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乳母になるまでのことは思い出したくもない

 (わたし)、マーサ・コナッティ・ユブンズは今ではザボン公爵家の領地で領主代行をさせていただいているのですが、王宮女官として働き始めた頃はあのポンコツ王妃様ではなく王太后様が王妃様でした。

 王太后様は皆様が思い浮かべるような王妃そのもので、優雅さと聡明さを兼ね備えた御方でした、女官にとっても黄金期と言えます。


 私はコナッティ伯爵の娘として誕生しました。

 私が育ったコナッティ家の領地は王都と離れているため貴族新聞も10日も前の新聞が届くのですが、その分素晴らしい風景が広がっています。

 連なる山々は美しく紅葉も雪景色も有名ですし、空は高く空気も澄んでいて領地にあるビュンタン湖は夏でも水温が低いので泳げませんがボート遊びができますし、冬になると完全に凍結するためスケートが楽しめます。

 我がコナッティ領は貴族の遊び場として有名でした……過去形になってしまったのは湖が完全に凍結しなくなったせいです。

 そういった事情もあり、私がお年頃だった時のコナッティ家は観光事業が破綻して領民と共に乗り越えようと奮闘していました。

 なので、頑なに「そんなことはできない」とか「マーサのお金に手を付けるなんて」とか言う両親に「私の持参金を使って危機を乗り越えよう」と説得しました。私は嫁ぐ代わりに稼いで仕送りをするため王宮女官を目指して家庭教師より割安な専門の学校に通って勉学に励みました。

 私の努力は報われ、学校卒業と同時に無事に王宮女官になることができました。

 しかも勉強していくうちに次第に憧れの存在になっていった王妃様付きになれ、とても楽しい毎日でした。


 ですがすぐに王宮女官の職を選んだことを激しく後悔するようになりました。


 理由は、王太子アズール様が正式な婚約者として幼馴染の男爵令嬢パメラ様を選んだからです。

 家格からしてあり得ない縁組でしたが、宰相を務めておられるプロスタン公爵と、騎士団長を務めておられるメジャー公爵と、王を第一とする絶対主義派の代表であるメライフ公爵と、領地に大きい港を持ち海洋貿易を牛耳っているため我が国ボアルで一番(王家を除く)の資産家クーパー公爵家の嫡子達が、爵位を継いだ暁にはパメラ様の後ろ盾になると言い出しただけではなく、全員がパメラ様へ生涯の忠誠を捧げるために独身主義宣言したせいで大混乱に陥りました。

 王家は勿論ですが貴族の当主となるべく育てられた人物は、家に利益のない理想論を掲げて独裁的な行為を行ってはなりません。

 特に公・侯爵家は「絶対主義」「寡頭主義(かとうしゅぎ)」「中立」といった政治思想が同じ家門の頂点になるため一族だけではなく他家の未来も担っています、独身宣言した彼等には婚約者がいるのだからパメラ様だけを生涯、想い続けるなど許されるわけがありません。

 貴族として生まれた者はいちいち教わらなくても普通なら成長過程で「当主となる者は家より恋愛を選ぶなら嫡子の座を明け渡すもの」だと気付きます、家と家を繋ぐ役割を担う嫡子に自由恋愛など存在しません、彼等が異常なのです。

 政略による結婚を拒否して独身宣言した嫡子達は例外なく()()えられ、新しく嫡子になった者の婚約が解消されて家同士の契約が守られましたが、コチラが整えばアチラに被害が及ぶといった具合に婚約者挿げ替え騒動は際限なく広がっていきました。

 王は一人娘の婚約者を失い爵位を返上しなければならない貴族に限り、令嬢でも爵位を受けることを許し、貴族に王太子アズール様とパメラ様の結婚を認めさせた後、王の座をアズール様に譲り、隠居の道を選ばれました。

 王のやり方は一見すると「逃げ」であり、王太子アズール様にとって最大の温情と受け取る人物もいるかもしれませんが、決して生易しい処分ではありません。共に国を導いていく仲間を失ったアズール様は、ご自身の(おご)りによって失墜させた王の地位をたった一人で回復させなければなりませんし、王妃に選んだパメラ様は優しい性格だけが取り柄で、アズール様の甘やかしにより貴族令嬢としての品格のない幼子のまま大人になられた、いわばアズール様の愛玩動物です。

