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続・世界構築編纂局 ~勇者適性ゼロから始まる魔王様のスローライフ~  作者: 星乃ふみ


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8/11

Record: 08:何者になるか、ではなく

 編纂(へんさん)局の片隅(かたすみ)。


 すでに大半の職員が帰宅した執務(しつむ)室には、書類をめくる音も、窓口から聞こえていた騒がしい声もない。天井から吊るされた古びた照明だけが、等間隔に並ぶ机を淡く照らしていた。


 その一角で、フェンリルは与えられた小さなデスクに向かい、始末書を書き進めていた。ペン先が紙を擦(こす)る音だけが、静まり返った室内に響いている。


 規定外のスキル使用。配属先のシナリオへの無断介入。本来登場するはずだった冒険者の役割を奪い、物語の進行に混乱を生じさせたこと。


 書面へ記すべき内容は、いくらでもあった。


 しかし、文字を書き連ねるたび、脳裏(のうり)に浮かぶのは規則違反の事実よりも、今日一日の出来事だった。


 早朝から服を選び、贈り物を用意し、慣れない酒場へ足を運んだ。フローラに名前を覚えられていなかった時の衝撃も、席を勧められた時の喜びも、今となっては遠い出来事のように感じられる。


 あれほど胸を高鳴らせた一日だったはずなのに、振り返ってみれば、自分の姿ばかりがひどく滑稽(こっけい)に思えた。


「余は……自分の気持ちを貫くことばかりで、フローラの気持ちを蔑(ないがし)ろにしていたな」


 フェンリルはペンを止め、書きかけの始末書へ目を落とした。


 思えば、最初からそうだった。


 面接の時も、フローラが望んでいた『村の酒場の女A』という役を認めようとせず、より華々しい役へ進むべきだと、自分の価値観を一方的に押しつけた。そして今日もまた、彼女が与えられた役割を果たそうとしていたにもかかわらず、その場面へ割って入り、自分の感情を優先した。


 山賊に掴まれた彼女の手首。

 耳に飛び込んできた悲鳴。


 あの瞬間、考えるより先に身体が動いていた。


 守りたいと思った。彼女が傷つくところなど、見たくなかった。


 けれど結果として、自分が守ったはずの少女から、彼女自身が果たすはずだった役目を奪ってしまった。


「……目の前の少女すら救えず、何が勇者なのだ」


 吐き出した言葉は、誰もいない机の上へ静かに落ちた。


 フェンリルはしばらく身じろぎひとつせず、やがて手にしていたペンをそっと置いた。


 勇者とは何なのだろう。


 聖剣を携(たずさ)え、仲間と旅をし、世界を救う。人々から称(たた)えられ、その名を伝説として後世に残す。そうした華々しい生き方に憧れ、幾度(いくど)となく配属転換の申請を繰り返してきた。


 しかし今、目を閉じて思い浮かべるのは、聖剣でも、勇者として称えられる自分の姿でもない。

 辺境(へんきょう)の小さな酒場で、客の間を忙(せわ)しなく行き来するフローラの笑顔だった。


「フェンリル様。……大丈夫ですか?」


 背後から聞こえた声に、フェンリルはゆっくりと顔を上げた。


 いつの間に来ていたのか、ヴェルナーが少し離れた場所に立っている。彼は机に積まれた書類と、書きかけの始末書を見比べると、近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。


