Record: 02:転職相談?いいえ、『経営改革』です
穏やかな朝日が差し込む、世界構築編纂局・第七窓口。
眉目秀麗、古代竜の末裔という申し分のないスペックを持ちながら、創作神による未完放置の憂き目に遭い、果てはシュレッダー係へと落ちぶれた王道ファンタジーの元・勇者候補──セシル・ヴァレンタイン。
そんな彼が自らの物語を求めて旅立った後も、この職場の日常が変わることはなかった。むしろ人員が一人減った分、以前にも増して激務を極めている。
朝から第七窓口に詰め寄っていたのは、かつてセシルから冷ややかな目を向けられ、カノンの容赦ない毒舌マシンガンによって這々の体で逃走した、あの無双おじさんだった。
「おい! 俺の配属先はまだ決まらねえのか!? あれから俺も剣の腕を上げて、ついに『はがねのつるぎ』を扱えるレベルまで到達したんだぞ!」
窓口へ両手を叩きつけ、無双おじさんは以前にも増して逞しくなった胸を張った。
「あと、猫好きというギャップ萌え設定との整合性を取るために、実際に猫も飼い始めた! いい加減、俺の配属先を決めてくれ! 猫の餌代が嵩んでんだよ!」
受付嬢は、おじさんの姿を上から下まで静かに観察した。
以前より僅かに逞しくなった腕。腰元には、前回訪れた際にはなかった剣が下げられている。少なくとも、本人が申告した通り鍛錬を重ねてきたことだけは間違いなさそうだった。
しかし、彼女の視線が胸元へ移ったところで、その動きが止まる。
逞しくなった身体を無理やり押し込めるような、ぴちぴちのシャツ。胸元には飼い猫と思しきイラストが大きくプリントされ、その下には力強い筆文字で二文字が刻まれていた。
『下僕』。
「……お客様。あいにく現在、無双・チート系は候補者様が飽和状態となっております。こちらの履歴書のみでは、お客様の適性を判断しかねます」
「なんでだよ! 前より明らかに個性増してんだろ!?」
受付嬢の無慈悲な回答に、おじさんがさらに窓口へ詰め寄ろうとした、その時だった。
背後で大きなどよめきが起こった。
何事かとおじさんが振り返る。それにつられるように、窓口へ並んでいた候補者たちも、書類を抱えて行き交っていた局員たちも、次々と足を止めた。
人々の視線が、一斉に入口へと集まる。
無意識に道を空けた先には、二人の男が立っていた。一人は灰色の髪に鋭いアメジスト色の瞳を持つ長身の男。もう一人は、その半歩後ろに控える赤髪の青年である。
どうやら目立たぬよう多少は身なりを改めてきたらしい。しかし残念ながら、纏っている雰囲気までは隠せていなかった。
「……フェンリル様。やっぱり正門から堂々と入るの、ダメですって。みんな引いてますよ」
周囲から突き刺さる視線に耐えかねたヴェルナーが、声を潜める。
しかしフェンリルは、自分たちを中心に人垣が割れている理由などまるで理解していない様子で、悠然と第七窓口を見渡した。
「何を言う、ヴェルナー。勇者枠への申立てだ。正規の手順を踏まねばなるまい」
そう言い切ると、周囲の反応を気に留めることもなく窓口へ向かって歩き出した。ヴェルナーはその後ろ姿を追いながら無造作に頭を掻き、「やれやれ……」と深い溜息を漏らす。
二人が近づくにつれ、職員たちの間にも緊張が走った。書類を捲る音や候補者を呼ぶ声で満ちていた一角が、不自然なほど静まり返っていく。
そんな変化には気づかぬまま、フェンリルは空いていた窓口の前で足を止めた。
「配属転換の申請に来た」
「は、はい。では、現在の配属先とお名前を──」
顔を上げた受付嬢と、フェンリルの目が合った瞬間、彼女の動きが止まった。