 そんな方が「王妃」、国の未来に絶望しか見えません。

 王太后となられた王妃様を失い、王宮の女官達は二分に別れました。


「私ならアズール様の寵妃になれるわ、だってパメラ様より私の方が美しいもの~」


「パメラ様が王妃になれるなら私だって王妃に相応しい筈よ!」


 と公言してアズール様の寝所に不法侵入したりパメラ様に軽いケガをさせたりし始めるお花畑一派と、それでも「秩序を守ろう」と……というのや「王太后様に恥じない仕事を」というのも少しはありますが、働かないと生きていけないから・高給を失いたくないから真面目に仕事をする一派です。

 当時の城は地獄でした。

 アズール様はお花畑やパメラ様を泣かせた相手をパメラ様に対する善意や悪意やパメラ様のお願いを無視して全員処分してしまい、王宮女官と文官と騎士の人数は減る一方で休暇も返上・時間外労働は当たり前になってしまいました。

 そしてパメラ様には侍女すらいないのだから、ご懐妊されても乳母候補がいないため城にいる独身女性達は婚活させられました。

 既に27歳、貴族令嬢として行き遅れだった私もこの時に王宮騎士(美形ではありませんがお互い様、私は彼の優しさと筋肉美に、彼は私の「ありもの料理」に惚れたのです)と結婚でき、コナッティの姓に夫のユブンズ姓が追加されたのでソコだけ文句はありません。

 城の中が落ち着いたのはアズール様とパメラ様の間にパズアドラ様が誕生してザボン公爵家との縁組が決定してからでした。


 かといって平穏が訪れたかというと、そうではありませんでした。


「あ~、美味しかった。今日も素晴らしいお茶の時間だったわ~、ありがとう。じゃあ私はパドの所に行くから後はヨロシクね~」

「パメラ様、王妃として社交開始の最初の一杯はどちらの銘柄を」

「エ?お茶なんて「美味しい」か「美味しくない」かよね。あッ!先に牛乳を注いでおかないと茶器が割れるから気を付けないといけないって!それと~、「紅茶は煎れ方が大事」だってお母様は言ってたわ、それだけ気を付けてくれればいつものハーブティーか薔薇のアールグレイでいいわよ」


 王妃なのに国を統べる王が住む城で熱い紅茶を注いだ程度で割れるような安物の茶器を使用しているとなぜ思うのか。

 加えて、貴賓を迎えてもてなす立場にある王宮侍女は紅茶をマズく煎れる方が難しいのだからパメラ様の言葉は何の助言にもならない。

 パメラ様はヒラヒラと手を振って駆け足で私達の前から去って行かれている、腹立たしい。


「王妃様、王宮内を走ってはなりません」

「ごめんなさ~い!」


 茶器類を片付けるためにワゴンを押していた女官から注意されてもパメラ様はニッコリ笑って謝るものの、そのまま走って行かれた。


「王妃様には困ったものだわ、今年の紅茶の出来栄えを称えるお茶を選べないなんて」

「マーサ、そんなことになっていますの?」


 先ほどの王妃様とフィンチ女官長様の遣り取りを知らない女官が驚いた顔をしています。


「ええ、そうなのよ」


 同僚の女官に返事をすると眉間に皺を寄せて溜め息を吐いた、王妃として力量不足でも全く努力しないパメラ様に呆れているのだろう。


「ですが……フィンチ女官長様、ボアル国内にある産地からお茶の選出をされないなど、そんなことが許されるのでしょうか?」


 私は社交開始のお茶会が大失敗に終わるのが気にかかりフィンチ女官長様に問いかけた。


「そんなわけないじゃないの、王太后様のようにボアルでお茶を栽培されている領地の中から今年の基準となる紅茶を王妃であるパメラ様が決めなければいけないのよ……またプロスタン宰相様と相談しなければ」

「お疲れ様ですフィンチ女官長様、片付けておきますのでお早く」

「ありがとう、任せるわね」


 女官長の疲れた笑いに疲れた笑いを二人で返すしかありません。

 ……時折、私が王妃様を踏み(にじ)りたくなる衝動に駆られるのはとても疲れているせいでしょう。



「今日、行く孤児院への差し入れは「お酒が入ったチョコレート」ですの?」


 ザボン公爵夫人・エレーヌ様が「信じられない」という顔で王妃様に言われています。

 同席していた私達も驚きを禁じ得ません、私達はモノがモノなだけにてっきり王妃様が日頃からお世話になっているエレーヌ様に贈るか、夫婦で楽しまれるために用意するように命じられたと思っていました。


(孤児院への差し入れ?!しょ……正気なの?)

