表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/151

第七十七記録【筋肉の王と旅行でっす】



 DAY1

 八月二十五日、土曜日。

 午前九時。

 羽田空港、VIP専用ターミナル。


 一般の喧騒から完全に隔離された静寂のゲートを抜け、私たちはパパが手配してくれた超大型プライベートジェットのタラップを登っていた。

 夏の強い日差しが、真っ白な機体に反射して目を焼く。


「す、すげぇ……なんだこれ、宇宙船かよ!?」


 タラップを登り切り、キャビンに足を踏み入れた大樹が、完全に目を丸くして立ち尽くした。


 機内は、ふかふかの革張りシートがゆったりと配置され、大理石調のバーカウンター、そして奥のプライベートルームにはキングサイズのベッドまで完備されている。まさに『空飛ぶ宮殿』だ。


 「土足で入っていいのか!?」


 挙動不審になり、靴を脱ごうとする彼の手を笑って引く。


 「そんな焦んなくても平気だって」


 私は彼を先導するように、機内の奥へと進んだ。

 今日の私たちは、リゾートを意識したリンクコーデで揃えている。


 私は、お腹がチラリと見える白のクロップド・リネンブラトップに、風を孕むハイウエストのフレアスカート。足元には、歩くたびにシャラリと鳴るゴールドのアンクレット。

 大樹は、私のブラトップと同じ素材の白のリネンシャツに、ベージュのショートパンツ。シャツのボタンは胸元まで開けられ、日焼けした分厚い大胸筋が雄々しく主張している。


 「茉莉子ちゃん、その服すっげぇ似合ってる。綺麗だ」


 「大樹も、それ着るとモデルみたい。かっこいいよ」


 お互いの姿を褒め合い、ふふっと照れ笑いがこぼれる。

 甘い空気が、機内の静寂を満たそうとした、その時だった。


 『オーラ! アミーゴ!』


 ラテンの陽気な声と共に、パープル色を基調としたド派手な羽飾りを背負った明菜が、サンバのステップを踏みながら機内の通路を舞い出てきた。


 アンタが一番、この旅行楽しみにしてんじゃん……。


 『さあ、新しい旅の始まりよ!』


 明菜は私の目の前でターンを決めると、一枚のタロットカードを虚空に提示した。

 描かれているのは、崖っぷちを軽やかに歩く若者。

 無邪気な新しい旅の始まり、自由、型破りを意味する【THE FOOL(愚者)】のアルカナ。


 波乱万丈になりそう。


 私は小さく溜め息をつき、革張りのシートに深く腰を下ろした。



 午前十時三十分。

 上空一万メートル。


 シートベルト着用サインが消え、機体は安定飛行に入った。

 ジェットエンジンの微かな重低音だけが響く中、大樹が私を見て「今日から二人きりだね」と熱を帯びた瞳で私の顔を覗き込んできた。


 ぷっくりとした厚みのある唇。男らしいのに、どこか色気がある。

 『大樹の唇えっろーい♡』と内心で叫びながら、私は目を閉じ、彼の唇を迎え入れようと顔を近づけた。


 「失礼いたします」


 ガチャン、と。

 甘い空気を物理的に断ち切るように、冷徹な声と金属音がキャビンに響いた。


 目を開けると、いつもの黒スーツの上に、なぜか純白のフリフリなソムリエエプロンを着けた巨漢が、仰々(ぎょうぎょう)しいシルバーのワゴンを押して立っていた。


 「な、なな直之!?」


 「うわ! ど、どもっす!」


 大樹も驚いて、シートから飛び上がりそうになる。


 「お嬢様、大山田様。フライト中は是非、この直之になんなりとお申し付けください」


 直之は無表情のまま、九十度の完璧な一礼をした。


 「なんでアンタがここに……まさか! あのタヌキ!!」


 「はい。やはりお嬢様の身元が心配と言われてしまいまして……。すみません、お二人だけの甘いお時間を邪魔しないように極力努力いたします」


 『ゲーテは言ったわ。親バカは最強の防壁ファイアウォールである、ってね! 多分ね』


 直之の背後で、サンバ衣装の明菜がホイッスルを吹き鳴らしながら、パパの過保護をゲラゲラと煽り立てる。

 私は頭を抱えた。


 せっかくの旅行。男と地球の裏側まで逃避行だというのに、鉄壁のSP付きとは。

 ということは凪のときも!?