「この程度で心が折れる余ではない。しかし、ヴェルナーよ。今になって、分からなくなった」

「何がっスか?」

「余は……勇者という職業の、何に憧れていたのだろうか」


 ヴェルナーはすぐには答えず、眠たげな目を僅(わず)かに細めた。


「……世界を平和に導くとか、人々に感謝されるとか。そういうのじゃないっスか?」

「そうなのだろうな」


 フェンリルは椅子の背へ身体を預け、天井を見上げた。


「我々は創作者の描いたシナリオに沿って動かされ、その中で善悪すら決められる。魔王として生み出された余は悪を担い、勇者として生み出された者は正義を担う」


 天井の照明が、淡くその横顔を照らしていた。


「だが、余は今日、初めて考えたのだ。……この世界に生み出された一人の存在として、余自身は何を望み、何を成したいのか、と」


 ヴェルナーは机に肘をつき、黙って主の言葉を聞いていた。いつものように軽口を叩くことも、無理に励ますこともしない。


「ヴェルナーよ。主(ぬし)は、今の生き方の先に何を求めている」

「……そんなこと、考えたこともないですよ。言ったじゃないスか」


 ヴェルナーは肩を竦(すく)め、ほんの少しだけ口角を上げた。


「俺は、波に呑(の)まれず、波に乗る。そういう生き方が合ってるんです。何かを求めたり、探したり、肩肘張って生きるのは御免(ごめん)です」

「……虚しくならないのか」

「求めて、手に入らなかった時の方が、よっぽど虚しいでしょう」


 あまりにあっさり返され、フェンリルは僅かに眉を寄せた。


「……主は、いつもそうだな」

「何がっスか?」

「余とは、まるで違うものの見方をする」


 ヴェルナーは小さく笑った。


「そりゃ、俺とアンタは別人ですからね。全員がフェンリル様みたいだったら、魔界なんて一週間で改革案に埋もれちまいますよ」

「……それほどか」

「それほどっス」


 フェンリルは思わず口元を綻(ほころ)ばせたが、ヴェルナーは特に気にした様子もなく、机の上に置かれた書類を一枚手に取った。


「まあ、今いる場所でそれなりに面白いことを見つけて、生きていけりゃ十分ですよ。俺は魔界でアンタの側近やってるの、嫌いじゃないですし」

「……そうか」


 フェンリルはヴェルナーの横顔をしばらく眺め、やがて深く頷いた。


「主が長年、余の側近であり続けてくれたこと。感謝するぞ、ヴェルナー」

「やめてくださいよ、フェンリル様。むず痒(がゆ)くて仕方ねえ」


 ヴェルナーは照れ隠しのように鼻を鳴らすと、手にしていた書類を机へ戻した。フェンリルも小さく笑い、止まっていたペンを取り上げる。


 執務室には再び紙を擦る音が響き始めたが、先ほどまでの重苦しい沈黙とは、どこか違っていた。


 ヴェルナーはその様子をしばらく見守った後、椅子から立ち上がる。


「じゃ、俺は先に帰りますよ。あんま根詰めすぎないでくださいね」

「うむ。主もゆっくり休むがよい」


 扉が閉まる音を聞き届け、フェンリルは始末書の続きを書き進めた。


 窓の外では夜が深まり、執務室の照明が一つ、また一つと落とされていく。それでも彼は、最後の一文字まで丁寧に書き終え、署名を記すと、ようやくペンを置いた。



 ◇◇◇



 翌朝。

 フェンリルは予想していた通り、朝一番で局長室へ呼び出された。


 重厚な扉の向こうでは、部屋の主であるレオンハルトが、相変わらず穏やかな微笑みを湛(たた)えながら葉巻を燻(くゆ)らせている。


 昨夜あれほど悩みながら書き上げた始末書は、すでに彼の机の上へ置かれていた。


「局長よ。其方(そなた)が言いたいことは承知している」

「ふむ。私はまだ何も言っていないが」


 少し離れた場所では、付き添いでやって来たヴェルナーが壁際に控え、二人のやり取りを黙って見守っていた。


「始末書は読んだよ」

「……申し訳ない」

「で、君は何を学んだ?」


 叱責(しっせき)でも、失望でもない。いつもと変わらぬ穏やかな声だった。


 フェンリルは膝の上に置いた両手を一度握り締め、正面からレオンハルトを見返した。


「余には、勇者としての適性がない」

「ふむ」

「……此度(こたび)の一件で、ようやく分かった。余が求めていたものは、勇者という肩書きそのものではなかったのだ」


 レオンハルトは何も答えず、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


 部屋の隅に置かれた蓄音機(ちくおんき)へ歩み寄り、慣れた手つきで針を落とす。やがて静かな旋律(せんりつ)が室内へ流れ始めると、彼はその音に耳を傾けながら、どこか懐かしそうに目を細めた。


