第106話 王妃さまからのプレゼント
ロンドンでの国債取引の後、王妃さまからは丁寧なお礼の手紙とプレゼントが送られて来た。
「結菜さんこれを見て!」
「なに?」
王妃さまからのプレゼントだという宝石箱がふたりの前に置いてある。その蓋を開けると、中から顔をのぞかせたのは、大粒のダイヤモンドが無数にあしらわれた、ブレスレットだった。
「えっえっえっ!」
結菜さんは正に目をダイヤモンドの様に輝かせて絶句した。
王妃さまが今回の投資で得た利益の何パーセントかは謝礼として渡したいと言って来たのだが、固辞すると代わりにと送って来たものだった。宝石箱にはメッセージが添えられていた。
「ユイナさん、身に付けないのであれば、売ってしまっても構いませんよ」と、
「王妃さまはおれ達の生活の実態をよくご存じだな、結菜さん」
「……それって、皮肉なの?」
「いや、そうじゃないよ」
それにしてもこのブレスレットは豪華すぎる。とても結菜さんが身に着けて出かけるようなものではないだろう。それにこのアパートに置いておくのは不用心だ。
「結菜さん、やっぱりこれは王妃さまの仰る通り、売りに出そう」
「そうね……」
そう言いながら、結菜さんはいつまでもブレスレットをなでていた。
ブレスレットは高額な美術品などの競売で有名なサザビーズに鑑定を依頼した。
但しマリーアントワネットの所有していたものだとは言えない。その様な試みは秀吉の造らせた大判金貨を現代に持って来た時に失敗している。
このブレスレットも本物なら二百年もの時を経ている。ダイヤモンドはくすんでしまっているはずだ。しかし十八世紀から時空移転されたブレスレットは、造られたばかりの輝きを見せているのだ。歴史的価値ではなく、宝飾品としての価値を見てもらうしかない。
「王妃さま、これで彼のイギリス・ロスチャイルド家は大打撃をこうむったかもしれません」
もう常連となっているスターバックスの奥まった席に、おれと結菜さん、そしてストロベリー・フラペチーノを前にした王妃さまがいる。
「しかし、今回の狙いはそこではありません」
「…………」
王妃さま、正確には元フランス王妃マリー・アントワネットは、スプーンをソーサーの上に置くと、おれの顔をじっと見つめ、次の言葉を待っていた。
スターバックスで、おれは王妃さまにロスチャイルド家がこれから辿る苦難の歴史を話し、理解して頂いた。王妃さまにはネイサンに接触すると、おれとの打ち合わせ通りにイギリス・ロスチャイルド家に出資する話を持ち掛けてもらうのだ。
重厚な調度品で埋め尽くされたネイサンの執務室に座る王妃さまは、ロスチャイルド家の先行きに暗雲が垂れ込めていると話し始める。
歴史の教科書には、ワーテルローの戦いでロスチャイルド家が莫大な利益を得たという有名な逸話が残っている。だが、それが本当にどのような取引によって生まれた利益なのか、詳しいことは分からない。しかし今回の国債買い占め騒動で歴史はどう変わってしまったのか。
「ベルリンへの移転は断られているのではないですか?」
「――――!」
聞いたネイサンの顔から、一瞬で血の気が引いた。
それはロスチャイルド家の内部でも、ごく限られた者しか知らない話だった。
「……なぜ、そのことを?」
王妃さまは答えなかった。
「私は、あなた方より少しだけ先の世界を知っているのです」
いきなりロスチャイルド家の内部事情に関する話が、王妃さまの口から飛び出した。ネイサンは本家が発祥の地フランクフルトに固執して、新しい金融の中心地ベルリンに移ろうとしない事を心配していた、この方はなぜそんなロスチャイルド家の内部事情まで知っているのか。秘密は固く守られているはずなのに。
