第5話 草原の騎馬軍団
モルダビアの館では、ユキが窓辺に座って外を眺めていた。港には大小さまざまな船が出入りしている。
「また見ているの?」
ラウラが笑う。
「だって、あの船どこへ行くんだろうって」
ユキは港へ続く街道を眺めている。船から降ろされた荷を運ぶ馬車や、行き交う騎馬隊が小さく見えた。
「お馬さん、速いなあ」
幼いユキは窓辺に額を付けて言った。
ラウラは笑った。
「草原の人たちは、馬の背で生きるのよ」
その時のユキは知らなかった。
後に、自分の運命を大きく変える男と出会うことを。
ラウラは笑ってユキの頭を撫でた。
その頃――
北方の草原では、別の運命が動き始めていた。
モルダビア北方のベンダー郊外は、どこまでも果てのない草原だった。
遠くで馬のいななきが聞こえた。
やがて地鳴りが響く。
平原の向こうから騎馬の群れが現れた。馬上の戦士たちは皮の甲冑をまとい、腰に剣、背には弓を負っている。黒髪や髭を風に躍らせながら、馬を己の手足のように操って駆けて来る。彼らの祖先は、遥か東方からこの草原へ渡り、何代にもわたって根を下ろしていた。人は彼らをタタールと呼んだ。四百騎ほどの氏族軍団である。もっとも全員が常に集まっている訳ではなかった。狩りに出る者、交易へ向かう者、他国で稼ぐ者もいる。その末裔の一人が、隊長バルクである。
今、彼の側にいるのは三十騎ほど。隣には日に焼けた肌を惜しげもなく晒す若者クイナ。剣の腕は軍団でも指折りである。もう一人は古参のタリウト。口数は少ないが、誰よりも経験を積んだ男だった。
早朝、焚き火で炙った肉をナイフで削ぎ、そのまま口へ放り込む。それが朝食だった。馬の背から見る景色は、地を歩く者には見えない世界だ。彼らにとっては大地を歩く方が、むしろ落ち着かなかった。
「タリウト!」
いきなり馬を走らせたのはクイナだ。クイナは馬腹を蹴ると、剣を抜き、疾走しながら地面に置かれた革袋を剣先で掬い上げた。手綱を引き、戻って来るクイナに、タリウトは突然の出来事に興奮する自分の馬を抑えると、首を振りながら笑い言った。
「クイナ、お前も副将ではないか。もう少し大人になったらどうだ」
クイナが白い歯を見せると、軍団の者達は苦笑した。同じ副将のタリウトは歴戦の勇者ではあるが、若さをもて遊ぶ若者には、やれやれといった顔を見せ、やはり苦笑してつぶやくしかない。
「まったく」
バルク達傭兵はベンダー周辺にそれぞれ居を構え、普段は狩猟などをして日々の糧を得ている。中には酒場の用心棒をしている者もいる。だが一たび声が掛かれば、皆剣を携えて隊長バルクの元に駆けつける仲間達なのだ。
枯葉が地を赤く染め始め、毛皮をまといたくなる殊の外寒い日に、モルダヴィア公は、プルート川沿いの領有権を巡る争いに決着を付けるべく出陣していた。貴族間の抗争に悩まされながらオスマン帝国と戦ってきたが、今ではその従属国になっている。出陣要請はバルクにも来ていた。しかしその知らせは、なぜか同じタタール氏族チャガンを通してだった。バルクは胸の奥に、小さな棘のような違和感を覚えていた。チャガンが他人に獲物を分ける――そんな話は今まで聞いたことがない。それにチャガン族のブコビィは最近やけに羽振りが良いらしい……




