第八十二記録【大自然の緑とピンク】
DAY6
八月三十日、木曜日。
午後一時。
イグアス国立公園。
サンパウロの都会の喧騒と排気ガスから一転、ブラジルとアルゼンチンの国境にまたがる大自然の驚異、イグアスの滝へと降り立った私たちを待ち受けていたのは、鼓膜をビリビリと震わせるような重低音の地鳴りだった。
視界を白く染めるほどの圧倒的な水しぶきが、まるで霧雨のように降り注いでいる。熱帯雨林特有のむせ返るような湿気と、むき出しの土とシダ植物の青臭い匂いが、容赦なく鼻腔を突いた。
今日の私たちは、大自然を歩き回るためのアクティブをテーマにしたリンクコーデに身を包んでいる。
私は胸の谷間が覗くスポーツブラ風のクロップトップに、脚のラインがはっきりと出る黒のショートレギンス。
大樹は、太い腕と厚い胸板を惜しげもなく晒す黒のタンクトップに、動きやすいショートパンツとスポーツサンダルという出で立ちだ。
「すっげぇ水しぶきだな! 茉莉子ちゃん、はぐれないようにしっかり手ぇ繋いどけ!」
鼓膜を揺らす轟音の中、大樹が私の手を力強く握り、ぐいっと自分の広い胸元へと引き寄せた。
彼の手のひらの熱と、少しザラついたマメの感触が、水しぶきの冷たさを中和してくれる。
私たちは、滝の最大のハイライトである『悪魔の喉笛』を見下ろす遊歩道へと足を踏み入れた。
視界の先には、毎秒数万トンとも言われる茶褐色の濁流が、U字型の巨大な亀裂から奈落の底へと吸い込まれていく光景が広がっていた。水煙が何十メートルも高く舞い上がり、美しい虹の橋をいくつも架けている。
「ちょ、水量のエグくない!? 処理落ちして世界崩壊しそう!」
あまりのスケールにゲーマーの血が騒ぎ、私は滝壺を見下ろしながら手すりから身を乗り出して大声で叫んだ。
「落ちたら確定で即死リスポーンじゃん! ハ〇ドロポンプ以上の水量エグ!」
「ニャハハ! 即死ってなんだよ! なに言ってっかわかんねぇけど、マジで飲み込まれそうだな!」
大樹も私の声に負けない大声で笑い返し、私の肩をガッチリと抱き寄せた。
私たちは自然のエネルギーの凄まじさと、マイナスイオンのシャワーに圧倒されながら、ビショ濡れになって肩を寄せ合った。
午後三時。
「もう無理、HPミリ残し……これ以上歩いたらゲームオーバー……」
私は、濡れた木道の上に力なくへたり込んだ。
広大な国立公園内に張り巡らされた、アップダウンの激しいジャングルトレイルの連続。日頃、クーラーの効いた部屋でお菓子を食べながらゲームばかりしているインドア令嬢の私の体力は、あっという間に底をついていた。
太ももがパンパンに張り、膝がガクガクと笑っている。
もう許して……僕はもう疲れたよ……。
「おっ、また俺の出番か!」
数メートル先を歩いていた大樹が振り返り、嬉しそうな顔で私の前にしゃがみ込んだ。
彼には疲労の色など微塵もない。タンクトップから覗く肩の筋肉が、汗でツヤツヤと光っている。
「えっ、ちょっと待って」
私がおんぶの体勢をとろうと首に腕を回しかけた、その瞬間。
大樹は私の腰に太い右腕を回し、まるで米俵を担ぐかのように、ヒョイッと自分の広い肩の上に私をうつ伏せで担ぎ上げたのだ。
視界がぐるんと反転し、私の顔のすぐ横に、彼の大臀筋から太ももにかけての逞しいラインが迫る。強引で、男らしすぎる『米俵抱き』。
「きゃっ! ちょっと大樹! このお米の担ぎ方、前もやったじゃん! 2回目は恥ずかしいってば! 降ろして!」
私は真っ赤になって彼の背中をポカポカと叩き、足をバタつかせて暴れた。
すれ違う外国人観光客たちが、クスクスと笑いながら私たちを見ている。
「暴れんなって! ってか、1回目よりなんか軽くなってんじゃねーか? しっかり飯食えよ〜!」
大樹は私の抗議など全く意に介さず、ガハハと笑いながら、熱帯の太陽の下をズンズンと歩き続ける。
彼の汗ばんだ背中の熱と、揺れるたびに直接伝わってくる強靭な筋肉の動きに、私の心臓は羞恥とトキメキで破裂しそうになっていた。
午後七時。
国立公園の敷地内にある、クラシカルなリゾートホテル『ベルモンド・ダス・カタラタス』。
ピンク色の外壁が可愛らしいホテルの部屋に帰り着いた頃には、二人とも疲労と水しぶきのせいでドロドロになっていた。
「高級ディナーもいいけど、こうやって部屋でダラダラ食うのも最高だな」
「うん、足パンパンでドレスアップなんて絶対無理だったし……」
私たちはシャワーを浴びる前にルームサービスを頼み、キングサイズのベッドの上であぐらをかきながら、肉汁たっぷりのハンバーガーやフライドポテトをジャンクに頬張った。
冷えたコーラの炭酸が、渇いた喉を心地よく刺激する。
「……明日でブラジル旅行も終わりか。あっという間だったな」
大樹が少しだけ寂しそうに目を細め、ポテトをかじる。