 いやいや、今は考えるな! この旅行を感じろ!

 感じるんだ! 九条茉莉子よ!!


 私の必死の自己暗示を打ち砕くように、冷たい陶器とガラスの鳴る音がキャビンに響いた。


 直之が純白のグローブに包まれた手で、黒い宝石のように輝くキャビアの瓶と、水滴を纏ったシャンパンを、私たちの間のテーブルへとうやうやしくサーブする。

 グラスに注がれる黄金色の液体。シュワシュワと弾ける炭酸の心地よい音。


 「大山田様。キャビアにはこちらの白蝶貝のマイクロスプーンをお使いください。金属製は風味が損なわれますので」


 その目は、獲物を威圧する猛禽類のように鋭い。


 「は、はいっ! いただきます!」


 普段は唐揚げとプロテインが主食の大樹。

 白蝶貝のスプーンを震える太い指で握りしめ、額からは冷や汗をダラダラと流している。


 恐る恐るキャビアをすくい、口へ運ぶ。プチプチとした食感や芳醇な磯の香りを味わう余裕などあるはずもなく、ただゴクリと丸呑みしてしまった。


 「し、塩っぱい卵っすね……!」


 「だ、大樹……」


 借りてきた猫のようにタジタジになっている大樹の姿がおかしくて、思わず吹き出しそうになる口元をシャンパングラスで隠した。



 その後、直之がワゴンを引いて奥のギャレー(厨房)へと下がり、ようやく本当に二人きりの時間が戻ってきた。


 「さっきの大樹、可愛かった」


 クスクスと笑いかける。大樹は照れくさそうに視線を逸らし、鼻をすんっとすすった。


 「やっぱ、茉莉子ちゃんの婿になるなら、ああいうのも覚えねぇとな」


 「そんなの気にしなくていいよ。私は、唐揚げを大口で食べる大樹が好きだから」


 カチャリとシートベルトのバックルを外す。

 ゆったりとした革張りシートの、無駄に広い肘掛け越しにぐっと身を乗り出し彼の日に焼けた頬にチュッと唇を落とす。


 「だから、キスして?」


 上目遣いで、目を潤ませて彼を見つめる。

 大樹の喉仏がゴクリと上下に動くのが見えた。


 彼は大きな手で私の後頭部を優しく包み込むと、今度こそ、直之の邪魔が入る前に深く、甘いキスを落としてきた。


 機内を包むエンジン音の中、私たちは現地に着くまで、甘く蕩けるような時間を過ごした。



 約三十時間の長旅。

 ロサンゼルスでのトランジットを終え、飛行機はついに南米大陸の上空へと差し掛かっていた。


 窓の外には、見渡す限りのアマゾンと、うねるような大河が見える。

 そして、機体はゆっくりと高度を下げ、リオデジャネイロのガレオン国際空港へと滑り込んだ。


 タイヤが滑走路を擦る、ドンッという衝撃。

 地球の裏側に、ついに降り立ったのだ。



 午後三時。(現地時間)

