第19話「停止、送信」
霞が関。
雨だった。
灰色の空。
濡れたアスファルトへ赤色灯が反射している。
防衛庁本館。
巨大な庁舎を見上げながら、チーフは小さく息を吐いた。
「……またここか」
ビッグサイロ閉鎖から一年。
国内外SNSで拡散され続けた“あの事件”も、今では話題にされることが減っていた。
熱狂は別の炎上へ移り。
陰謀論動画も再生数を落とし。
イベント中止による経済損失だけが残った。
政府は「沈静化した」と判断した。
だから。
ビッグサイロは営業再開へ向けて動き始める。
その復活第一弾として選ばれたのが——
『COMMIC Mall』
だった。
来訪者ゲート。
金属探知機。
無機質な受付。
身分証確認。
首から下げられた入館パス。
すべてが息苦しい。
長い廊下を歩く。
スーツ姿の官僚達。
誰も他人を見ない。
誰も余計な話をしない。
足音だけが響く。
第六会議室。
重い扉が開く。
中には既に十数人が座っていた。
防衛庁技術管理局。
情報管理課。
文化産業政策室。
見慣れない肩書きばかり並んでいる。
大型モニターにはイベントロゴ。
『COMMIC Mall』
カラフルなデザイン。
だが会議室の空気は異様に冷たい。
チーフは無言で席へ座った。
若い担当官が資料を開く。
「——以上がコミックMall開催計画になります」
プロジェクターが切り替わる。
来場予測人数。
海外メディア参加一覧。
配信プラットフォーム。
リアルタイム同時翻訳。
国家支援プロジェクト。
担当官は続ける。
「ビッグサイロ閉鎖以降、国内外SNS上の混乱も沈静化傾向にあります」
「海外観光需要回復も含め、日本文化産業再建の象徴として——」
チーフは眉を押さえた。
頭痛がした。
「……正気か?」
会議室が静まり返る。
チーフは資料を机へ放り投げた。
「この状況で国際イベント?」
「しかもILS端末を配る気か」
防衛庁側の男が静かに言う。
「大型ILSは停止済みです」
「今回使用するのは小型ウェアラブル端末」
「送信専用です」
「危険性は確認されていません」
チーフは低く笑った。
「送信してる時点でリンクは始まってる」
誰も返さない。
だが何人かの視線が揺れた。
理解している人間はいる。
それが余計に気味が悪かった。
チーフは続ける。
「観測人数が増えるほど認識は強化される」
「しかも今回は海外同時配信付きだ」
「何が起きるか分からん」
防衛庁の男が初めて苛立ちを見せる。
「“分からない”では説明にならない」
「科学的根拠を」
チーフは遮った。
「ビッグサイロで十分見ただろ」
沈黙。
誰も反論しない。
若い担当官が視線を逸らす。
防衛庁の男は淡々と言う。
「政府判断は変わりません」
「コミックMallは予定通り開催されます」
「日本文化産業復興は国家戦略です」
チーフはしばらく黙る。
やがて静かに聞いた。
「……もし事故が起きたら?」
男は答えない。
代わりに。
「そのためのあなた方です」
会議終了。
資料が回収されていく。
人が消えた後も、チーフだけが席に残っていた。
モニターには黒いリストバンド型端末。
『ILS-W wearable terminal』
決済。
位置情報。
AR演出。
健康管理。
そして。
認識データ送信。
チーフは目を閉じる。
嫌な予感しかしなかった。
「少し飲むか」
背後から声がした。
振り返る。
白髪混じりの男。
ILS初期開発メンバー。
今は中央側へ移った人間だった。
チーフは少し息を吐く。
「……奢りなら付き合う」
男は笑う。
「相変わらず愛想が悪いな」
地下駐車場。
黒いセダン。
雨粒がフロントガラスを流れていく。
夜の首都高速。
窓の外をネオンが滑る。
ラジオではコミックMall特集。
『一年越しの大型復活イベントとして——』
チーフは無言でラジオを切った。
静寂。
白髪の男が窓の外を見ながら言う。
「CIAも動いてる」
チーフの目が細くなる。
「中国もEUも、この技術を嗅ぎ始めてる」
「政府は止まれない」
「世界より先に形にしたいんだ」
チーフは吐き捨てる。
「馬鹿だ」
男は否定しない。
「国家プロジェクトは、止まり始めた時が一番危険だ」
港近くの裏通り。
雨は止んでいた。
古びたバーの灯りだけが夜へ浮かんでいる。
車を降りた瞬間。
チーフは気づく。
少し離れた電柱の影。
帽子。
ロングコート。
こちらを見ている男。
——鳥羽宏。
一年追い続けている男だった。
だが永山との接触以降、鳥羽は何一つ新しい情報へ辿り着けていない。
関係者は消えた。
資料は封鎖された。
SNSの熱狂も終わった。
それでも、まだ追っている。
一瞬だけ目が合う。
鳥羽は動かない。
白髪の男が小さく聞く。
「知り合いか?」
チーフは鼻で笑った。
「……ハエみたいなもんだ」
二人はバーへ入っていく。
鳥羽は少し距離を置いたまま、その背中を見ていた。
バーの扉が閉まる。
静かな裏通り。
雨上がりの匂い。
鳥羽は煙草を取り出しかけて、やめた。
代わりに小型カメラの録画ランプを確認する。
まだ動いている。
鳥羽はバーを見上げる。
薄暗い灯り。
だが店内は見えない。
完全に遮断されていた。
「……入らない方がいいな」
小さく呟く。
気づかれている。
あのチーフという男は、多分最初から。
鳥羽は壁へ寄りかかる。
夜風が吹く。
その時だった。
ほんの一瞬。
バー二階の窓硝子へ、奇妙なノイズが走った気がした。
映像が歪むみたいに。
鳥羽の目が細くなる。
「……何だ?」
だが次の瞬間には消えていた。
ただの雨跡。
そう思うしかなかった。
遠くで船の汽笛が鳴る。
鳥羽は静かにバーを見つめ続けていた。




