第七十四記録【九条サマー・ロボットフェス!】
八月十一日、土曜日。
午前十時。
サマーフェス屋外特設会場。
頭上には、絵の具をぶちまけたような突き抜ける群青色の空。
真夏の凶暴な太陽が、巨大なステージと立ち並ぶ色とりどりのテントを白飛びするほど眩しく照らし出している。
巨大なスピーカーから腹の底に響くアップテンポなBGMが流れ、祭りの始まりを告げていた。
「ゲートオープン! お客様入ります!」
インカム越しのスタッフの熱を帯びた声。
同時に、ゲートの向こうから家族連れやカップル、海外からのゲストが、決壊したダムのように続々と入場してくる。
視界が、あっという間に人の波で埋め尽くされた。
「迷子センターのスタッフ、増員お願い! それからフードエリアのゴミ箱の確認も!」
私はインカムのスイッチを押し込み、各セクションへ矢継ぎ早に指示を飛ばす。
今日の私は、白地に青の朝顔柄が涼しげな浴衣姿。
会場を走り回れるよう、裾は足首が見えるほど短めに着付け、足元は歩きやすい下駄サンダルだ。
ユンジンにセットしてもらった崩れにくいアップスタイルの髪。彼からもらった金のイヤリングが、耳元で揺れる。
ふと視線を向ける。
総合案内所では、セイラさんとアカネちゃんが完璧な営業スマイルと多言語対応で、押し寄せるゲストを鮮やかに捌いていた。
その横の通路。きあらと取り巻きの二人が、お揃いのスタッフTシャツに汗染みを作りながら、道行く人にパンフレットを配ったり、落ちたゴミを拾っている。
昨日のデコピンと私の身バレですっかり改心したきあらは、「広報ブランディング部! 頑張るわょー!」と、持ち前の甲高い声で客寄せまでしてくれていた。
よしよし、みんなちゃんと働いてる。女の結束って素晴らしい!
胸の奥に確かな達成感を覚え、私は下駄の音を高く鳴らし、次の持ち場へと駆け出した。
照りつける太陽から逃れるように、VIPエリアの大型テントへと滑り込む。
分厚いビニールシートをくぐった瞬間、肌を刺すような冷気と、高級なコーヒーのアロマが全身を包み込んだ。
外の喧騒が嘘のように静まり返る。
ラウンジの奥。
優雅にシャンパングラスを傾ける、レオとユンジンの姿があった。
二人は海外の投資家や技術者たちを相手に、流暢な英語で談笑している。
私が様子を見に行くと、二人はスマートな身のこなしで、ゲストたちの視線をこちらへ誘導した。
「彼女が、この素晴らしいフェスを作り上げた実行委員長です」
レオが芝居がかった手つきで、私を指し示す。
ゲストたちから歓声が上がった。
「オー、ワンダフル!」
「ビューティフル!」
拍手喝采を浴び、私は顔を真っ赤にしてペコペコと頭を下げることしかできない。
「浴衣、すごく似合ってる。ボクが見立てたイヤリングもバッチリだ」
ユンジンが私の耳元に顔を寄せ、甘い吐息と共に小声で囁いてくる。
ドキンと心臓が跳ねたが、ここは公の場だ。
私は「ありがとう」とだけ返し、顔の熱を誤魔化すようにそそくさとVIPエリアを後にした。
冷房の効いたテントを出て、再び熱気渦巻くメインストリートへ。
すれ違う人々の熱気とざわめきを掻き分けながら歩いていると、公式記録係の腕章をつけ、一眼レフカメラを構える凪の姿を見つけた。
真剣な眼差しで、ファインダー越しに群衆を追っている。
私は足音を忍ばせて彼の視線の先に回り込み、カメラのレンズに向かって無邪気にダブルピースを送った。
『アタシも! 映らないけど一緒にピース♡』
明菜も私の隣にフワリと降り立ち、ふざけてポーズをとる。
カシャッ、カシャッ。
連続する小気味よいシャッター音。
凪がカメラから顔を離し、ふっと柔らかく目を細めた。
「最高の笑顔いただきました。……後で、二人だけの写真も撮らせてくださいね、委員長」
仕事中のプロの顔の中に、ふと垣間見えた『彼氏ヅラ』。
そのギャップに胸の奥がキュンと鳴る。
私は照れ隠しで「後でね!」と手を振り、早足でその場を逃げ出した。
午後三時。
ソースと焦げた肉の暴力的な匂いが充満する、フードエリア。
予想を遥かに上回る大混雑で、各屋台の列が蛇行し、客同士の肩がぶつかり始めている。
「エリアC、列が乱れてます!」というインカムの報告を受け、下駄を鳴らして駆けつけると、そこにはすでに大樹がいた。
「はいはい! 順番に並んで! 押さない押さない! 最後尾はこっちだー!」
持ち前のよく通る声と、誰にも負けない屈強な体格。
そして何より、あの人懐っこい太陽のような笑顔で、彼はあっという間に混沌としていた客の列を一直線に整理してしまった。
「大樹! ありがとう〜!」
「お、茉莉子ちゃん! いいって、これぐらい」
照れくさそうに頭をポリポリと掻く仕草が、大型犬のようで可愛い。
「あっ! ちょっと待ってて!」
大樹はそう言い残し、長い脚を回転させて屋台の方へと駆け出していった。
数分もしないうちに、彼は両手に特大のホットドッグを抱え、嬉しそうに走り戻ってくる。
「一緒に食べようぜ!」
私たちは喧騒から少し離れた日陰のベンチに並んで座る。
ケチャップを口の端にべったりとつけながら、大口を開けてホットドッグを頬張った。
パリッとしたソーセージの肉汁が広がる。
やっぱり、大樹と一緒にいると変な気を使わなくて楽しい。
「なぁ、茉莉子ちゃん」
もぐもぐと咀嚼しながら、大樹が不意に真面目な顔でこちらを向いた。
「ん? なぁに?」
「もしよかったらさ……夏休み、旅行にいかない?」
「りょ、旅行?」
ブフォッ!
