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第57話 ムガール侵攻


 ここは安兵衛の館である。


「ヤスべ様、ご武運をお祈り致します」

「ミネリマーフさん……」


 ミネリマーフは刀を腰に帯びる安兵衛に、自分の腕に付けていたターコイズ(トルコ石)のブレスレットを渡すのだった。強い守護力を持っており、持ち主を災いから守ってくれるとても力強いパワーストーンと言われている。


「…………」

「どうかご無事で」





「ヤスべ」

「はい」


 出陣の時、ムラト3世は馬に乗り、並んでそこに居る安兵衛に声を掛けた。バグダード攻略の時である。


「ミネリマーフとはしばらく会えないな」

「…………」


 手綱を持つヤスべの手首には、ミネリマーフから渡されたブレスレットが巻かれている。妃に贈る装飾品に関心のあるムラト3世は、安兵衛のブレスレットに気が付いていたのだ。

 安兵衛は手綱を握る手に力を込めた。



 ティグリス川西岸に建設されたバグダードの城壁は円城であり、四方に門を有していた。円城都市は、城壁が最小限でありながら、防禦に際しては死角がないところに利点があった。


「ヤスべ」

「はい」

「そなたならこの城をどう攻める?」


 一介の剣術家である安兵衛は、城をどう攻めるかと聞かれて、答える事が出来なかった。素直に分からないと返事をするしかない。だが、気付けば口が勝手に動いていた。


「城の事は分かりませぬが……一か所を集中して攻撃し崩すのが良いのではと」

「…………」


 ムラト3世は安兵衛の顔を見て、その先を言えと促している表情だ。


「力攻めなど無駄な攻撃を控え、城壁の一点に集中して砲弾を浴びせ突破致します」

「よし!」


 運ばれて来た大砲の全てが城壁の一点に向けられ、砲撃の合図を待っている。


「撃て!」


 轟音が轟き、城壁に巨大な砲弾が炸裂。数日にわたる砲撃の末、城壁が崩れてぽっかり穴が開いてしまった。次は連発銃の出番だ。


「撃て!」


 数十丁の連発銃が、敵の弾が届かない高い櫓の上から狙い撃ちの連射だ。城内の兵は全く応戦する事が出来ない。一方的に撃たれるばかりだった。


「突撃せよ!」


 ムラト3世の号令が響いた。後はオスマンの軍勢がなだれ込むのを防ぐ手立てはなく、日が落ちるまでにバグダードの城は陥落した。


 そして、ムラト3世はついにムガール帝国攻略を宣言したのだ。霊廟タージ・マハルはこの時代に建設された。だがムガール皇帝シャー・ジャハーンが病に倒れると、後継者争いが始まり、三男のアウラングゼーブが勝利して皇位を継承する。そして、折り合いの悪かった先の皇帝を、アーグラ城のタージ・マハルの見える部屋に幽閉する。

 ムラト3世がムガール攻略を宣言したのはそんな時期で、異議を唱える重臣はひとりも居なかった。

 最初の目標は、ムガール帝国の西に位置する都市カンダハルと決まった。オスマン帝国軍がカンダハル侵攻を準備しているという情報は、東西を交易する商人の口からすぐに伝わった。インド最南部の小国を攻略中だったムガール皇帝アウラングゼーブは、情報に接すると直ちに取って返し、カンダハルに向かった。



 オスマンとムガール両帝国軍は、カンダハルの西方約四十キロの荒涼とした大地で対峙した。その間隔は火器の有効射程距離から判断して自然に決まる。

 両陣営からは一騎づつの騎士が駆け出し、中央付近で止まる。短いやり取りがなされ、帰って来た者が、「降伏せよとの勧告は拒否されました」と報告。


 ムラト3世は馬に鞭を入れ、


「我が獅子達よ!」


 居並ぶ戦士たちの前を駆けながら、声を張り上げた――


「よく聞け。お前達は勇敢なオスマンの戦士だ。お前達の敵は今目の前に居る」


 ムガール帝国も同じイスラムの国である。だから異教徒を倒すというセリフは使えない。だが剣を振るう戦場に理屈など要らない。どちらが侵略者だろうと、声を張り上げた者が勝利を得るのだ。


「剣を抜け。お前達の武勇を敵に見せる時が来た。敵の首を切り落とせ。勝利をわがものとせよ!」


 並んだ騎士、兵士達から上がる歓声と、剣で盾を叩く音が鳴りやまなかった。


「砲撃せよ」


 両陣営からの砲撃が始まるが、ムガール側も火器の戦闘には自信があった。

 大砲による砲撃戦は互角の戦いが進んでいく。双方とも大軍だが、ムガール軍後方には一千頭に及ぶ象兵も居る。大砲による攻撃が一段落すると、今度は鉄砲隊が出て来た。オスマン軍の前で射撃の準備を始める。


「鉄砲隊前に!」


 ムラト3世の号令で、既に二百丁ほどに増えている連発銃が押し出されて来る。

 銃の台座は車輪が支えている。銃の左右には防弾の盾が設置してあり、火縄には火が点いていた。


「撃て!」


 薄板状に造られた木製の弾丸容器を上から差し、順に押し込んで行く。射手は引き金を何度も引き続ける。火縄が小刻みに落ち点火することで、一台の連発銃からは、一分間に六十から七十発の銃弾が発射される。

 横一列に並んだ兵士は敵軍を前に隠れるという事をしないで、隙間なく並んでいる。互いに軍の威容を見せつける為なのだ。

 ペルシャ軍がオスマンとの戦闘で、連発銃というものに翻弄されたという話はムガールにも伝わっていた。だが実際にその脅威に接するまでは実感がわかなかったのだ。

 これほど密集した敵軍なら、狙いを細かく定める必要すらなかった。敵は撃たれても逃げようがない。後ろにもびっしり並んでいるのだから、最前列が薙ぎ払われるように崩れ落ちた。しかも連発銃の銃身は長く、有効射程距離は火縄銃よりはるかに長い。ついには後ろに控えている象兵や騎兵、本陣にも弾は届く。鉄砲の射程距離外に居たはずなのに、弾が飛んでくるではないか!

 これでムガール軍勢は一気に動揺、混乱のるつぼと化してしまった。

 次に象兵が地を震わせながら前進を始めると、その威容は戦場を震わせるほどだったが、連発銃の脅威にさらされると敵ではなかった。


「前進しろ」


 連発銃隊を含むすべての部隊が前進を始めた。しかしまだこの先長い戦闘が続く、急ぐ必要はない。思わぬ火器の威力に翻弄されたムガール軍は敗退し、カンダハルはついにオスマン軍の手に落ちた。

 次の目標とされたラホール城の敷地面積は広いが、城壁そのものは比較的低く、さほど堅固ではない。砲撃など無かった時代に造られた城塞都市だ。ムガール軍はそのラホール城まで退いて、再び守りを固めた。

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