「アズール……じゃなかった、陛下(へーか)って言わないといけないのよね、陛下(へーか)に貰って一緒に食べたんだけどね、とぉ~っても美味しかったのよ。それに「子供には色々な食べ物を食べさせた方がいい」って言うでしょ、だから!」


 ……な、殴ってもよろしいでしょうか?


(馬鹿が……馬鹿が過ぎます)


 何も反応できずに固まる私達女官に対し、エレーヌ様は一つ咳払いをして王妃様を(さと)しだしました。


「王妃様、酒はたとえチョコレートの中に少量だけ入っていても子供に与えてはいけませんわ。王妃様の仰られる通り子供の体は成長途中、なので色々な食べ物を食べる必要がありますが大人と違ってアルコール成分を分解する能力に長けてないのです」

「でもぉ……何も差し入れがないっていうのは可哀想よ。そうだッ、行く途中に買えばいいのよね、発酵バターのケーキを売っている有名な店があるの!数量限定だけど買い占めれば足りるわよね」


 王妃様は「名案!」みたいに手を打ってそんなことを言い出しました……王妃様は王族としての権力を最悪の方向に振り(かざ)しているのですから正気に戻すためにも強めに殴っていい気がいたします。

 再びエレーヌ様が咳払いしました。


(もう頼れるのはあなた様だけですエレーヌ様、このポンコツをなんとかしてくださいませ!)

「王妃様、今回の差し入れは食材にしてみては?」

「いいわね!ザボン公爵夫人、私ね、クッキー作りは得意よ!」


 落ち付くところに落ち着きましたが、料理長を押し退けて「最後まで自分で作らなきゃ、焼き上がりも私が確認するわ!」と駄々(だだ)を()ねておきながらクッキーを焦がす王妃様です、いつものように王宮の高級食材が無駄になる未来しか見えません。

 だがエレーヌ様と目が合うとニッコリと微笑まれてしまいました。

 王妃様は子供達と本を読んだり一緒に遊んだりしている内に眠ってしまい、クッキー作りをしないまま帰宅されました。

 王妃様は孤児院に本当に遊びに行っただけのようです、王妃様は孤児院にいったい何をしに行っているのでしょうか、呆れます。

 対して、エレーヌ様は院長と経営方針を話し合い、孤児院の子供達に針仕事を教え、(ひそ)かに王妃様のクッキー作りを阻止するよう子供達に頼んでいらっしゃいました。

 ザボン公爵夫人であるエレーヌ様はなんて頼もしい方なのでしょう、尊敬できる御方です。

 王妃様がご自分から提案されることはないので「ザボン公爵夫人のエレーヌ様に誘われて」ですが、王妃様も通われている孤児院なのに王宮女官ではなく針子の職を選ぶ女の子が多いのも納得できます。


 このように、貴族夫人で王妃様の相手をして下さるのが婚約者挿げ替え騒動当時、既にご結婚されていらしたザボン公爵夫人・エレーヌ様くらいなのに王妃様が幼子のいる女官を集めてザボン公爵家に余計な気を回し始めました。


「ザボン公爵家ってとっても貧乏なんですって、だからパドの婚約者なのにルーレンディアちゃんには乳母がいないそうなの」


 王家にも乳母がおられませんが、それはパメラ様のせいで婚約者を挿げ替えられた貴族令嬢達が母親になられたのだから関わり合いになりたくないのでしょう。


「だからね、お金は王家が保証するから貴女達の誰かにザボン公爵家の乳母になって欲しいの~」


 私がここに書き止めなくともザボン公爵家の乳母の座に希望が殺到したのは理解できると思います。

 そしてザボン公爵家のご令嬢・ルーレンディア様の乳母の座を射止めた私はとても幸運でした。



王城のお仕事案内

侍女…王妃の身の回りの世話・王妃の話し相手・王妃の相談相手・国賓や貴賓への接客

王宮女官…侍女の補助・王妃の執務に関わる雑務(参考資料の用意・書類整理等)

現在の王宮女官達はパメラ王妃に侍女がいないので侍女の役割も担っていますが、話し相手にはなっていません

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