思わず、口の中のソーセージを噴き出しそうになった。
緊急事態発生! 緊急事態発生! 凪とも約束してるのに、大樹にも誘われた!
私の脳内で、パパパッとアラートの赤い光が明滅する。
ピロン♪
【スキル・選択肢シミュレート発動!】
視界に、ゲームのような半透明のウィンドウが浮かび上がった。
【大樹との旅行、なんて答える?】
▶ A:「私、実はパパと行く予定が……」
(大樹が傷つく確率:20% / 納得はするだろうけど、後で凪と旅行に行ったのがバレたら地獄)
▶ B:凪と旅行に行くことを正直に話す
(大樹が傷つく確率:80% / この楽しい空間で彼を闇に叩き落とす。ただし素直な性格のため、別の日程に調整してくれる可能性あり)
▶ C:ホットドッグを大樹の口に突っ込んで逃げる
(成功率:1% / 逃げたところで、あの脚力ですぐに追いつかれる)
どうしよ。Bを選んだとして、凪にはなんて言うの?
「大樹とも行ってきた!」ってビシッて言うの? そりゃあお互い「婿候補が五人いる」って事情はわかってるだろうけど……修羅場になる確率は極めて高い。
『大丈夫よ、なんとかなるわ』
明菜が空からふわりと降り立ち、私の肩に腕を回すようにして囁いた。
なんでそう思うのさ?
『だって、ほら♡』
彼女はニヤニヤと意地悪に笑いながら、左手に持った三枚のタロットカードを扇状に広げて見せつけてきた。
カードに施された黄金の箔押しが、真夏の太陽を乱反射してギラリと私の目を焼く。
そこに描かれていたのは、燦々と輝く光の下で白馬に乗る無邪気な子供――【太陽】。
吉報と運命の好転を告げる、黄金の輪――【運命の輪】。
そして、無限の可能性と創造を示す――【魔術師】。
三枚すべてが、揺るぎない「正位置」。
どれもこれも、運気急上昇と大成功を確約する、強烈なアルカナばかりだ。
『いまのアタシの占いは絶好調。選んだ道はすべて上手くいく……最強の保証付きよ。さぁ、早くBを選んでしまいなさい』
うぅぅ……。
私は考えた。もちろん考えまくった!
明菜に言われたからじゃないから! 逃げたら後がもっと怖いから!
私は意を決して、Bを選択した。
「大樹……実は私、凪とも旅行の約束してて……」
「そ、そうか……。だったら、俺、諦めたほうが……」
大樹の太陽のような笑顔が急激に曇り、ワンちゃんのようにシュンと肩を落とす。
その顔を見て、胸がチクッとした。
「ううん! 諦めなくていい!」
私は彼の手を両手でギュッと握りしめた。
ゴツゴツとした、温かい掌。
「凪にも話すから。……大樹とも、旅行一緒に行こう!」
私の言葉を聞いて、大樹の瞳が、光を受けた宝石のようにパァッと輝きを取り戻した。
「おう! 行こう! 絶対に!」
「行きたいとこ、決めといてね!」
一件落着〜。
ふぅと安堵のため息をつくと、明菜が耳元でチクりと囁いてきた。
『早く行ってあげないと、ソードのカード君、緊張で死にそうになってるみたいだけど?』
ハッ! そうだ! もうすぐ恭弥のロボットショーの時間だ!