ケチャップのついたその唇を見つめながら、私も小さく頷いた。
「ほんとだね。……大樹のおかげで、すっごく楽しかったよ」
私が微笑みかけると、大樹は食べていたハンバーガーを置き、真剣な瞳で私を見つめ返してきた。
「俺もだ。茉莉子ちゃんと一緒に来れて、最高に幸せだよ」
飾らない、真っ直ぐな言葉。
胸の奥がキュンと甘く締め付けられ、私は照れ隠しのためにコーラを喉に流し込んだ。
「俺、先に汗流してくるわ!」
食後、大樹がTシャツを脱ぎ捨てながらバスルームへ向かうのを見送り、私は自分の着替えを出そうと、部屋の隅に置かれた巨大なトランクケースへと向かった。
ジッパーを勢いよく引いて蓋を開ける。
その瞬間だった。
ポロリ。
乱雑に詰め込まれていた服の隙間から、パッキングの時に『絶対にバレないように』と一番奥底に隠しておいたはずの、あの『いかがわしい大人のオモチャ(ピンクの箱)』が、滑り落ちて床の絨毯の上に転がったのだ。
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
「やばっ!」
私は慌てて拾い上げようと手を伸ばしたが。
「ん? なんだこれ」
バスマットを敷くために、たまたまバスルームから顔を出した上半身裸の大樹の大きな手が、私よりも一瞬早くそのピンクの箱を拾い上げてしまった。
大樹は箱のパッケージをまじまじと見つめる。
そこには、ご丁寧に女性が恍惚とした表情を浮かべている写真と、外国語の怪しいキャッチコピーが書かれている。
数秒間の重い沈黙の後。
大樹が、ニヤリと口角を上げた。
「……茉莉子ちゃん、こんなの持ってきてたの?」
彼はわざとらしく目を丸くし、獲物を追い詰めるような、低く掠れた声を出した。
「ち、違うの! それは、その……! 違う人の荷物が紛れ込んだっていうか! メイドの入れ間違いっていうか!」
顔から火が出るほどの羞恥心で、私は両手を振り回しながら支離滅裂な言い訳をひねり出した。
『パウロ・コエーリョは言ったわ。「何かを強く望めば、宇宙のすべてが協力して実現させてくれるわよ♡」ってね』
私の焦りを嘲笑うように、ふわりと明菜がホテルのアンティークなシャンデリアの傍に姿を現した。
またブラジルの誰かの名言!
『ブラジルの世界的作家の名前よ』
そんなの知らんしってか、私が望んだ結果がコレ!?
彼女の細い指先で回転しているのは、頭上に無限大のマークを掲げた若者の絵柄が逆さまになった、【THE MAGICIAN(魔術師)】の逆位置のカード。
『見事なまでのポンコツな誤算と、いかがわしい道具の暗示よ! 自業自得ね!』
ゲラゲラと笑う悪魔を睨みつける余裕すら、今の私にはない。
大樹はピンクの箱を指でクルクルと回しながら、ゆっくりと、獣のような足取りで私に近づいてきた。
「こんな面白そうなモノ、ずっと隠してないで、初日の夜から使えばよかったのに〜」
新しいおもちゃを見つけた無邪気な少年の顔と、飢えたオスの顔を絶妙にミックスさせた、ズルすぎる笑顔。
「ち、違うってば、大樹、待って……!」
私は後ずさりしようとしたが、あっけなく彼の太い腕に腰を捕まれてしまった。
そのまま身体が宙に浮き、ふかふかのベッドへと容赦なく押し倒される。
「今日はいっぱい歩いて疲れてるみたいだから、俺がこれを使って、茉莉子ちゃんの芯の奥までトロトロに癒やしてあげるよ」
私の上に馬乗りになった大樹が、耳元で甘く、そしてひどくエロティックな声で囁いた。
彼の手の中で、ピンクの箱の封が破られる小さな音が、静かな部屋に響く。
「あぁっ……大樹っ……!」
抗うことのできない、濃厚で生々しいブラジル最後の夜の情事が、熱帯夜の湿度を帯びたまま始まろうとしていた。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・状態:HPミリ残しからの、自爆による羞恥心MAX発情モード
新規獲得アイテム
・【大樹の米俵抱き(2回目)】:おんぶを越える、絶対的な筋力差を見せつけられる屈辱と快感の移動手段。
・【ピンクの箱】:トランクの底から現れた、パンドラの箱(大人向け)。
【明菜の分析ログ】
ポリゴン崩壊とか即死リスポーンとか、大自然のど真ん中でオタク用語連発する令嬢なんて前代未聞ね!
そして、せっかく地球の裏側まで持ってきた秘密兵器なんだから、出し惜しみしないで最初から使えばよかったのよ! ほんとにポンコツなんだから。
でも、【魔術師・逆位置】が示す通り、この誤算は大樹の「オスとしての遊び心」に完全に火をつけちゃったみたい。
インドアで体力を使い果たした身体に、あの筋肉バカとオモチャのコンボなんて耐えられるのかしら?
大自然の滝よりも激しく濡らされる最後の夜になるわね。せいぜい、壊されないように鳴き声を上げなさいな♡