アメジスト色の瞳の奥で妖しい光が揺らめく。受付嬢は吸い寄せられるようにその顔を見つめ、やがて頬を赤らめながら、うっとりと呟いた。
「……素敵な殿方」
「フェンリル様」
間髪入れず、背後からヴェルナーの声が飛んだ。
「『誘惑』のスキル、出てます」
「……む」
フェンリルは指摘されて初めて気づいたらしく、意識して瞳に宿る魔力を抑え込んだ。
「すまない。無意識だった」
我に返った受付嬢は、誤魔化すように小さく咳払いをすると、カウンターの下から一枚の書類を取り出した。
「それでは、こちらの配属転換申立書へ必要事項をご記入ください」
「承知した」
フェンリルは羽根ペンを手に取り、迷いなく必要事項を埋めていく。その間に受付嬢は、登録情報へ目を落とした。
「……フェンリル・エクリプス様。現在の配属先は魔界、役職は……魔王」
そこで一度、彼女の声が止まった。
書類から顔を上げ、改めて目の前の男を見つめる。
灰色の髪に、鋭いアメジスト色の瞳。多少は変装してきたらしいが、その立ち姿から滲み出る威圧感までは隠しきれていない。
「……魔王、ですね」
「左様」
何の疑問もないらしい。
「では、こちらに希望される配属先をご記入ください」
「うむ」
フェンリルは一瞬たりとも迷わなかった。
希望配属先の欄へ、力強く『勇者』の二文字を記す。続く志望理由にも、長年焦がれ続けた勇者への熱い思いを乗せ、流麗な筆致で文字を連ねていった。
その眼差しは、あまりにも真剣だった。
長い睫毛の奥に覗く瞳には、妖しい光などもう宿っていない。それでも端正な横顔と、一心に書類へ向き合う姿だけで、受付嬢の頬には再びほんのりと赤みが差していた。
やがて最後の一文字を書き終えると、満足げに羽根ペンを置いた。
「書き終えたぞ。局長にお目通り願いたい」
「えっ」
受付嬢は差し出された申立書を受け取り、『勇者』と記された希望欄から、びっしりと埋め尽くされた志望理由へ目を走らせる。
「……恐れ入ります、お客様。局長との直接の面談は予約制となっておりまして、事前に局長本人の承認が必要となります」
「……何だと?」
途端に険しくなったフェンリルの表情にたじろぎながらも、受付嬢は業務用の笑顔をどうにか崩さず、頭を下げた。
「申し訳ございません。当局のお問い合わせフォームより、改めて面談希望日のご予約を──」
「訪れた客人を、予約の名のもとに門前払いするというのか」
低く響いた声とともに、フェンリルの周囲から黒い瘴気が立ち昇る。
「客人との対話より制度を優先するなど、経営者の風上にも置けぬ。そのような悪しき慣習は、即刻改めるべきだ」
空気が一気に重くなり、受付嬢の顔から血の気が引いた。
まずい。
背後で事態を見守っていたヴェルナーは、慌てて二人の間へ割って入った。
「フェンリル様! 俺らの常識をここに当てはめちゃダメですって! ここは魔界じゃないんですから、今日は一旦引いて、改めて予約取りましょう!」
「ヴェルナー!」
フェンリルは信じられないものを見るように側近を振り返った。
「お主、魔界の経営陣に名を連ねる者として、このような古き慣習に囚われた人間界を見て、改革が必要だとは思わぬのか!? 役員として恥ずかしくはないのか!」
「いや、魔界のDX推進をここに適用するには、システム的にもまだ──」
「ならば余が勇者となり、この人間界そのものを変革する! まずは魔界と人間界を効率よく繋ぐため、Slackのワークスペースを作るぞ。ヴェルナー!」
「そんなところで魔界と人間界を強制接続すんじゃねえ!」
もはや配属転換の申請だったはずの話は、いつの間にか魔界と人間界を跨ぐ壮大な業務改革へと発展していた。