「私、恭弥のとこ行ってくる! じゃあね!」
私は残りのホットドッグを口に放り込み、下駄の音を鳴らしてメインステージへと駆け出した。
メインステージ裏・機材テント。
夕闇が迫り、生ぬるい風が吹き始めている。
会場のボルテージは最高潮に達し、観客の地鳴りのようなざわめきがテントの布越しに響いてくる。
いよいよフェスの目玉、「最新型自律ロボット(K-09)のショー」が始まる直前。
薄暗いテントに飛び込むと、そこにはタブレットを見つめたまま、石像のように固まっている恭弥の姿があった。
尋常ではない発汗量。
タブレットを持つ指先が、微かに震えている。
想定を遥かに超える観客数。
完璧主義の理系脳が、プレッシャーによるエラー処理でショート寸前になっているのだ。
「……観客の視線データが、許容量を超えている。もしエラーが起きたら……オレのアルゴリズムにバグが……」
ブツブツと呟く彼の背中に回り込み、私は両腕を回してギュッと力強くハグをした。
汗で湿った白衣の感触。高い体温。
「なーに緊張してんの?」
「まーちゃん」
「恭弥らしくないじゃん」
「オレだって、緊張ぐらいする」
「そうだよね。マッドサイエンティストなのに、私には甘々なスパダリだもんね」
「……スパダリなんて言葉は知らんが、甘々なのは……否定はしない」
強がりながらも、私の腕の中で彼の震えが少しだけ収まる。
この一ヶ月、私も大変だった。
でも、きっと恭弥のほうがずっと大変で、一人でプレッシャーに押し潰されそうになっていたに違いない。
なのに、私のくだらない喧嘩にも付き合ってくれて、私の仕事にも文句一つ言わずに手を貸してくれた。
本当に、感謝してもしきれない。
「恭弥」
「なんだ?」
すぅー、と。
私は彼の背中に顔を埋め、大きく息を吸い込んだ。
「恭弥の組んだアルゴリズムに、死角はないんでしょ? 恭弥なら絶対大丈夫。……私が保証する!」
背中から伝わる私の体温と、声の周波数。
それが一番の安定剤になったのか、恭弥の強張っていた呼吸が、ゆっくりと正常なリズムを取り戻していくのがわかった。
「……ああ。そうだったな」
彼は私から離れると、中指で眼鏡のブリッジをクイッと押し上げた。
いつもの、自信に満ちたサメオタクの顔。
「開始する」
彼はタブレットの実行ボタンを押し、光の海となったステージへと力強く歩み出していった。
メインステージ前広場。
夜空にレーザー光線が交錯し、EDMの重低音が空気を震わせる。
K-09によるロボットショーは、一切のバグもエラーも起こさず、完璧なパフォーマンスを披露した。
観客からは、割れんばかりの大歓声と拍手が沸き起こっている。
クライマックス。
K-09の電子音の合図とともに、夜空に巨大な打ち上げ花火が次々と打ち上がった。
ドーン!
腹の底に響く破裂音。
漆黒の夜空に、赤、青、金色の巨大な光の花が咲き乱れる。
火薬の匂いが風に乗って運ばれてくる。
「綺麗……」
花火を見上げる私の周りに、いつの間にか仕事を終えた五人が自然と集まってきていた。
「あのステージ、俺が組んだんだぜ! 最高だろ!」
大樹が太い腕を組み、誇らしげに胸を張る。
「フードのクオリティが観客の満足度を底上げしたんだ。僕のおかげだね」
レオが優雅に前髪をかき上げる。
「非論理的だ。メインコンテンツであるロボットの成功があってこそだ」
恭弥が眼鏡を光らせ、フッと鼻で笑う。
「マリコの美しさを引き立てたのはボクだけどね」
ユンジンがウインクを飛ばす。
「……皆さんうるさいですよ。茉莉子さんが一番頑張ったんです」
凪が静かに、だが一番鋭い声で男たちを牽制する。
全員が「俺のおかげ」とドヤ顔でマウントを取り合う、微笑ましくもカオスな光景。
私は思わず吹き出し、声を上げて笑った。
そこへ、パパが涙と鼻水まみれで群衆を掻き分けて飛び込んできた。
「まりちゃ〜〜〜ん!! 大成功だね! パパ誇らしいよぉぉ!」
「ちょっとパパ! 浴衣が崩れる!」
胴上げしそうな勢いで抱きついてくるパパを必死で引き剥がす。
周囲を見ると、セイラさん、アカネちゃん、それにきあらまでが、夜空に咲く花火を見上げながら笑顔で拍手を送っていた。
【明菜先生の研究メモ】
被験者データ No.002
・氏名:九条茉莉子
・状態:サマーフェス大成功(完全燃焼)
新規獲得アイテム
・【浴衣姿の全体写真】:五人のイケメンと泣き虫パパに囲まれた、女帝の証。
・【達成感】:仕事の本当の楽しさを知ってしまった令嬢の心。
【明菜の分析ログ】
ハプニングも嫉妬も全部ひっくるめて、見事な大団円じゃない!
男たちがこぞって『俺のおかげ』ってドヤ顔してるけど、全員を手のひらで転がしてたのはアンタよ。
仕事も恋(五股)も大成功。
……でも、お祭りの後は寂しくなるものよ。
次は、お盆休みの旅行。
大樹との約束も取り付けちゃったけど……まずはあの秘書君との『二人きり』の時間が待ってるわね。
手綱、しっかり握っておきなさいよ?