ワーテルローの戦いはフランスで戦われたのだから、元フランス王妃のマリー・アントワネットがいち早く戦況を知ったとしてもおかしくは無い。だが、ロスチャイルド家の内情をそこまで詳しく知っているとは信じがたい事だった。
しかしその資金出費の提案は、この上なく魅力的な話である。さらに共同経営とは言っても、ネイサンの手腕を尊重して、資金を出すだけで、口は出さなくてもいいとまで言っている。ついにネイサンは王妃さまの提案を受け入れた。
しかし王妃さまの提案を呑んだネイサンではあったが、未だに釈然としないものを抱えているらしい。
何度も、どうしてワーテルローの結果を早く知る事が出来たのか、またロスチャイルド家の内情に何故そんなに詳しいのかと、探りを入れる質問をしてくるという。王妃の後ろには並外れた経済ブレーンが存在しているに違いない。ネイサンはそれを知りたがっているようだ。
「王妃さまはどう答えていらっしゃるのですか?」
「情報の大切さを認識しているのはロスチャイルド家だけではありませんと」
「…………」
「私もあなた方ロスチャイルド家を遥かに上回る情報網を持っていますと答えておきました。そうでしょ、ユイト」
そう言った王妃さまはおれの顔を見ると、意味ありげに笑ってみせた。ただ隣に座っている結菜さんは微妙な顔をしていた。王妃さまがおれをユイトさんではなく、ユイトと呼んだからだ。
「ねえユイト」
「ん?」
アパートでおれは結菜さんと昼の食事にカレーライスを食べた後だった。結菜さんは手に持った食べかけのドーナツをお皿の上に置くと、おれを見据えた。
「王妃さまと何が有ったの?」
「ぶはっ」
おれはコーヒーを飲んでいたから、むせそうになってしまった。
「何が有ったって、どういう意味?」
王妃さまのおれに対する態度が変だと言うのだ。確かにそれはおれもうすうす感じている。
「いや、別に、何にも無いよ」
「嘘おっしゃい!」
結菜さんの目がおれを非難している。
「いや、本当だってば」
「王妃さまとあなたは二人だけであの夜出掛けたでしょ」
それは確かに出掛けた。何処か面白い処に連れて行って欲しいと王妃さまから頼まれて行った事がある。秋葉原のメイド喫茶を見せてあげたのだが、それは結菜さんも承知しているはずだ。その時に時空移転したテロリスト集団に襲われる事態に遭遇してしまい、とんでもない事になった。だけど後から結菜さんにはちゃんと全てを説明している。
「それ以外にも何か有ったでしょう」
これはまいった。結菜さんはおれと王妃さまの関係を疑っている。実を言うとおれも王妃さまのおれに対する態度が変化しているのには気がついていた。以前スーパーマーケットに行った時に、サンマの塩焼きに出会った。総菜コーナーの前で王妃さまがおれの腕をつかむと「ユイト……」と声を掛けてきた。目玉の付いた魚がよほどショックであったようであるのだが、この時、王妃さまはおれの腕をつかんだまま離さなかった。それを結菜さんは後ろから見ていたのだ。
確かにあの秋葉原のメイド喫茶に二人して行った夜から、王妃さまのおれに対する態度が変わった感じがする。だけどまさかそこまで結菜さんが疑っているとは思いもしていなかった。
その時、
「結菜さんに逆らったらダメよ」
と、トキがおれの耳元で囁いてくれた。
「あの、本当に何にも無いけど、これからは注意して王妃さまとは接するようにするよ」
「…………」
結菜さんは、しばらく黙っておれを見ていた。
「……本当に?」
「本当だよ」
「じゃあ、約束ね」
「うん」
「絶対よ」
「分かったって」
「…………」
「な、何?」
「別に」
そう言って結菜さんはドーナツを一口かじった。
その時、またトキの声が耳元でした。
「ユイト」
「何?」
「今のは、まだ納得してないわよ」
「えっ……」
「気をつけなさい」
「…………」
おれは、王妃さまよりも結菜さんの方が怖いかもしれないと思った。