受付嬢は完全に言葉を失い、周囲の候補者たちも遠巻きに二人を眺めている。そんな収拾のつかない口論を制するかのように、窓口の奥から大きな声が響いた。
「フェンリル・エクリプス様!」
名前を呼ばれた瞬間、フェンリルとヴェルナーが揃って振り返る。
「局長が、特別に面談を行うとのことです! どうぞこちらへ!」
周囲を震わせていたフェンリルの怒声が、ぴたりと止んだ。立ち昇っていた瘴気まで嘘のように霧散していく。
フェンリルは乱れてもいない襟元を整えると、何事もなかったかのように威厳たっぷりの佇まいへ戻った。
「……最初からそう申せばよいものを。出し惜しみしおって」
「……ったく。いちいち暴れられたら、俺の胃がもたないっスよ」
二人が通された局長室には、それまでの喧騒が嘘のような静けさが広がっていた。
室内には優雅なクラシック音楽が流れ、窓辺や棚には色とりどりの花が飾られている。重厚な調度品が並ぶその最奥、豪華な革張りの椅子に腰掛けていたのは、見た目だけならどう見てもファンタジー世界の大神官としか思えない風格を漂わせた男──世界構築編纂局局長・レオンハルトだった。
フェンリルはその姿を正面から見据えると、堂々と口を開いた。
「其方が、局長か」
「いかにも。世界構築編纂局局長、レオンハルトと申します」
「余は、ここ数百年にわたり魔界を統制し、幾多の改革を重ねてきた魔王、フェンリル・エクリプス。本日は、勇者への配属転換、並びに人間界における業務改革の提案を申し立てたい」
「いや、フェンリル様。業務改革は余計です」
隣からすかさず飛んできたヴェルナーの声に、フェンリルはゆっくりと顔を向けた。その眼差しは、転職を懇願していた男のものではない。数百年にわたり巨大な魔界組織を統率してきた、紛れもない経営者のそれだった。
「控えよ、ヴェルナー。余は、このような怠慢なシステムを見過ごせるほど落ちぶれてはおらぬ。転職希望者を滞りなく物語へ配置するためにも、DX推進は急務であるぞ」
「だから、転職希望者が面談開始三十秒で経営に口出すなって言ってんスよ」
レオンハルトは、二人のやり取りを穏やかな微笑みを浮かべたまま見守っていた。やがて顎髭をゆっくりと撫でながら、手元の書類へ目を落とす。
「お二人の履歴書と職務経歴書は、すでに拝見しました。ふむ……非常に優秀な御二方だ。数百年に及ぶ魔界の統治実績に加え、組織改革にも積極的。部下からの信頼も厚く、決断力、統率力ともに申し分ない」
「当然であろう」
フェンリルは満足げに頷くと、革張りの椅子へ深く腰掛け、堂々と脚を組んだ。
「余のこれまでの実績を鑑みれば、次なる配属先は勇者以外にあるまい。転職した暁には、人間界のキャラクターがより効率よく物語へ配置されるよう、優秀な人材を選抜する採用制度を構築しよう。キャリア組を積極的に登用し、即戦力として各物語へ送り込める体制を早急に整えてみせる」
「…………」
もはや勇者になりたいのか、世界構築編纂局を改革したいのか分からない。
ヴェルナーは、なおも経営者としての姿勢を崩さないフェンリルを横目に見て、とうとう口を挟むことを諦めた。
長年、側近として仕えてきたからこそ、フェンリルの有能さは誰よりも理解している。数百年にわたって魔界を統治し、旧態依然とした制度を改め、数多の魔族を束ねてきた。その実績だけを見れば、彼ほど優秀な統治者もそうはいない。
ただし、それが勇者としての適性に繋がるかどうかは、まったく別の話である。
レオンハルトはそんな二人を交互に見つめながら、何やら楽しげに顎髭を撫でていた。




