第33話 安兵衛走る
第二部 安兵衛編 あらすじ
黒海の地でユキを育てることになる安兵衛。オスマン帝国へ渡った彼は、スルタンとの出会いを経て数々の冒険と戦いに身を投じていく。
一方、未来の日本から戦国時代へ転生した結翔が豊臣秀吉の嫡男・秀矩として国づくりを進めていた。その秀矩の招きによって安兵衛は時空を超え、様々な世界を旅することになる。秀矩を中心に、仲間たちは未来の知識を活かし、日本の国づくりを進めていった。そして遠くモルダビアでは、安兵衛の娘ユキもまた成長を続けている。その血はやがて、新たな時代へと受け継がれていく。
これは激動の時代を生きた安兵衛と、その仲間たちの物語である。
第33話 安兵衛走る
目の前には黒田利則の亡骸。
家臣たちの嗚咽が響く。
安兵衛は膝をついたまま動けなかった。主君は豊臣軍に敗れ自刃していたのである。刀を握り立ち上がった安兵衛、胸の奥で燃えていたのは悲しみなどではない、秀矩に一矢報いる決意の炎なのだ。
自刃した藩主の仇を討とうと、ひとり密かに機会を狙っていた。やがて関門海峡を渡る秀矩を襲うため、船頭に化けて近づく機会を得たが、秀矩の立ち位置が瞬時に変わり、安兵衛の刃が空を切った。初めて目にする空間移転、信じられない出来事ではあった。
「不覚……」
秀矩の供の者たちに囲まれ、刀を捨てると、逆に秀矩の家臣に取り立てられたという経緯がある。
秀矩様は未来から来たという不思議な御方だった。さらに時の旅人トキなる人物と共に、幾つもの世界を渡って来たという。その後は安兵衛も秀矩と共に時を旅している。未だに信じられない出来事の数々であった。
あの未来からいらしたという方と出会い、経験した数々の出来事は、全て仙人か噂に聞く天界人の仕業ではないのか、安兵衛は今でもそのように理解している。そうでなければ突然全く違う世界に行くなどという事は納得出来ない。
しかし今は太平の世である。武士の活躍する戦場はもう無い。秀矩が天下を治めてから十数年。安兵衛は九州へ戻り、剣術指南として暮らしていた。
「人違いでは御座らぬか」
「問答無用」
誰と勘違いしているのか、人違いであると言っているのに、刀を抜かれてしまう。
相手は五人、その内の三人は既に構えている。
安兵衛もやむを得ず左手の親指で鯉口を切り右手で刀を静かに抜くと、一旦下ろした剣先を前にして左脚を引き正眼に構えた。
三人の内ふたりは左右に分かれ刀を構えている。
正面の男は上段のままジリジリと間合いを詰めて来る。
刹那、男の右脚が出る。同時に安兵衛の右脚が引かれ、
「デアッー」
「ウグッ」
安兵衛の引かれた筈の右脚は再び前に出ていた。男が刀を振り下ろす間も無く、安兵衛の突き出した刃が男の胸を貫いていたのだ。その刀を抜きながら男を背に回転。斬り上げてふたり目を制し更に体を返すと、迫る三人目も袈裟がけで切った。三人の男達が倒れるのは同時であった。残ったふたりの男達は刀を抜くでもなく、茫然と立ち尽くしている。
だが次の瞬間、安兵衛は抜き身の刀を下げたまま駆け出した。視野の片隅に大勢の侍が走って来るのを見たからだ。安兵衛は何故襲われたのかよく分からないまま走り続けていた。恨まれるような事をした覚えはない。男達は他藩の上士のようでもあった。だが刀を抜いてしまった以上はやるか逃げるか、そのどちらかになる。
散々走ってやっと一息つく。なんとか逃げ切った。
見ると田んぼのあぜ道に来ている。安兵衛が立ち止まった足の先を、細長いものがするすると草むらに入って行く。膝を曲げて土手の背で刀の血糊を拭き取り鞘に納めようとする。しかしその安兵衛の顔が曇った。刀が鞘に収まらなくなっているではないか。見ると刀身が僅かに曲がっている。
「未熟……」
戦場で無数の敵と戦ったのならまだしも、たった三人を切っただけで刀身を曲げてしまうとは。しかしこれが秀矩様から頂いた刀ではなく良かった。安綱という名工が、龍神の力を得て創ったと語り継がれている刀を身に帯びてはいなかったのだ。
安兵衛は刀の先を土手に当て、刀身の中辺りを足で踏み反りを直すと鞘に収めたその時、
「これは!」
刀を鞘に納めた安兵衛の前、空間が歪み始めた――
その中から歩いて来るのは、
「秀矩様!」
安兵衛は思わず声を上げた。
だが男は薄く笑う。
「違う」
その声には聞き覚えが無かった。
「安兵衛、付いて来い」
「……秀矩様では、ない?」
「説明している時間は無い。行き先は関ヶ原だ」
「関ヶ原?」
安兵衛はなおも目の前の男から目を離せなかった。顔は確かに秀矩様そのものだ。だが声も気配も別人だった。
背後の空間がまだ歪んでいる。安兵衛が面食らっていると、
「何をしている。急げ」
「どこへ」
「関ヶ原だ」
「関ヶ原はもう終わったはずでは」
「終わっていない」
男は歪んだ空間の向こうへ視線を向けた。
「そこで歴史が変わる」




