第31話 悪魔
「旦那様は」
「儂の霊を取れ、我を救えばこの身をお前にやろう」
「そう仰ったようなのです」
ユキ達の前で執事は、シェルバン・カンタクジノ氏に起きた出来事を話し出した。
「それは有る戦での事、敵に追い詰められ、首を取られる寸前で発した言葉のようです。なんと旦那様は脳裏に浮かんだ悪魔と取り引きをしてしまったのでした」
「…………」
「旦那様はその後の記憶が無く、気が付いた時は、戦場にひとり取り残されていたのだそうです」
それ以来、シェルバン・カンタクジノ氏が別人のようになってしまう夜が出現するのだという。
「あれは悪魔のような魔物に違いありません。人間の生き血を吸おうと、旦那様の身体にたびたび入って来るようになりました。ただそれも夜の内だけで、昼間は来れないのです」
ユキの様な若い女性の血が狙われると言う。
「ですからお客様がいらした夜などは、寝る事が出来ないのです」
「…………」
「1階から様子を伺っていたのですが、ドアの前に立っていたので、たまたま開けた炊事の者に驚かれてしまいました」
「それで、何故逃げた?」
「申し訳ありません。落ち着いて事情をお話しするべきでしたが、隠れて見ていたので気が動転してしまい、思わず逃げてしまいました」
「…………」
「奴は武器で襲って来る事が無い。人の生き血を吸うだけのコウモリみたいな魔物だ」
バルク達は魔物は夜行性で、昼間は何処に潜んでいるのか分からないと理解した。
「厄介なのは、人に乗り移ってしまうと手出しが出来ない事だな」
オスマン帝国軍と対立したワラキアの通称ドラキュラ公だが、最後は追い詰められ、手勢2百人のみとなって戦死する。ワラキアに残された遺体は、スナゴブ湖に浮かぶ小さな島に葬られる事になる。遺体を埋めた場所とされている祭壇の下に墓があり、棺の中に首の無い遺体だけがあったと伝わっている。
墓に魔物の痕跡は無い。
「ならば現れるのを待つしかありません。私が囮になりましょう。
「――――!」
バルク達は驚愕した。
「ユキさん、本当ですか?」
首は何処に有るのか分からない。後は魔物が現れるのを待つしか無いのだ。
ユキとバルク達3人は館で待機する。軍団は呼ばない事にした。今回の相手は兵力が多ければ良いというものではない。
いつもと同じ様に食事をして、シェルバン・カンタクジノ氏からワインを勧められた時だ、
「えっ」
ユキがシェルバン氏と目を合わせた時、再び首筋にあの冷気を感じたのだ。
既に魔物はシェルバン氏の身体に入っている!
立ち上がったユキは右手で柄を握り左手で鯉口を切ると、ゆっくりと抜いてゆく。父から言われていた言葉を思い出す。
――龍神の力を得て創られたものだ。お前が強い意志でこの刀を振るえば、切れない相手などいない――
刀を正眼に構えた。
「どうやら気付いたようだな」
シェルバンも椅子をずらして立ち上がる。気配を感じたバルク達も部屋に入って来た。
「フフフ、お前達に儂が切れるか?」
シェルバンが壁に飾られていた剣を手にして、攻撃して来るではないか。
これはまずい事になった。四人は防戦一方で反撃する事が出来ない。シェルバン氏の身体を傷つける訳にはいかないのだ。それを分かっている魔物は、余裕で剣を振るって来る。シェルバンの剣が執拗に四人を襲うと、四人はなす術も無くジリジリと下がってしまう。
だが、次に放ったシェルバンの言葉にバルク達は驚愕する。
「若造、久しぶりだな」
「――――!」
「貴様に切られた肩は痛かったぞ」
「ブコビィ!」
その時クイナが動いた。シェルバンの剣を打つ。
「くっ!」
手首を掴んだ魔物が呻き、次はユキが打ち掛かる――
その瞬間シェルバンの身体が崩れ落ちた。
「出たぞ」
黒い影が舞い上がってサロンを回り始めると、クイナが前に出て来る。そのクイナをユキは手で制した。
「いえ、この魔物は私が目当てでしょう」
「ユキさん」
「離れていて下さい」
クイナを退けてユキは刀を顔の横に引き寄せ、目をつぶった。手ほどきを受けていた示現流一撃必殺の剣法。再び脳裏に父の言葉が響く。
――龍神が力を貸すのだ。強い意志を持って成せ――
龍神より授かったと伝わる安綱の名刀である。
閉じた瞼の裏側にさまざまな色が現れては変化して行き、やがて黒一色となる。そこに灰色の魔物が現れた。
真っ赤な口を開け襲い掛かって来た!
「チェストーー!」
ユキが刀を振るうと刃は龍の化身となって魔物に襲い掛かり、見事に断ち切った。飛び散った血が直ぐに黒ずんで行き、ついには染みとなって消えてしまった。




