Record: 04:採用面接に私情は禁物
世界構築編纂局、第七窓口の奥──面接室。
そこは、書類審査を通過した者だけが足を踏み入れることのできる部屋だった。
ここで人事担当者との面接を受け、無事に通過すれば、キャラクターたちは晴れて次なる物語への配属が決まる。彼らにとっては、今後の人生を左右する重要な場所でもある。
「あー……次の人、どうぞ」
そんな場所にはあまりにも似つかわしくない気怠げな声が響いた。
フェンリルの転職活動に付き合っていただけのはずが、いつの間にか『面接官補佐』という肩書まで与えられてしまったヴェルナーが、応募書類を捲りながら次の候補者を呼び入れる。
その隣では、長机を挟んでパイプ椅子に腰掛けたフェンリルが、応募者を迎えるべく真剣な面持ちで背筋を伸ばしていた。
「ウーッス」
気の抜けた声とともに入室してきたのは、見るからに治安の悪そうな男だった。
両腕から首筋にかけてびっしりとタトゥーが刻まれ、乱れた髪には清潔感の欠片もない。男は煙草のヤニで黄ばんだ歯を覗かせながら、悪びれる様子もなくニヤニヤと笑っている。
「えーっと……希望職種は『酒場に現れる荒くれA』っスね」
ヴェルナーが書類の内容を確認すると、男は返事の代わりに面倒そうに鼻を鳴らし、パイプ椅子へ乱暴に腰を下ろした。
「ったく、だりぃよなあ、こんな面接。荒くれ如きにこんなことするの、無駄でしかねえよ」
「…………」
フェンリルの手が、ぴたりと止まった。
「……貴様。真剣に面接を受ける気はあるのか」
「は? 希望職種『荒くれ』の俺に、そんなモン求めんのかよ」
男は悪びれるどころか、挑発するように椅子の背へふんぞり返る。その態度を目にした瞬間、フェンリルの眉間に深い皺が刻まれた。
「面接とは、人事評価を決める上でもっとも重要な選考の場だ。それを希望職種が荒くれであるという理由だけで軽んじ、不遜な態度で臨む貴様に、この世界で活躍する場などない……!」
「はぁ?」
男を前に、フェンリルの怒気が目に見えて膨れ上がっていく。
やがて足元から黒紫色の瘴気がゆらりと立ち昇り、床を這うように長机の向こうへ広がり始めた。
「ひっ、ひいぃっ!!」
さすがの荒くれも椅子ごと後ずさり、先ほどまでの余裕を失って青ざめる。
その様子を見たヴェルナーは、小さく息を呑んだ。
初日から応募者を瘴気で威圧したとなれば、始末書程度では済まない気がする。そもそも契約時に、魔王としての能力は使用しないよう釘を刺されたばかりではなかったか。
「フェンリル様。コイツの言う通りっスよ」
その言葉に、フェンリルがゆっくりと振り向く。同時に、室内を満たしかけていた瘴気の勢いがわずかに弱まった。
「……言っちゃあアレですけど、モブキャラ一人ひとりに、ここまで丁寧な面接をするってのは確かに非効率ではあります。物語の転換点に関わる人物とか、主人公たちにとって重要な伏線になる人物とか、そういう連中に絞って面接して、あとは書類審査だけでアサインした方が、業務効率は格段に上がりますよ」
フェンリルは何も答えなかった。
先ほどまで荒くれへ向けられていた眼差しをヴェルナーへ移し、その言葉を吟味するように黙り込む。やがて室内を漂っていた瘴気が完全に消えると、腕を組み、深く頷いた。
「……なるほど。一理ある。これは改革の際、最優先課題としよう。マニュアルにも、登場人物の重要度による審査フローを、それぞれ加筆するべきだな」
「切り替え早えなオイ」
つい数秒前まで殺されかけていた荒くれが、青ざめた顔のまま二人を見比べる。フェンリルは机の上に置かれた人事マニュアルを引き寄せ、再び男へ向き直った。
「……ところで、主の志望理由は何だ」
「は?」
「荒くれなど、物語の進行上、主人公たちを画面映えさせるための存在に過ぎぬ。なぜ、わざわざその役を望む。勇者を目指そうとは思わぬのか」
その問いに、男は一瞬きょとんとしたものの、すぐに鼻で笑った。
「ハッ、俺が勇者ぁ?」
椅子の背にもたれたまま、値踏みするようにフェンリルを上から下まで眺める。
「俺がそんなモンやるくらいなら、アンタがやった方がよっぽど画面映えするだろ」
「…………」
思いがけない言葉に、フェンリルの眉が僅かに動いた。
荒くれ希望の男はそんな反応など気にも留めず、面倒そうに頭を掻く。
「俺はそんなスカしたキャラは御免だね。酒場の隅で美味い酒が飲めて、たまに主人公に絡んでぶっ飛ばされるくらいでちょうどいいんだよ。あとは適当に生きられりゃ、それでいい」
「……己のキャリアを向上させる意欲は無し、か」
フェンリルはしばらく男を見つめていたが、それ以上問い質すことはなかった。やがて書類へ目を落とすと、迷いなく印章を取り上げる。
重々しい音とともに、『不採用』の赤い文字が応募書類の上へ刻まれた。
「不採用だ」
「はあ!? なんでだよ!!」
椅子から飛び上がった男の怒声が、面接室いっぱいに響き渡る。
フェンリルは印章を押したばかりの書類を、男の前へ差し出した。
「よいか、荒くれ志望よ。確かな経験を積み、見聞を広めることで、初めて見えてくる世界もある。己の可能性を広げる機会がありながら、それを敢えて選ばず、『適当でいい』などと口にする者を、余が面接官である限り採用することはできぬ」
「ふざけんなよ! なんで俺の生き方まで、アンタにそんな否定されなきゃならねえんだ!」