「以前、勇者として生み出されながら、その勇者という席を自ら蹴った男がいてね」

「……何故(なぜ)だ」

「彼にとって、勇者であることより、自分であることの方が大事だったからだよ」


 フェンリルは顔を上げ、レオンハルトを見つめた。


「……その男は、どうなった」

「さあね。今頃、どこかで自分の物語を生きているのではないかな」


 レオンハルトは穏やかに微笑んだ。


「君も今回、それを感じたのではないかね?」

「……余は、勇者になることが夢であった。しかし今、その夢を抱いた理由が分からなくなっている」


 フェンリルは自分の膝元へ目を落とし、暫(しばら)く沈黙した。


 魔王として生み出され、幾度となく勇者と対峙(たいじ)してきた。敵として相(あい)まみえるたびに、彼らが手にしている聖剣や、仲間たちとともに歩む姿を羨(うらや)ましく思っていた。


 けれど今は、同じ未来を思い描こうとしても、どうしても別の光景が浮かんでしまう。


「……余は、勇者でなくともよいのだろうか」


 その問いに、レオンハルトは静かに笑った。


「それを私に聞くのかね?」

「…………」


 フェンリルは言葉を詰まらせた。


 レオンハルトは蓄音機の傍(かたわ)らに立ったまま、ゆっくりと言葉を継いだ。


「適性というものは、君が何に向いているかを示すことはできる。だが――君が何を望んで生きるかまでは、決めてくれないよ」


 フェンリルは俯(うつむ)いたまま、その言葉を聞いていた。


 蓄音機から流れる旋律が一節(いっせつ)を終え、次の旋律へ移る。レオンハルトはそれ以上語ることなく、葉巻の煙を静かに吐き出した。


「さて。フェンリル君」

「……何だ」

「君はこれから、どうしたい?」


 その問いを受け、フェンリルは目を閉じた。


 浮かんだのは、辺境の小さな酒場だった。


 窓から差し込む陽光(ようこう)の中、フローラがジョッキを抱え、忙しなく客の間を行き来している。誰かに呼ばれれば振り返り、時には呆れた顔で客をたしなめ、それでも楽しそうに笑っている。


 その光景の片隅に、自分の姿があった。


 聖剣も、王冠もない。誰から称えられるわけでもなく、ただ彼女のいる場所で、穏やかな時間を過ごしている。


 フェンリルはゆっくりと瞳を開いた。


「局長よ。余は、面接官を経験して気付いたことがある」

「ふむ。何かね?」

「物語を形成するのは、勇者やヒロインといった花形(はながた)だけではない。荒くれも、酒場の店主も……そこで働く女も。様々(さまざま)な登場人物がいてこそ、ひとつの世界は成り立つ」


 面接室で自分に怒鳴り返した荒くれの顔が浮かぶ。


 あの男は、自分が望む暮らしを選んでいた。少なくとも、フェンリルが思い描く勇者の人生を羨んではいなかった。


 続いて思い出したのは、「そんな肩書き、興味ない」と言い切ったフローラの姿だった。


「……余は、あの者たちの言葉に耳を傾けようともせず、自分の考えを押しつけていたのだな」


 フェンリルは僅かに苦笑した。


「魔界の経営者ともあろう者が、こんなことにも気付かずにいたとは。情けないことだ」


 レオンハルトはその言葉を聞き、満足そうに頷いた。しかし、もう助言を重ねることはなかった。


 フェンリルはしばらく黙っていたが、やがて背筋を伸ばし、真っ直ぐにレオンハルトを見据えた。


「……局長よ」

「何かね?」


 フェンリルは一度だけ息を吸い込んだ。


「村の青年という役に、空きはあるか」

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