 ブラジル、リオデジャネイロ。


 空港を出た瞬間、ムワッとした熱気と、強烈な太陽光線が全身を包み込んだ。

 日本のじめじめとした暑さとは違う、肌を直接焼くようなラテンの熱気。

 ターコイズブルーの空と、どこからともなく聞こえてくる陽気な音楽。


 私たちは直之が手配した黒塗りの送迎車に乗り込み、海沿いの通りを走った。

 向かったのは、世界中のセレブや王族が愛する最高級ホテル『コパカバーナ宮殿』。


 白亜の壮麗な外観が、青い空に圧倒的な存在感でそびえ立っている。

 VIP専用のエレベーターで最上階へ。

 通されたのは、アンティーク家具で統一された、広大なオーシャンビュースイートだった。


 「茉莉子ちゃん、見てみろよ! すっげぇ綺麗な海だぜ!」


 部屋に入った瞬間、大樹が少年のように目を輝かせ、大きなガラス戸を開け放ってバルコニーへと飛び出した。

 私も彼に続いて外に出る。


 バルコニーの眼下には、コパカバーナビーチの真っ白な砂浜が、美しい弓状のカーブを描いてどこまでも広がっていた。

 大西洋から吹き付ける潮風が、熱を帯びた肌に心地よい。


 「あっちの方向が、俺が昔サッカーの練習をしてた砂浜! で、あっちは憧れてたスタジアムなんだ!」


 大樹が身を乗り出し、興奮気味に指を差しながら語る。

 その横顔は、サッカーボールを追いかけていた少年の頃のままのようにキラキラと輝いていた。


 『ペレ(サッカーの王様)も言ってるわ。「すべては練習のなかにある。……夜の練習もね♡」って』


 大樹が語る横で、明菜が海風に乗って再び現れた。


 『上空一万メートルの密室ではスキンヘッドの邪魔が入ったけど、今夜はたっぷり練習しなさいな!』


 彼女は下世話なウインクを飛ばし、サンバのリズムで空へと消えていった。



 午後六時。

 コパカバーナ宮殿、スイートルーム。


 結局直之に荷解きも全て行ってもらった。

 もはや二人旅じゃない……。

 けど、大樹も楽しそうにしてるしいいや。


 直之は「私は隣の部屋で待機しております。何かあれば内線で」と恭しく一礼して部屋を出て行った。


 ガチャリ、と重厚なドアが閉まる音。

 ついに本当に二人きりの空間。


 夕日が海に沈みかけ、部屋全体を濃密なオレンジ色に染め始めている。

 部屋の中央に鎮座する、天蓋付きの巨大なキングサイズベッド。

 真っ白なシーツが、やけに目に入って仕方がない。


 急に心臓の音がうるさくなり、変に意識し始めてしまう。

 喉がカラカラに乾き、唾を飲み込む音すら部屋に響きそうだ。


 バルコニーで海を見ていた大樹が、ゆっくりと部屋の中へ戻ってきた。

 逆光になった彼のシルエット。

 先ほどまでの無邪気な少年の顔から、一人の「男」の顔へと完全に切り替わっているのがわかった。


 彼が私の背後に回り込み、その大きな、ゴツゴツとした手で、私の華奢な肩をそっと包み込んだ。

 背中から伝わる、熱い体温。


 「……やっと、二人きりになれたな」


 「明日のために、早く寝なくていいの?」


 震える声で、わざと意地悪な質問をしてみる。


 「それよりも……だ」


 いつもより一段低い、甘く掠れた大樹の声が耳元をくすぐる。

 肩を抱く手に、強い力が込められた。


 南半球の情熱的な夜が、ついに幕を開ける。



 【明菜先生の研究メモ】


 被験者データ No.002

 ・氏名:九条茉莉子

 ・状態:上空での受難を経て、南米の熱気に中てられ中(心拍数MAX)


 新規獲得アイテム

 ・【ペレの金言】:夜の練習(実技)に対するモチベーション。

 ・【大樹の男の顔】:大型犬が、飢えた狼に変わる瞬間の破壊力。


 【明菜の分析ログ】


 「愚者」のカードは、計算を超えた直感と情熱のサインよ。

 直之の鉄壁ガードもなんのその、いよいよ地球の裏側での『夜の特訓』が始まるわね。


 あの筋肉バカ、サッカーだけじゃなくてベッドの上のテクニックもワールドクラスかしら?

 トランクの奥に隠した『秘密兵器』の出番は、もう少し先みたいだけど……。

 南半球の熱帯夜、たっぷり楽しみにしてるわよ♡

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