荒くれ志望の男は勢いよく椅子から立ち上がると、不採用通知をひったくるように受け取った。最後まで納得できない様子で悪態をつきながら面接室を出ていき、乱暴に閉められた扉の音だけが残る。
フェンリルはその背中を見送りながらも、自らの判断に疑問を抱いた様子はなかった。むしろ当然の責務を果たしたとばかりに、次の応募書類へ手を伸ばそうとする。
「フェンリル様。……あんま言いたかないですけど」
「何だ。申してみよ」
ヴェルナーは閉ざされた扉とフェンリルを交互に見やり、言いにくそうに頬を掻いた。
「……多様性の時代なんですから、志望理由も生き方も、色々あっていいんじゃないスか?」
フェンリルの手が止まった。
「別に全員が上を目指したいわけじゃないでしょう。あいつみたいに、責任の重い役なんか御免だ、酒飲んで適当に暮らしたいって奴がいたっていい。本人がそれを望んでるなら、それも一つの生き方じゃないスかね」
「……だが、己の可能性を自ら閉ざすことを、余は──」
フェンリルがなおも自論を展開しようとしたその時、何の前触れもなく面接室の扉が開いた。
「あ、スンマセン。まだこっちから呼んでないので、外で待ってもらってもいいですか?」
「え? そんな採用システムありましたっけ?」
聞き慣れない少女の声に、フェンリルが振り返る。
その瞬間、彼の中ですべてが停止した。
扉の前に立っていたのは、一人の少女だった。
柔らかな茶色の髪を花柄のヘアバンドでまとめ、淡い緑色のワンピースの上には、素朴な生成りのエプロンを身につけている。華美な装飾などひとつもない。それでも、こちらを見つめる青い瞳と穏やかな顔立ちから、フェンリルはどうしても目を逸らすことができなかった。
「……っ」
数百年にわたり魔界の頂点に君臨し、幾多の戦場を潜り抜け、どれほど強大な敵を前にしても動じることのなかった男を、これまで経験したことのない衝撃が襲った。
「あのー……?」
少女が不思議そうに首を傾げる。
その仕草ひとつで、フェンリルの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
頬が熱い。呼吸が浅い。鼓動が早鐘のように鳴り響き、頭の中から先ほどまで考えていた人事制度も、キャリア形成も、業務効率化も綺麗さっぱり吹き飛んでいく。
みるみるうちに顔を真っ赤に染め、ついには頭から黒い蒸気まで噴き出し始めた上司を前に、ヴェルナーは少女への対応も忘れて目を見開いた。
「……フェンリル様?」
「……なっ、な、なな……」
「なな?」
フェンリルは震える指先で少女を示した。
「名を、名乗れっ!」
「名前……ですか? 書類に書いてません?」
「…………!」
フェンリルは弾かれたように応募書類へ目を落とした。
そこには、目の前の少女の顔写真とともに、丸みを帯びた可愛らしい文字で『フローラ』と書き込まれている。
「フ……フローラと申すか」
その名を確かめるように口の中で繰り返すと、フェンリルは感極まったように目を細めた。
「真に、よき名だ……」
「あのー……フェンリル様?」
隣から心配そうに呼びかけるヴェルナーの声など、今のフェンリルの耳には一切届いていない。
やがて何を思ったのか、フェンリルは居住まいを正した。狼狽をどうにか取り繕おうと胸を張るものの、顔は未だ耳まで真っ赤なままである。
「よ……余は、元・魔界の王──フェンリル・エクリプスである!」
「はい?」
「得意魔法はメテオ。扱う武器はダークロッドだ。好きな食べ物はレッドドラゴンの肉。好きな色は黒。……訳あって、今はこの世界構築編纂局で面接官をしている」
突然始まった上司の自己紹介を前に、ヴェルナーは完全に言葉を失った。
今の情報のうち、面接に必要なものがひとつでもあっただろうか。
「はあ……」
一方のフローラは大して興味もなさそうに相槌を打つと、空いていたパイプ椅子を引いて腰を下ろした。
「あの、私、『酒場の女A』希望なんで。早く面接してくれます?」
「なっ……!!」
フェンリルの顔から、今度は別の意味で表情が消えた。
「お、お主ほどの女子が、よもやヒロインではなく、ただのモブを希望すると申すか!?」
思わず身を乗り出したフェンリルの一言に、それまで淡々としていたフローラの表情が目に見えて曇った。
「……なんでアンタに、そんなこと言われなくちゃならないわけ?」
「……っ」
荒くれを震え上がらせた魔王の威厳は、どこへ消えたのだろう。
フローラから鋭い眼差しを向けられた途端、フェンリルの肩がびくりと跳ねた。そのまま叱られた子犬のように小さく身を縮めながらも、どうしても納得できないのか、恐る恐る口を開く。
「だ、だが、お主ほどの美貌があれば、いずれ勇者と結ばれるヒロインの座を射止めることなど造作もないであろう! なぜ自らその可能性を閉ざし、モブなどという端役に身を投じようとするのだ!?」
フェンリルとしては、最大限の賛辞だった。
少なくとも本人だけは、そのつもりだった。
「うざ……」
「う、うざ……!?」
フローラの口から零れた二文字に、フェンリルの顔が引き攣る。
数百年にわたって魔界を統治し、幾多の冒険者から畏怖されてきた魔王フェンリル・エクリプスは、生まれて初めて向けられた種類の拒絶を前に、完全に硬直した。




