目かの冬を越して、花の匂いが満ちていた。懐かしい庭に出ると、ミネリマーフは侍女にそこで待つように言って、安兵衛とふたりだけで歩き始めた。
「ミネリマーフさん……」
「ヤスべ様が帰っていらっしゃるのに合わせたように咲きました」
ミネリマーフはコンスタンチノープルで盛んに栽培され、この庭にも咲いているチューリップを指さす。そして組んでいる腕をずらすと、安兵衛の手首を見た。
「ずっとしていて下さったのですね」
「…………」
安兵衛の手首には、ミネリマーフから渡されたブレスレットが巻かれている。
安兵衛は思い切って言った。
「ミネリマーフさん。私は何度も死ぬかと思いました。その度に浮かんだのは貴方のお顔でした」
「…………」
ミネリマーフは何も答えなかった。
ただ静かに微笑むと、一歩近寄り、安兵衛の胸に顔を埋めて来るのだった。
その肩がかすかに震えていた。




